明らかに出店許可をもらっていないテキ屋でぶらぶらとB級グルメを楽しんでから、ようやく僕たちはホテルに帰ってきた。
無花果さんは僕たちの部屋に来たがっていたけど、三笠木さんが無理やり部屋に押し込めてしまった。
おやすみ、と挨拶を交わして無花果さんとわかれ、僕と三笠木さんは自室へ戻る。
……また気まずい空気にならないように気をつけなくては。
飲み物を買いにコンビニに行くついでに、いつものくせで三笠木さんにも要るものを聞いてしまう。特にないとのことだったので、そのままスマホを持って一階にあるコンビニへと向かった。
飲み物とちょっとした食べ物を買って部屋に帰ってくると、風呂上がりらしい三笠木さんが下着だけでベッドに座り、ぼうっとテレビを眺めていた。髪が濡れてぼさぼさになっている。
……風呂上がりはこんな風に過ごすのか……
妙にニンゲンくさい様子は、僕の脳をバグらせた。
しかし、そのぎりぎりまで引き絞られたからだには、いくつもの大きな古傷があった。切り傷、刺し傷、銃創、火傷、手術の縫合痕らしきものも多数。
喪服の下には、いつもこんなからだを隠していたのだ。
見てはいけないものを見てしまったような気分になった僕に、三笠木さんが視線を向ける。険しくすがめられた裸眼に晒されて、つい息を飲んでしまった。
「……すみません。メガネがなければ、私はほとんどなにも見えません」
そんなに視力が悪かったのか。またしても、ニンゲンの部分が顔を出す。
それなのに、このひとはあくまでも異質だ。『最終兵器』……どうやってこの『庭』にたどりついたのかは知らないけど、無花果さんのためだけに存在する守護者。
けど、最近ではそればかりではないような気もしてきた。
なにか、三笠木さんから無花果さんに対しての執着を感じてしまうのだ。
僕とは違う、『共犯者』としての関係……
気になって、つい口から疑問の声がこぼれてしまった。
「……三笠木さんは、無花果さんのなんなんですか?」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。
三笠木さんは、CPU使用率100%のように一瞬フリーズしてから、
「……私は、『庭』の『最終兵器』であり……『調律師』です」
「……『調律師』……?」
初めて聞く役割に、僕はベッドに座りながら怪訝な顔をした。
三笠木さんは淡々と続ける。
「私は、『死体装飾家』としての春原無花果と、ニンゲンとしての春原無花果のバランサーです。どちらかに振り切れてしまわないようにチューニングする、『調律師』です」
そんな無花果さん専属の『調律師』は、機械音声のような声音で言葉を重ねた。
「私がニンゲンとしての彼女を引き止めておかなければ、彼女は神話の中の魔物になってしまいます。また、私が『モンスター』としての彼女のスイッチを入れなければ、彼女はただのニンゲンに成り下がってしまいます。そのバランスを取るのが、私のもうひとつの役割です」
だから、いっしょにご飯を食べる。だから、憎まれ口を叩き合う。だから、セックスをする。
放っておけば、無花果さんは簡単にニンゲンか『モンスター』か、そのどちらかに堕ちてしまうだろう。
だからこそ、三笠木さんという『調律師』が必要なのだ。
僕とはまったく別の関係性。
けど、たしかに三笠木さんは同じ『共犯者』だ。
魔女の『庭』において、なくてはならない役割を担っている。
……それでも、思ってしまうのだ。
チューニングという行為は、すなわちいっしょに堕ちる行為。限りなく近くで寄り添って、『必要』なら共に奈落に落ちる。
無花果さんと三笠木さんの距離感は、限りなくゼロに近い。一心同体、と言ってしまってもいいかもしれない。だから憎まれ口を叩きあっているし、だからそれでも息がぴったりなのだ。
