ぴんぽんぴんぽんぴんぽん!
……ベッドでまどろんでいると、部屋のチャイムが連打された。犯人はわかりきっている。
寝乱れたビジホのガウン姿でドアを開けると、すっかり準備万端の無花果さんがいた。
「さあ行くぞ! やれ行くぞ! ほれ行くぞ!」
「……いま、なんじですか?」
「もう九時だよ!」
そんな時間か。思ったより寝過ごしてしまったようだ。
「チェックアウトの準備はできています」
三笠木さんはといえば、すでにいつもの喪服にびしっと着替えていて、髪もひとつのほつれもなくセットされている。ずいぶんと早起きだ。
僕も早く準備をしないと。
なにせ、今から死体を探しに行くのだから。
急いで顔を洗って歯を磨いて着替えて髪を整えて、準備を済ませてホテルをチェックアウトする。
「それで、どこへ行くんですか?」
相変わらず三笠木さんに荷物を持ってもらっている無花果さんに問いかけると、にししと笑って、
「昨夜とは一味違った、スリル満点のジャングルクルーズさ!」
……今度は危ないところに行こうとしているらしい。
だからこそ、三笠木さんを連れてきたのだ。
荒事になったら『最終兵器』の出番。
そして、その荒事はほぼほぼ確定している。
今回の死体探しは、危ない橋を渡らなければならないらしい。しかし、僕は戦力外だ。
無花果さんに先導された僕たちは、やがて薄汚れた繁華街の路地裏へとやってきた。生ゴミが散乱していて、カラスがそれをつついている。
明らかにガラの悪い場所には、それなりの住人がいるものだ。
「やあやあ君たち! おはようさん!」
無花果さんは、いきなりたむろしていたワカモノたちに声をかけた。地べたに座って、午前中だと言うのにストゼロを飲んでいる。派手に染めた髪に、だぼっとしたファッション、みんなばちばちにピアスとスミが入っている。
「……ああ?」
「なんやねん?」
めちゃくちゃガンを飛ばされている。立ち上がった青年たちに、いつの間にか僕たちは囲まれていた。
それでも無花果さんはいつもの調子で続ける。
「そこのビル、君たちのアジトだよね? ちょっとヘッドに聞きたいことあるやで!」
アジト。ヘッド。聞きたいこと。
青年たちの暴力をあおるには、その言葉で充分だった。
「自分らなんなん?」
「ポリ公か?」
「どっちゃにせえ、ここは通さへんで」
「痛い目見たなかったら、早よ帰れや」
いきり立つ青年のひとりが、無花果さんに手を伸ばそうとした。その手を、三笠木さんがばしっと振り払う。
開戦の合図はそれだけだった。
殴りかかってきたひとりのスローなこぶしを交わして、すれ違いざまその首筋に肘打ちを叩き込む。
低く踏み込み、伸び上がるような膝蹴りをみぞおちに叩き込む。
飛びかかってきたひとりを上段回し蹴りで迎え撃ち、残るひとりをアゴへの掌底で黙らせた。
……すべて、たった数秒間の交錯だった。
大立ち回りのあと、スーツの裾を払いながら三笠木さんは息ひとつ乱さず、
「敵影なし、オールクリア」
「ヨシっ!」
一瞬でチンピラたちを制圧してしまった三笠木さんを、無花果さんは現場猫をマネて指さし確認した。
「……なんなんですか、これ」
僕が尋ねると、無花果さんはそらっとぼけた顔で、
「アジトに乗り込めばわかるよ!」
……さては、このアジトの場所、小鳥さんに調べてもらったな……?
