……結局、四階にたむろっていたチンピラたちも、三笠木さんが一瞬で制圧してしまった。銃器なんてものが登場するわけでもない完全なる素人集団には、スプーンを使うまでもなかった。
「敵影なし、オールクリア」
ひとり残ったヘッドの胸ぐらを片手で掴み上げながら、淡々と結果のみを報告する声。
「なんやねん!? なんやねん、自分ら!?」
チームを壊滅に追い込まれたヘッドは、宙吊りにされながら悲鳴のような言葉を叫んだ。
そんなヘッドににんまりと顔を近づけながら、無花果さんが口ずさむ。
「小生たちねえ、ちょっと君に聞きたいことあって!」
こんな状況下でもにこにこしているシスター姿の女に異様なものを感じたのか、ひゅ、とヘッドの喉が鳴る。
無花果さんは焦らすようにたっぷりと間を持たせてから、
「……君たち、『しょっぱいスープ』の金沢テープを、さらったね?」
……ここでその名前が出てくるか。
ヘッドといっしょに密かに驚く僕の前で、無花果さんはあくまでもにっこりしている。
「正直に答えてね! でないと、この役立たずがまた勝手に拷問始めちゃうよ!」
「私は命令がなければ拷問しません」
「じゃあ、命令しちゃおっかなあ?」
「わ、わかった! 言う! 言うから!」
不穏なやり取りに完全にビビったヘッドがひっくり返った声を上げた。いくらチームの頭を張っていても、所詮はただのひねくれたクソガキだ。
どさり、そのからだを床に落として、油断なく三笠木さんが見下ろす。
すっかりすくみ上がったヘッドは、ぺらぺらとよく歌ってくれた。
「あのお笑い芸人やろ!? ああそうや! のこのこ歩いとったから、ラチったったわ! 芸能人や、しこたまカネ持っとった! せやったから、身ぐるみはいでボコって捨てた!」
「なんだい、サインをもらおうとは思わなかったのかい?」
「そんなもん要らんわ! せやのにへらへらして、『いつも応援おおきに!』なんて言ってきおって、腹立ったからぼこぼこにしたったわ!」
ツッコミ担当は、チンピラにさえフレンドリーであろうとした。『笑い』に差別はない。チンピラであろうとも大金持ちであろうとも、違った対応はしない。
今回は、それが裏目に出た。
まったくの無警戒で差し伸べた手は、しかし暴力によってへし折られた。ツッコミ担当は、『笑い』という共通言語が通じなかったがゆえに殺されてしまったのだ。
そんな回答に、無花果さんは気を良くしたように、
「そうかいそうかい、やっぱりね! それで、どこに捨てたんだい?」
「市営のゴミ処理場に捨てた! はは、は、半殺しで捨てたから、今頃ゴミに埋もれて死んどんちゃうか!?」
「おっけーりょうかーい、ほなさいなら!」
無花果さんが言うと、その意図を汲んだ三笠木さんがヘッドの腹にコンバットブーツのつま先を叩き込んだ。ぐえ、と悲鳴を上げて、ヘッドはその場に倒れ伏して動かなくなる。
……かくして、荒事の時間は終わった。あとには静寂が残された。
そんな静寂に、無花果さんの大声が響き渡る。
「しかし、困ったね!」
「なにがマズいんですか?」
僕が尋ねると、無花果さんはいつも左手首にはめている止まったままの腕時計を見やり、
「ゴミ処理場だなんて、急がないとまたタブンくんのときみたいに処理されちゃうよ!」
それはいけない。せめてニンゲンの形をしているうちに持って帰らなければ、ボケ担当の精神が崩壊しかねない。
すかさず三笠木さんがスマホを取り出した。
「レンタカーを手配します」
「運転は任せてください」
「よっしゃ、さっさと死体とご対面といくやで!」
また猛虎弁になりながら、無花果さんはぱしん、とこぶしと手のひらを合わせる。
三笠木さんがスマホで車を借りて、カーシェアの駐車場まで急ぐと、僕が運転席に乗り込んだ。
