ぎりぎりで新幹線に飛び乗った僕たちは、一路大阪へと向かった。どこか遠いところだと思っていたけど、新幹線に乗れば案外すぐだった。文明とはすごいものだ。
「いえーい、大阪なう!」
新大阪駅で降車した無花果さんが大きく伸びをする。その無花果さんの荷物をいっしょに持ちながら、三笠木さんと僕があとに続いた。ホテルのある心斎橋までまだ電車に乗らなければならない。
そして降り立った心斎橋は、まさにカオスだった。
空気からして僕たちが住んでいる街とは違う。関西にやってきたのだという実感が湧いてくるというか、なんというか。そこらじゅうからソースのにおいが漂ってきていて、関西弁が飛び交い、だれかがわははと笑う。そんな街だ。
「ねえちゃん、おもろいな! それコスプレ?」
早速無花果さんが声をかけられた。関東とはひととの距離感も違うらしく、見知らぬひとも気軽に話しかけてくる。
声をかけてきたのはキャバクラの客引きのサンドウィッチマンだった。からだの前後に『爆安!』『激エロ!』という看板を装備し、ついでにプラカードまで掲げている若い男だ。
「おお、早速大阪の街の洗礼だね!?」
シスター姿になにか言われるのくらい慣れているくせに、大阪人に言われるとなにかが違うらしく、無花果さんは目をきらめかせて食いついた。
「ははは、やっぱおもろいなねえちゃん! 観光?」
「そうだよ、先程新幹線で現地入りしたばかりさ! ああ、現地入りしたやで!」
「なんやねん、そのエセ関西弁!」
「おお、これがOsaka本場のツッコミ……!」
なにやら感じ入っている。くう、とうなってこぶしを握りしめる無花果さんに、サンドウィッチマンの男はさらに言葉を重ねた。
「仕事ヒマしててん、どう? ちゃあでもしばかへん?」
「これだよこれ! ひっかけ橋のナンパ!」
しきりに興奮している無花果さんだったけど、脇から三笠木さんが割り込んできた。無言で男と無花果さんの間に立つと、僕のカメラよりもカメラらしいまなざしで男を見下ろす。こういうとき、身長185センチは強い。
初見の男にもただならぬ気配は察知できたのだろう、
「お連れさんおったんやね! ほなさいならー!」
男はそのまま、そそくさと退散していった。
「てめえ、なに余計なことしてんだよ!?」
食ってかかる無花果さんに、メガネの位置を直しながら三笠木さんが応じる。
「あなたはあの男についていくつもりだったのですか?」
「そういうわけじゃないけど!」
「ならば、やりとりは不必要です。私たちは業務でここに来ています。忘れないでください」
「あーもう、わかってるっつの! 死体はちゃんと見つけてやっから、ちょっとくらい大阪の街楽しませろや!」
「それは必要ですか?」
「このヤボチンが! ちょっとは余裕持って生きろよなに生き急いでんだよタイパ優先厨かよ!」
「効率は最優先すべきです」
そんな風にぎゃあぎゃあと騒ぎつつ、僕たちはホテルに向かった。罵りあいながらも無花果さんの分の荷物を持っている辺り、三笠木さんもたいがい無花果さんを甘やかしている。
ホテルに無事チェックインすると、荷物を持って部屋に入った。当然ながら無花果さんは別の部屋で、三笠木さんと僕がツインの相部屋だった。
荷解きをしながら、思う。
……そういえば、三笠木さんとふたりきりになるのって、無花果さんの誘拐事件以来だな……
僕の視線に気づいた三笠木さんは、さっさと荷解きを済ませていて、眉間に一ミリだけシワを刻んでいた。
「なにか?」
「……いえ」
……気まずい……
そもそも、この『最終兵器』が普通にご飯を食べてお風呂に入って寝るところなんて、想像がつかない。オイルを給油してスリープモードにでも入るのだろうか。
