ブルーシートに包まれた死体を担いで事務所に帰ってくるなり、ボケ担当が駆け寄ってきた。
「死体、見つかりました?」
「ええ、ちゃんと見つけましたよ」
「……相方は、その……」
なにか言いたげなボケ担当の声を遮って、無花果さんが待ったをかけた。
「おっと、死体と対面するのは『装飾』が終わってからだよ! そういう約束だっただろう?」
「は、はい……よろしゅう、たのんます……」
それでボケ担当は引き下がり、落ち着かない様子でソファに座り直した。
そうしている間に、僕と三笠木さんは『アトリエ』へと死体を運び入れた。
ブルーシートを広げると、そこにはやっぱり笑顔がある。
今回は、どんな『装飾』を施すのだろうか?
早くもカメラを構えて、僕は膝をついて祈りを捧げる無花果さんを撮影した。無花果さんは『創作活動』の前にいつもこうして祈る。なにに祈っているのか聞いたことはないけど、それが無花果さんにとって必要な儀式なのだ。
立ち去らないところを見ると、今回は三笠木さんも『創作活動』に立ち会うようだ。『こわい』と言っていた無花果さんの『作品』に向き合う姿に、三笠木さんもまた向き合おうとしている。
しばらくの間静かに祈りを捧げたあと、無花果さんのくちびるからいつもの呪文がこぼれ出す。
「As I do will, so mote it be.」
そうあれかし、とつぶやいて、無花果さんは目を開いた。
例によって、小鳥さんによってすでに必要な資材はそろえられている。
まず、無花果さんは死体が着ていたスウェットを剥ぎ取った。はだかになった死体には、痛々しい暴行の痕跡がある。
割れたメガネや顔、折れた骨が飛び出したからだに、無花果さんは一切手を加えなかった。そのままにして衣装を着せていく。
くいだおれ人形の衣装を着せられた死体は、次に『アトリエ』の天井から垂れ下がったワイヤーに吊るされた。足元が厨に浮き、ゆらりと揺れる。
その首に、無花果さんは色とりどりの風船をたくさん結びつけた。こうして見ると、まるで風船で首を吊っているように見える。
笑顔で風船首吊りをしているくいだおれ人形のからだに針金を仕込んで、ポーズを取らせて固定する。それはたしかに、『しょっぱいスープ』のお約束ギャグ、『DANZEN!ふたりは粘着質』のポーズだった。
さらに、天井から垂れ下がった別のワイヤーにカラスの剥製を結びつける。今まさに風船を割ろうとしているような、そんな位置だ。
無花果さんは大きなビニール袋を持ってくると、その中身を死体の周囲にぶちまけた。それは黄色いニコニコマークの大きな缶バッジだ。何百とある笑顔の缶バッジが、辺り一面に広がった。
吊り下げたカラスにもニコニコマークを取り付け、無花果さんは最後に子供がダンボールで作ったようなちゃちな金メダルを死体の首からかけた。
「……できたよ、これが今回の私の『作品』だ」
そう言うと、無花果さんはどさりと椅子に腰を下ろしてうなだれてしまった。相当に気力体力を使ったのだろう、『創作活動』のあとはいつもこうだった。
僕もまた絶え間なくシャッターを切っていた指を止め、改めて肉眼で『作品』と向き合う。
……それは、まさしく『最後の寄席』だった。
ネタ帳に書いてあったのだろう、『風船おじさんとカラス』の通りの姿だ。
くいだおれ人形の衣装を着た死体は、大阪オリジナルのピエロだった。首を吊っている風船には、たっぷりと『笑い』のしあわせが詰まっている。
カラスにもそれがわかっているように、風船はひとつも割られていない。それどころか、カラスさえもが笑っていた。
たくさんの笑顔に囲まれながらも、一番笑顔なのは死体だ。無惨なリンチを受けた傷も生々しいのに、それでも一番生々しいのはその笑顔だ。