そして僕たちは、国道を飛ばして市営のゴミ処理場へと向かった。
むせかえるような生ゴミのにおいの中には、たしかにセンサーに引っかかる死臭が漂っていた。
それを頼りにゴミの山を踏み越えて、ときおりえづきながら、僕たちはツッコミ担当の姿を探す。
ここにもない。そこにもない。
もしかしたら、もうゴミといっしょに処理されてしまったのかもしれない。だとしたら、一体どんな顔をしてボケ担当に死体を持って帰るべきだろうか。
そんなことを考えて、なかばあきらめかけていたそのときだった。
……あった。
やっと見つけた。
下半身を生ゴミに埋めた死体が、そこにはあった。
身長が低くて、ハゲていて、レンズが割れてぼろぼろになったメガネをかけている。もろもろの特徴は、テレビで見た姿と一致している。
ただ、その肌は青白い蝋人形のような色をしており、アザや飛び出して折れた骨など、あちこちに暴行の痕跡があった。顔だってぼこぼこに殴られて腫れ上がっている。赤黒く乾いた血がそこかしこの肌にこびり付いていた。
まるでゴミのようにあっけなく捨てられた、ひとつのいのち。
……けど、それでも。
その死に顔は、たしかに笑顔だった。
苦痛にゆがんでいるわけでも、涙で濡れているわけでもない。そんなものは気配さえ一切感じさせない。
満面の笑みを浮かべている。しあわせそうに。
決して安らかとは言えない死に様だったろうに、ぼこぼこに殴られた顔で、それでもツッコミ担当は笑って死んでいた。
……信じられない。
まるでなにかの奇跡が働いたような気がした。
それくらい、この笑顔は僕に衝撃を与えた。
望んだ『死に場所』にたどり着けず、差し伸べた手が仇となって半殺しにされて、捨てられて、ゴミに埋もれて死に向かいながら、それでもツッコミ担当は笑った。
笑ったまま、死んだのだ。
……もうこれは、意地なんてものじゃない。
執念でもない。義務感でもない。
笑顔という表情はもはや、業のようにたましいに染み付いてしまっているのだ。
この死体は、だれかに向かって笑いかけているわけではない。
他ならぬ、自分のために笑っているのだ。
きちんとお笑い芸人として生き切ったと証明するように。
……お笑い芸人という生き様にふさわしい死に様。
だれよりも笑わせてきたピエロは、だれよりも笑って息絶えた。
……こんなの、『奇跡』以外に言い表せる言葉があるか?
こっぴどいバッドエンドに、たったひとつ残された救済。生き残ったものたちへの遺産。最後の『笑い』。
このひとは、死ぬその瞬間までお笑い芸人であり続けた。
死体からはずっと、『笑ってくれ』という声が聞こえてくる。『ウケるやろ?』と、ささやいてくるようだった。
最期の一瞬まで、『表現者』であろうとした。
その覚悟には、神聖なものさえ感じる。『笑い』に殉死したのだから、ツッコミ担当はもはや聖者だ。死してなお、リスペクトすべき『表現者』だ。
……なんだか、涙が出そうになった。
お笑いという『祈り』は、なによりの『救い』となって生者に残されたのだ。
神様がいるとしたら、こころの底から感謝したい。
この聖なる殉教に、祈りを捧げたい。
同じ『表現者』として、うらやむべき、あこがれるべき、こころざすべき死に様だった。
じんわりと胸に込み上げるものを飲み下して、僕はカメラのレンズを死体に向ける。
そして、おもむろにシャッターを切った。
ぱしゃり。
その笑顔は、たしかに『記録』すべき真実の『光』だ。
笑って死んだピエロは、黙して語らず、しかし表情だけで雄弁に漫才を繰り広げている。
死んでも届けられる『笑い』のちからに突き動かされるように、僕は何も言わず、もう一度シャッターを切るのだった。