こんなチンピラたちと死体になんの関係があるのかはわからなかったけど、アジトに乗り込まなくては死体は見つからない。
だったら、このまま突破するしかない。
アジトは四階建てのすすけた廃ビルだった。ぼろぼろにガラスが割れた扉をばあん!と開き、
「たのもー!」
……道場破りか。
大声を張った無花果さんの言葉に反応して、奥からさっき倒したワカモノたちと同じようなガラの悪い青年たちがわらわらと現れる。
「なんやねん自分ら?」
「ナメとんか?」
「ここがどこかわかっとんか?」
だれもかれもが血気盛んにすごんでいる。関西のチンピラは関東のそれとはまた違った危険なにおいがした。
そんな反応はマルっと無視して、無花果さんは、ぽん、と三笠木さんの肩を叩く。
「黙らせろ、人工無能! 黙らせるだけな!」
「Yes, my Fig.」
無花果さんだけに向けられた、静かすぎるいらえの声。
その瞬間、三笠木さんは一気に集団との間合いを詰めた。
「なっ、なんや!?」
その異様なスピードに驚愕する間もなく、まずひとり、手刀でみぞおちを射抜かれて崩れ落ちる。
刀のようにその手刀を振るい、もうひとりの頚椎に当て身。
飛びかかってきたひとりの腕を捕まえ、背負い投げで床に叩きつける。
ナイフを持ち出してきたひとりの手元をつま先で蹴り上げ、得物を拾おうとしているところへ顎への蹴り。
ナックルダスターをはめたこぶしをかわし、低い足払いで体勢を崩し、倒れたところをみぞおちにコンバットブーツのかかと。
三人がかりで取り抑えようとしてきた青年たちを、それぞれ肘打ち、回し蹴り、アッパーカットで順に叩き伏せる。
震えながらナイフを持って突進してきたひとりを軽くいなし、すれ違いざまに膝蹴りを叩き込む。
……これで、ひとりを残して終わりだ。
「敵影なし、オールクリア」
この一連の演舞を前にしては、ただのチンピラなど木偶の坊に等しい。いくら武器を持ち出しても無意味だ。
なにせ、このひとはその肉体ひとつが『最終兵器』なのだから。
今回は主力武器のスプーンを使うまでもなかった。
「ヨシヨシヨシヨシっ!」
無花果さんの現場猫が連発される。しかし三笠木さんは誇らしげにするでもなく、ごく当たり前のように次の敵を探していた。
油断なく、躊躇なく、容赦なく、隙もなく。
……こんな『最終兵器』が唯一こわがるのが、この無花果さんなのだ。
にわかには信じられない話だけど。
そういえば、またしてもアクションシーンを撮り逃してしまった。あまりにもあっけない制圧劇で、シャッターを切る暇もなかったのだ。
……けど、それでもいい。
僕が撮るべきものは、また別にあるのだから。
「さあさあ、どんどんいくやで!」
「その間違ったイントネーションの言葉をやめてください」
「うるせー喧嘩上等やで!」
「それは私の役割です」
「ん! よく働いてくれたまえ!」
「了解しました」
いつものように言い合いながら階段を上っていくふたりを追いかける。やっぱり、このふたりの間にしかない空気感というか、テンポというものがある。
そこに割って入るつもりはない。僕には僕の関わり方があるからだ。
だから、僕なりに自分の役割を果たす。『庭』の『記録者』として、一歩引いたところからすべてを『記録』する。
……なにが起ころうとも、なにもかもを見届ける。
無花果さんと対等の『共犯者』であるためには、そうすることが必要だった。
無花果さんは、『死体装飾家』。
三笠木さんは、『最終兵器』にして『調律師』。
そして、僕は『記録者』。
三者三様の役割を果たすべく、僕たちはここまでやって来た。事務所で待っている所長も小鳥さんもそうだ。
すべては、『庭』に存在することを許されるために。
役割とは、安住の代償として『魔女』に捧げるイケニエのようなものだった。
「さあさあ、さくっと行くよ! 遅れるなよ、まひろくん!」
「……はい!」
無花果さんと三笠木さんが僕を振り返る。
こっちへ来いと、呼びかけてくれている。
そうだ、僕だって『共犯者』だ、対等の『モンスター』だ。
決意を込めた返事をして、僕は四階を目指すふたりに追いつくべく、階段を駆け上がるのだった。