死んでいるというのに、その笑顔は色あせてはいなかった。ぼこぼこにされた腫れ上がった顔は、それでもしあわせそうに笑っている。
……一見すると、これは『笑い』に殺されたお笑い芸人の『装飾』だ。
しかしその実、それはだれよりも『笑い』に生きたお笑い芸人の『装飾』だった。
首を吊っている風船には、水素ガスの代わりにたっぷりとしあわせが注ぎ込まれている。カラスもそれをわかっているから、風船を割らずに同じように笑っているのだ。
いっしょになって大笑いするそのカラスに、ボケ担当の姿が重なった。定番ギャグのポーズをする死体には、あのボケ担当が加わらなければ完成しない。
逆に言うと、ボケ担当が加わることによって、この『作品』は完璧なものになるのだ。
無花果さんは、あえて『死』に相方の入る余白を作った。意図して『作品』を不完全なものにした。
……こんなにも『やさしい』無花果さんの『作品』は、初めて見る。
たしかに、いつものようにこころを素手で殴りつけてくるような『作品』だ。厳然としたその『死』を否定も肯定もせず、あるがまま『死なせて』いる。
いのちはもう、終わっている。
けど、まだ続くものはあるのだと、『作品』は語りかけてきた。
こころを殴りながらも、そのこぶしは『笑い』とはなにかを教えさとすようだった。『笑い』の本質はここにあるのだと、全力で訴えかけてくるような『作品』。
それは『呪い』であり、『祈り』だ。
一日の始まりに、『今日もいい日でありますように』と口に出して言うように、ごくごく当たり前のありふれた『願い』。
特別なことなんてなにもない。
ボケ担当が言っていたように、『笑い』とはだれもが使える簡単で、だからこそ最強の魔法なのだ。
そんな『表現者』を、無花果さんは最大限リスペクトしていた。同じ『表現者』として敬意を払って『作品』に仕上げていた。
……僕は、『作品』の意図をすっかり理解した。
いっしょに見ている三笠木さんはどうだろう?
……三笠木さんは、一切『作品』に目を向けることはなかった。
その代わりに、食い入るように疲れきった無花果さんを見つめている。
……ああ、魅せられているのだ。
真っ向から『創作活動』に対峙した無花果さんの勇姿を見て、『美しい』と。息をすることすら忘れて、本来あるべきではない感情を揺り動かされて、おそれ戸惑いながらも惹き付けられている。
三笠木さんが無花果さんを『こわがる』のは、こういう一面があるからだった。
対して僕は、無花果さんを一瞥してからまた『作品』に視線を戻した。
こんな『作品』を突きつけられたボケ担当は、一体どんな反応を示すのだろうか?
泣くのだろうか? 怒るのだろうか?
それとも、やっぱりいっしょになって笑うのだろうか?
……いずれにせよ、僕はそのすべてを見届けなければならない。目を逸らしてはいけないのだ。
三笠木さんが『調律師』なら、僕は『記録者』。
ニンゲンである無花果さんのことは三笠木さんに任せて、僕は『作品』に向き合う。
ぱしゃり。ぱしゃり。ぱしゃり。
あの大阪の夜、大騒ぎしている無花果さんを撮影したときと同じシャッター音が響く。
何枚も写真を撮る僕に満足したような視線を向け、無花果さんはちからなく笑った。
「……相方を呼んできてくれ。この『作品』を完成させてもらいたい」
「……はい」
返事をして、僕は一旦シャッターを切るのをやめた。
この『作品』をもっとも深く理解できるのは、あの相方だ。この惨憺たる『死』に意味を見いだせるとしたら、あのボケ担当しかいない。
見せてもらおうじゃないか、『しょっぱいスープ』の最後の寄席を。
そう期待して、僕は『アトリエ』から出て、今もそわそわしているであろうボケ担当を呼びに行くのだった。