このひともまた、無花果さんとは違った意味で『モンスター』なのだ。普通のニンゲンとして生きている姿が思い浮かばない。
……けど、これはいい機会だ。
同じ『共犯者』として、三笠木さんをより深く知るためのチャンス。
三笠木さんからしてみれば、それこそ『不必要』なことなのかもしれないけど、あいにく僕はまだ少しだけニンゲンだ、同じ『庭』の住人のことは少しでも知りたいと思ってしまう。
そんなことを考えていると、三笠木さんが急に口を開いた。
「やはり、春原さんと同じ部屋の方が良かったですか?」
「そんなことは……というか、もう二度とごめんです。三笠木さんと同室の方がまだマシです」
「マシ、ですか」
「ああ、すいませ……!」
「すべては冗談です」
……冗談を言う顔ではなかったぞ……
それに、冗談にしては妙にトゲがあるというか……
バツの悪い沈黙の中にいると、ピンポンピンポンと部屋のチャイムが連打された。このときばかりは救いの鐘の音のように聞こえた。
ドアを開けると、そこにはクマさんポシェットを装備した無花果さんが立っていた。すでにわくわくした様子で、
「いくでいくでー! いざ、夜の大阪へ!」
完全に遠足に行く小学生のテンションだ。
「もう準備できたんですか?」
「荷物ほっぽり出して来たけど、小生はいつだって準備万端だよ! だいたい、ひとり部屋ってなんかむなしくなるんだよ!」
「小鳥さんも連れてくれば良かったですね」
「いやあ、小鳥ちゃんはあのとおりヒキコモリだからね! 無理に連れ出すのは良くないよ!」
「じゃあ、ひとり部屋なのは仕方がないですね」
「もう、ここぞとばかりに有料えちえち映像でも見てやろうかと! ここいまだにテレビカードで映るんだぜ!」
「それは経費では落ちません」
ぬ、と背後から三笠木さんが姿を現して釘をさす。
無花果さんは口を尖らせながら、
「なんだよ! 昔ながらのビジホの情緒を味わわせろ!」
「卑猥な映像はスマートフォンで視聴してください」
「わっっっっっかってねえな! テレビカードで見るからこそ輝くAVの価値ってもんがあるんだよ!」
「私はそれを理解できません」
「だからてめえはいつまでたってもヤボチンコなんだよ! そうだろうまひろくん!」
「そもそも、テレビカードってなんですか?」
「ああ、来たよイマドキのワカモノ発言! テレビカードはロストテクノロジーか! 知らないとは嘆かわしい!」
「スマホで見ればいいじゃないですか」
「ビジホの! 有・料・チャンネル・が・いいの!」
どうしてそこにこだわるんだ……? ビジホってそんなものだったっけ……?
ちんぷんかんぷんになっている僕の腕を、無花果さんがリードを引っ張る駄犬のように引っ張った。
「そんなことよりも、早く大阪の街に繰り出そうぜ!」
「わかりましたよ……ちょうど準備も終わりましたし、今行きますから」
「この周辺の治安は悪いです。軽率な行動は慎んでください」
「でえじょうぶだ! そんときゃてめえをけしかけてやんよ! 火事と喧嘩はなにも江戸だけの華じゃねえ!」
「不必要な交戦は避けるべきです」
「そうですよ、ただでさえ無花果さんは歩く厄介事なんですから」
「まひろくんまでそんなことを言うのかい!?」
「事実を言ったまでです……さあ、行きましょう。ちょっとお腹すきました」
「よーしよし! それでは行こうじゃないか! ネオン輝くお笑いと粉もんの街、夜のジャングルクルーズだ!」
無花果さんに腕を引かれて、僕は部屋を後にした。そのあとに、三笠木さんも無言で続く。
……まったく、本気で観光しに来てるな……
けどまあ、たまにはいいか。
浮ついた足取りでホテルを出る無花果さんに引きずられながら、僕もまたこっそりと夜の大阪を楽しみにするのだった。