「相方、末期ガンやったんです……世間には公表してなかったんですけど、もう先がないっちゅう話で」
それは公表したら一大ニュースになるだろう。有名お笑いコンビ、『しょっぱいスープ』のツッコミ担当が末期ガンなんて、週刊誌が飛びつきそうな話題だ。
しかし、『しょっぱいスープ』はあくまでも『笑い』を提供するお笑い芸人。そんなかなしいニュースで世間を賑わせることは良しとしなかった。
当然ながら、ファンは知りたかっただろう。どんな知らせでも、最終的には受け入れる。推しとはそういうものだ。
それでも、少しでも『笑い』に生き残っていたいと考えて、『しょっぱいスープ』は公表には踏み切らなかった。最後の最後まで『笑い』に生きようとしたのだ。
僕の想像は当たっていたようで、ボケ担当は苦笑いしながら話を続けた。
「それでも少しでも笑って長らえようってことで、病院で闘病生活してたんです」
「いつごろいなくなったんですか?」
そう、かろうじて生きていたお笑い芸人は、こつぜんと姿を消してしまったのだ。その時期がいつごろかで、捜索の難易度は変わってくる。死体の状態も変わる。
ボケ担当は神妙な顔つきで、
「つい先日です。ある日突然、病室から失踪してしもて……もう長ないっちゅうことは分かってたんですけど、まさか急におらんくなるとは思ってなくて……」
それは驚くだろう。リアクション芸もする余地がないくらいに。
なんといってもかけがえのない相方だ、しかも先の長くない重病人が病室からいなくなっただなんて、心配するなと言う方が無理な話だった。
ひとがひとり失踪したとなれば、まず思い当たるのは……
「捜索願いは?」
僕が尋ねると、ボケ担当はゆっくりと首を横に振った。
「本人にも告知してて、『もうすぐ』やと思って抜け出したんやろうなって察して、あえて出しませんでした。死に場所くらいは自分で決めさせたろ思て……」
「その口ぶりだと、行き先はわかってるんじゃないですか?」
死に際のお笑い芸人が病室から消えた。そして、その相方は遺志を汲んで、捜索願いは出さなかった。
つまりは、『死に場所』にこころあたりがあったということだ。
ボケ担当はちからなくうなずき、
「ええ、だいたいは……相方、死ぬんやったら劇場で死にたい、言うてたんです。せやから、劇場に向かったんやないかって」
世の中のひとたちに『笑い』を振りまく芸人は、最期の場所として他ならぬ劇場を選んだ。本当に、死ぬまでお笑い芸人たろうとしたのだ。
コンビを組んでいたボケ担当なら、その気持ちは痛いくらいにわかっただろう。だから、すべてを秘密裏に進めることに決めた。相方の思いを、きちんとまっとうさせてやりたいと考えた。
お笑い芸人として生き、死ぬ。
そんな切実な願いを聞き入れた。
それが相方である自分のケジメの付け方だと言わんばかりに。
……しかし、そうなると妙なことになる。
「でも、劇場に死体はなかった?」
ここへ来たということは、死体の行方がわからなくなったということだ。ボケ担当は当然、真っ先に劇場に向かっただろう。
しかし、そこに相方の死体はなかった。影も形もなくなって、どこへ行ったかわからない。『死に場所』にいるはずの相方は、どこにもいなかった。
それは途方に暮れる。こんなアヤシイ探偵事務所にすがりたくなる気持ちもわかる。僕もそうだったからだ。
ボケ担当は額に手を当ててため息をついた。
「はい。急いで劇場向かったんですけど、どこにもおらんくて……」
そうなってしまったか。
劇場を『死に場所』に選んだツッコミ担当は、死ぬべき場所で死ねなかった。どこか別の場所で死んでいるのだ。
さぞかし無念だったろう。さすがのお笑い芸人だって泣いて死んだはずだ。自分たちのフィールドでありホームである劇場に還ることも叶わなかったのだから。
死に際して、『死に場所』はここだと決めたところで死ねなかった。最期までお笑い芸人として死に切ることができなかった。
だとしたら、どこで死んでいるのか?
