そうこうしているうちに、事務所の奥の『巣』からにゅっと手が伸びてきた。手は紙切れを差し出している。
それを受け取った無花果さんは、
「どれどれ……ふぅむ、ほうほう!」
なにやらひとりで納得している。それはそうだ、トレースした思考のことは、無花果さんにしかわからないのだから。
それでも気になる僕は、無花果さんに尋ねた。
「今回はなにを調べてもらったんですか?」
「いろいろさ!」
またはぐらかされた。今回も『種明かし』まで詳細はお預けか。
「じゃあ、早速行きましょうよ」
軽トラのキーを取りに行きかけた僕の腕を引き止めて、無花果さんはにんまりと笑った。
「今回はちょっと遠出するからね! 『人生一発逆転満塁サヨナラホームラン号』の出番はないよ!」
「遠出、って……どこまで行くんですか?」
まさか地球の裏側じゃないだろうな?
いや、無花果さんのことだからそれもあり得る。
ちょっとびくびくしていると、無花果さんは腕を組んで大胆不敵な笑みを浮かべた。
「ふっふっふ! 今回は大阪出張だよ!」
「……大阪……」
たしかに、軽トラで行くには遠い。新幹線で向かうべきだ。それに、ツッコミ役が『死に場所』として選んだなんばグランド花月は大阪だった。その付近に死体があると考えるのは自然だ。
それにしても、大阪……頭の中には、グリコの看板輝く道頓堀やらくいだおれ人形やらたこ焼きやらが乱舞した。
食と笑いの街だ。言語だって微妙に違う。ノリも違う。
同じ日本だというのに、なんだか海外旅行をするような気分になった。
「また泊まりですか?」
「もちろんだよ! 前乗りして大阪を遊び倒すぞ!」
……やっぱり、観光はするらしい。
というか、それが主目的になっていやしないだろうか。
「あなやは、また経費を使って遊ぶつもりですか?」
かたかたとキーボードを打ってこっちを見もせずに、三笠木さんが言った。三笠木さんも無花果さんが遊びに行くつもりでいることを察知したようだ。
無花果さんは大げさに頬をふくらませて、
「これは必要経費でござる! だって死体は大阪にあるんだもん!」
「それならば、レンタカーを使って日帰りで直行直帰してください」
「今回はそんなに簡単にはいかないの! 毎度毎度、さらっと見つけてこれると思うなよ! 現場の声を少しは聞けやポンコツAIが!」
そこまで言われたら、三笠木さんもうなずかざるを得ない。渋々、といった風にほんのわずかに眉間にシワを寄せると、
「わかりました。あなたがそう言ったので、この件は経費で処理します」
無花果さんがなんでもかんでも経費で落とそうとするから、経理担当もラクじゃないなあ……
こころ密かに三笠木さんの気苦労を思い偲んでいると、無花果さんは次の爆弾発言を投下した。
「なぁに他人事みたいに言ってんだよ! てめえも来んだよ人工無能!」
今回は、三笠木さんも同行する……?
三笠木さんは『庭』の『最終兵器』だ。そんな三笠木さんのちからが必要になるということは、この件、ちょっときなくさくなってきたぞ……?