無花果さんというひとつの音を奏でる楽器を、その手でひとつひとつ確認しながら完璧に仕上げる。偏らないように、不協和音を奏でないように。
……一歩引いたところで、もがき苦しむ無花果さんの一部始終をフィルムに焼き付ける『記録者』とは、まるで違う。
僕は、いっしょに『堕ちない』と決めた。
魔女の『記録者』としての一線を引いた。
なのに、三笠木さんは……
「……やっぱり『やさしい』んですね、三笠木さんは」
苦笑いしながら告げると、三笠木さんは濡れた頭を少しうつむかせて、
「……私は、やさしくありません……彼女がこわいだけです」
「……こわい?」
意外な言葉を聞いて、つい目を丸くしてしまった。
このひとにこわいものがあるなんて。
構わずに、三笠木さんは独白した。
「私は『最終兵器』であり『調律師』です。本来、私に感情など存在すべきではありません。しかし、彼女の『作品』に向き合う姿は、否応なしに私の中の感情を揺さぶります。それが、私にとってはどうしようもなくこわいです」
……三笠木さんは、あくまでも役割をまっとうしようとしている。
けど、それ以上になにかしらの『縛り』めいたものがあるような気がした。
自分は機械でなくてはならないと。
ただの『最終兵器』『調律師』でなくてはならないと。
感情など持ってはいけないのだと。
……それは、おそらく三笠木さんの過去に関係することなのだろう。からだじゅうを傷だらけにするほどの、壮絶な過去。そんな痛みを経て、三笠木さんは感情を捨てた。ただの機械になろうとした。
なろうとして、なり切れなかった。
「なので、私は彼女を引き止めます。彼女は『適度に』ただのニンゲンであってもらわないと、私は困ります……だから、私はやさしくありません」
わずかに残ったニンゲンとしての感情を、無花果さんは無理やりに揺さぶってしまう。『作品』のちからは、それほどまでに暴力的だった。
以前言っていたけど、三笠木さんは無花果さんの『作品』を理解しない。
しかし、『作品』と向き合う無花果さんは、『生きている』無花果さんには、こころを打たれてしまう。美しいと思ってしまう。好ましいとさえ思ってしまう。
それは、機械としては致命的なバグだった。
感情なんてファジーなもの、『不必要』なはずなのに。
だというのに、『不必要』のかたまりのような無花果さんは、それゆえに三笠木さんの眠っていた感情を呼び覚ます。
マシンとしてのアイデンティティを、ぶっ壊してしまう。
……けど、それでも、僕は思ってしまうのだ。
三笠木さんは、『やさしい』。
自分の存在意義を手放しかけてもなお、無花果さんに寄り添っているのだ。これを『やさしい』と言わずになんと言えばいい?
逆に言うと、僕はとんでもない外道畜生だ。
明確な一線を引いておいて、ただ無機質なカメラで無花果さんが苦しんでいる姿を『記録』するのだから。
真実には、慈悲など存在しない。
忖度もなければ、感情もない。
真実は真実でしかないのだから。
そんな『光』を焼き付けることが、僕の役割だ。
物語には決して干渉できない。ただ見て、記録して、記憶しているだけの『記録者』。
……そういう意味では、三笠木さんは僕なんかよりとてもニンゲンの顔をしている。
そのまなざしは、僕のカメラのレンズなんかとは違う。
たしかにニンゲンらしい温度を持った視線なのだから。
「……私は余計なことを語りすぎました」
三笠木さんはそうつぶやくと、ぼさぼさの髪を拭き始めた。拭きながら、用意されていた部屋着を着る。
「……僕もシャワー浴びてきますね」
話はこれで終わりだ。引き際を悟った僕は、シャワールームへと撤退することにした。
……それにしても、こわい、だなんて。
三笠木さんの口から出た意外な言葉は、知らなかった側面を見せてくれた。
それだけでも、この旅には充分な価値がある。
考えながら、僕は脱衣所で服を脱ぎ、ユニットバスでシャワーを浴びるのだった。