問題はそこだ。
「僕らもほうぼう探したんです。他に死に場所に選びそうなとこないかって……けど、やっぱり劇場やなってなって。劇場におらんのやったら、なにかが起こってどっか知らんとこで死んどんちゃうかと思いまして」
そう、『なにか』があったのだ。
ツッコミ担当が死ぬに当たって、なにかしらのトラブルが発生した。ゆえに、相方は『死に場所』にはたどり着けなかった。そう考えるのが自然だ。
道の途中で急死した……としても、もちろんボケ担当だって探したはずだ。しかし、やはり死体は見つからなかった。なので、病死や自然死の可能性は低い。
事故にでも遭ったか……ともかく、『なにか』は起こってしまった。しかも、普通ではないことが。
死体が見つからない、とはそういうことだ。記録にも残らず、ひとの目にもつかず、法の目もかいくぐったところでツッコミ役は死んでしまった。警察に通報もされていない、新聞にも載っていない。
想像もつかないような奇想天外なトラブルが発生して、死体は消失してしまった。
……ということで、僕たちの出番だ。
「それで依頼をしに来たんですか?」
僕の質問に、ボケ担当は沈鬱な面持ちをする。
「はい。うんこ行ったんやないのはわかっとるんで……」
「…………」
「…………」
「……ツッコミませんよ?」
付き合ってられるか。ツッコむ相手はこの事務所で足りている。
すげなく答える僕に、ボケ担当は苦笑いして肩を落とした。
「わかってます。ちょっとタメただけです。僕にツッコめんのは相方の特権ですから」
……言い訳のようにも聞こえるんだけど……
ともかく、ボケ担当は今後僕にツッコミを求めることはなくなるだろう。まったく、やれやれだ。
しかしながら、ツッコミ担当がいなくなってしまった今、もうこのボケに付き合ってくれるニンゲンはいない。
きっと、相方でなければいけないなにかがあるのだろう。ボケ担当は、その『なにか』のためにツッコミ担当として相方を選んだのだから。
そんな相方を失ってしまって、もうボケっぱなしでツッコむものもいない。漫才とは基本的にツッコミがなくては成立しない。ひとりで漫才はできないのだ。
どんなに面白いことを言っても、ツッコんでくれるニンゲンがいない。
お笑いをなりわいにするボケ担当にとって、それはきっと、伴侶を失うのと同等のことだろう。
いや、たましいの片割れを引き裂かれたに等しいことだ。
ふたりそろわないと、笑わせることも、笑うことすらもできない。コンビというのはそういうきずなというか、呪縛というか、なんとも言えないもので繋がっているのだ。
相方でなければお笑いをする気はない、『しょっぱいスープ』はここで終わり。
さっきのボケ担当の言葉が、今さらになって胸に突き刺さる。
今までひとを笑わせて生きてきたニンゲンにここまで言わせるのだ、片割れを失うことは、ボケ担当の人生にひとつのピリオドを打った。
しかし、それでも容赦なくボケ担当の人生は続いていくのだ。いのちが続いている限り、ひとを笑わせない人生を歩んでいくことしかできない。
その再出発のためには、どうしても相方の死体が必要だった。
それで、僕たちに依頼に来たわけだ。
「……ともかく、その相方の死体の行方を探してほしいんです。お願いします」
ボケ担当はまた深々と頭を下げると、絞り出すような声で言った。
……相手が有名芸能人だろうがなんだろうが、ここへ来た以上は、ただの『大切なひとを失ったニンゲン』でしかない。
だとしたら、僕たちはそんなひとたちのために、死体を探す。
探し出して、『作品』にする。
ここは、そういう場所だ。
すべてを語り終えたボケ担当を前に、僕は決意を新たに胸に刻むのだった。