「なぜ私が行く必要がありますか?」
当然ながら、三笠木さん当人も疑問に思った。
無花果さんはそれでも、
「いいからつべこべ言わずに来い! これは『最終兵器』が必要な事態なんだよ!」
詳細は語らず、ただ『必要だ』とだけ言った。
しかし、三笠木さんにとってはそれで充分だったらしい。
「わかりました。私のちからが必要ならば、同行します」
「やっと理解したかGoogle翻訳マシーン! わかりゃいいんだよわかりゃ!」
偉そうに、しかし満足げに告げる無花果さん。
三笠木さんにとって重要なのは、『必要』か『不必要』かだ。機械のような合理性のかたまりの『最終兵器』にとって、『必要』という言葉はなによりも重い。
必要ならなんでもするし、不必要ならなにもしない。
シンプルすぎて、逆にこわいくらいだ。
「私はこれから、新幹線とホテルを手配します」
「最速でな!」
「もちろんです」
「どうせなラブホの女子会プラン使おうぜ!」
「それは不必要です。ビジネスホテルにいくつかの空室があります。私は今夜の宿を予約しました。一時間後の新幹線もまた、予約しました」
「……今回は、無花果さんとは別部屋でお願いします」
この間の件で懲りた僕は、その点を念押しておいた。
「もちろんです。ただし、私とあなたは相部屋です。これは経費削減のために必要です」
「ああ、それなら大丈夫です」
三笠木さんとの相部屋くらいなら、あの地獄の温泉旅行に比べれば天国みたいなものだ。
新幹線と宿の手配は済んだ。
あとは、大阪に向かうだけだ。
ぽん、と手を叩いた無花果さんは遠足前の子供みたいに、
「さあ、とっとと旅支度をしたまえ! 数時間後は大阪だ! グリコだくいだおれ人形だたこ焼きだ!」
……僕は無花果さんと同じ思考をしていたのか……
ちょっとヘコんだ。
「よっしゃー! レッツゴーやで大阪! 待ってるやで!」
無花果さんの関西弁がすでにアヤシイ。
三笠木さんも同行するこの探偵行、早くも厄介ごとのにおいしかしなかった。
「……あの……」
すっかり存在を忘れられていたボケ担当が口を開く。
「なんだい?」
無花果さんが聞き返すと、ボケ担当は真剣なまなざしで背筋を正した。
「なにがどうなっとんのか全然わかりませんけど、どうぞよろしくお願いします。相方の死体、ちゃんと見つけたってください」
「任せておきたまえ! ばっちり発見してやるともさ! そして、ちゃんとした『作品』にするとも!」
「ああ、そうでしたね。死体を現代アートの素材にするって……そっちの『作品』の方も、お願いします」
「無論! 豪華客船の一等客室に乗り込んだ気分で待っているがいいさ!」
ぎゃはは、と笑って請け負う無花果さん。そんなちゃらんぽらんな無花果さんのことを、このボケ担当はちゃんと信頼している。きっと、一流の『表現者』同士にしかわからない意思の疎通というものがあるのだろう。
「おおさか♪ おおさか♪ やっぱすっきゃねん♪」
たかじんまで歌い出した。もう大阪観光のことで頭がいっぱいになっている。
「これは業務の一環です。くれぐれも忘れないでください」
「わかってるっつの! いちいちうるさいなあオカン!」
「私はあなたの母ではありません」
「大阪っつったらオカンだろ! てめえそのノリで大阪行ったらやられんぞ!?」
「私はその程度ではやられません」
「っかー! わかってない! 笑いは大阪人のチャントやで!」
やっぱり、しっかりと楽しむつもりじゃないか。
毎度のことながら、不安しかない。
……今夜は大阪かあ……まあ、晩御飯くらいはご当地のものを食べていいかもしれない。
粉もんに串カツ、留守番の所長たちへのお土産はなにを買って帰ろうか。
なんだか僕まで観光気分になってきた。
大阪という街には、そうさせるだけの魅力というか、魔力がある。グルメとお笑いの街で過ごす一夜はどんなものになるのだろうか。
……そして、そんな街で迎えを待っている死体は、どこにあるのだろうか。
無花果さんが『大阪にある』と言っている以上、死体は大阪のどこかに眠っている。
これはただの観光旅行ではない。
大阪の街に触れて、その文化や空気を肌で感じ取って、それが『創作活動』の糧となるはずだ。
お笑いコンビ『しょっぱいスープ』のホームタウンに赴くのには、ちゃんとした理由がある。
「ついでにぐるなびでたこ焼きとお好み焼きのおいしい店調べろよ! 串カツもな!」
「それは不必要です」
「小生にとっては必要不可欠なんだよ!」
…………理由が、あるんだよな…………?
やっぱり不安な気持ちを抱えて、僕はすごすごと大阪行きの準備をするのだった。