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№10 やさしい『調律師』

 明らかに出店許可をもらっていないテキ屋でぶらぶらとB級グルメを楽しんでから、ようやく僕たちはホテルに帰ってきた。


 無花果さんは僕たちの部屋に来たがっていたけど、三笠木さんが無理やり部屋に押し込めてしまった。


 おやすみ、と挨拶を交わして無花果さんとわかれ、僕と三笠木さんは自室へ戻る。


 ……また気まずい空気にならないように気をつけなくては。


 飲み物を買いにコンビニに行くついでに、いつものくせで三笠木さんにも要るものを聞いてしまう。特にないとのことだったので、そのままスマホを持って一階にあるコンビニへと向かった。


 飲み物とちょっとした食べ物を買って部屋に帰ってくると、風呂上がりらしい三笠木さんが下着だけでベッドに座り、ぼうっとテレビを眺めていた。髪が濡れてぼさぼさになっている。


 ……風呂上がりはこんな風に過ごすのか……


 妙にニンゲンくさい様子は、僕の脳をバグらせた。


 しかし、そのぎりぎりまで引き絞られたからだには、いくつもの大きな古傷があった。切り傷、刺し傷、銃創、火傷、手術の縫合痕らしきものも多数。


 喪服の下には、いつもこんなからだを隠していたのだ。


 見てはいけないものを見てしまったような気分になった僕に、三笠木さんが視線を向ける。険しくすがめられた裸眼に晒されて、つい息を飲んでしまった。


「……すみません。メガネがなければ、私はほとんどなにも見えません」


 そんなに視力が悪かったのか。またしても、ニンゲンの部分が顔を出す。


 それなのに、このひとはあくまでも異質だ。『最終兵器』……どうやってこの『庭』にたどりついたのかは知らないけど、無花果さんのためだけに存在する守護者。


 けど、最近ではそればかりではないような気もしてきた。


 なにか、三笠木さんから無花果さんに対しての執着を感じてしまうのだ。


 僕とは違う、『共犯者』としての関係……


 気になって、つい口から疑問の声がこぼれてしまった。


「……三笠木さんは、無花果さんのなんなんですか?」


 しまった、と思ったときにはもう遅かった。


 三笠木さんは、CPU使用率100%のように一瞬フリーズしてから、


「……私は、『庭』の『最終兵器』であり……『調律師』です」


「……『調律師』……?」


 初めて聞く役割に、僕はベッドに座りながら怪訝な顔をした。


 三笠木さんは淡々と続ける。


「私は、『死体装飾家』としての春原無花果と、ニンゲンとしての春原無花果のバランサーです。どちらかに振り切れてしまわないようにチューニングする、『調律師』です」


 そんな無花果さん専属の『調律師』は、機械音声のような声音で言葉を重ねた。


「私がニンゲンとしての彼女を引き止めておかなければ、彼女は神話の中の魔物になってしまいます。また、私が『モンスター』としての彼女のスイッチを入れなければ、彼女はただのニンゲンに成り下がってしまいます。そのバランスを取るのが、私のもうひとつの役割です」



 だから、いっしょにご飯を食べる。だから、憎まれ口を叩き合う。だから、セックスをする。


 放っておけば、無花果さんは簡単にニンゲンか『モンスター』か、そのどちらかに堕ちてしまうだろう。


 だからこそ、三笠木さんという『調律師』が必要なのだ。


 僕とはまったく別の関係性。


 けど、たしかに三笠木さんは同じ『共犯者』だ。


 魔女の『庭』において、なくてはならない役割を担っている。


 ……それでも、思ってしまうのだ。


 チューニングという行為は、すなわちいっしょに堕ちる行為。限りなく近くで寄り添って、『必要』なら共に奈落に落ちる。


 無花果さんと三笠木さんの距離感は、限りなくゼロに近い。一心同体、と言ってしまってもいいかもしれない。だから憎まれ口を叩きあっているし、だからそれでも息がぴったりなのだ。


 無花果さんというひとつの音を奏でる楽器を、その手でひとつひとつ確認しながら完璧に仕上げる。偏らないように、不協和音を奏でないように。


 ……一歩引いたところで、もがき苦しむ無花果さんの一部始終をフィルムに焼き付ける『記録者』とは、まるで違う。


 僕は、いっしょに『堕ちない』と決めた。


 魔女の『記録者』としての一線を引いた。


 なのに、三笠木さんは……


「……やっぱり『やさしい』んですね、三笠木さんは」


 苦笑いしながら告げると、三笠木さんは濡れた頭を少しうつむかせて、


「……私は、やさしくありません……彼女がこわいだけです」


「……こわい?」


 意外な言葉を聞いて、つい目を丸くしてしまった。


 このひとにこわいものがあるなんて。


 構わずに、三笠木さんは独白した。


「私は『最終兵器』であり『調律師』です。本来、私に感情など存在すべきではありません。しかし、彼女の『作品』に向き合う姿は、否応なしに私の中の感情を揺さぶります。それが、私にとってはどうしようもなくこわいです」


 ……三笠木さんは、あくまでも役割をまっとうしようとしている。


 けど、それ以上になにかしらの『縛り』めいたものがあるような気がした。


 自分は機械でなくてはならないと。


 ただの『最終兵器』『調律師』でなくてはならないと。


 感情など持ってはいけないのだと。


 ……それは、おそらく三笠木さんの過去に関係することなのだろう。からだじゅうを傷だらけにするほどの、壮絶な過去。そんな痛みを経て、三笠木さんは感情を捨てた。ただの機械になろうとした。


 なろうとして、なり切れなかった。


「なので、私は彼女を引き止めます。彼女は『適度に』ただのニンゲンであってもらわないと、私は困ります……だから、私はやさしくありません」


 わずかに残ったニンゲンとしての感情を、無花果さんは無理やりに揺さぶってしまう。『作品』のちからは、それほどまでに暴力的だった。


 以前言っていたけど、三笠木さんは無花果さんの『作品』を理解しない。


 しかし、『作品』と向き合う無花果さんは、『生きている』無花果さんには、こころを打たれてしまう。美しいと思ってしまう。好ましいとさえ思ってしまう。


 それは、機械としては致命的なバグだった。


 感情なんてファジーなもの、『不必要』なはずなのに。


 だというのに、『不必要』のかたまりのような無花果さんは、それゆえに三笠木さんの眠っていた感情を呼び覚ます。


 マシンとしてのアイデンティティを、ぶっ壊してしまう。


 ……けど、それでも、僕は思ってしまうのだ。


 三笠木さんは、『やさしい』。


 自分の存在意義を手放しかけてもなお、無花果さんに寄り添っているのだ。これを『やさしい』と言わずになんと言えばいい?


 逆に言うと、僕はとんでもない外道畜生だ。


 明確な一線を引いておいて、ただ無機質なカメラで無花果さんが苦しんでいる姿を『記録』するのだから。


 真実には、慈悲など存在しない。


 忖度もなければ、感情もない。


 真実は真実でしかないのだから。


 そんな『光』を焼き付けることが、僕の役割だ。


 物語には決して干渉できない。ただ見て、記録して、記憶しているだけの『記録者』。


 ……そういう意味では、三笠木さんは僕なんかよりとてもニンゲンの顔をしている。


 そのまなざしは、僕のカメラのレンズなんかとは違う。


 たしかにニンゲンらしい温度を持った視線なのだから。


「……私は余計なことを語りすぎました」


 三笠木さんはそうつぶやくと、ぼさぼさの髪を拭き始めた。拭きながら、用意されていた部屋着を着る。


「……僕もシャワー浴びてきますね」


 話はこれで終わりだ。引き際を悟った僕は、シャワールームへと撤退することにした。


 ……それにしても、こわい、だなんて。


 三笠木さんの口から出た意外な言葉は、知らなかった側面を見せてくれた。


 それだけでも、この旅には充分な価値がある。


 考えながら、僕は脱衣所で服を脱ぎ、ユニットバスでシャワーを浴びるのだった。

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