目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

№15 最後の寄席

 ボケ担当を『アトリエ』に連れてくる。


 無花果さんの『作品』と対面したボケ担当は、一瞬息を飲んで青ざめた。


 それでも、同じ『表現者』として、その意図を即座に理解したようだ。


「……さあ、やってくれよ」


 椅子でうなだれたまま視線だけを上げて、無花果さんはそれだけ言った。


 ボケ担当が、背筋を正したような気がした。


 そして、『作品』の隣に立つといつものポーズを取る。


「DANZEN!ふたりは粘着質!」


 声はひとり分だ。


 しかし、それはたしかに『表現』として完成していた。


 僕は夢中になって完成した『作品』を撮影する。


 やっと、やっとここに、『しょっぱいスープ』の渾身のギャグは成立した。


「……ふっ、」


 椅子の上で、たまらなくなったといった風に無花果さんが吹き出す。それはやがて笑い声になった。


「ははは! やっぱり最高だよ、君たち!」


 疲れきってくたくたなのに、それでも振り絞るように笑った。


 いつの間にか、釣られて僕まで笑っていることに気づく。三笠木さんは……ほんの少しだけ、口の端を持ち上げた気がした。


 最後の寄席の観客は、この三人だけ。


 しかし、ボケ担当は満足そうに笑う。


「ありがとうございました」


 惜しみない拍手の中で、ボケ担当は相方の分まで頭を下げた。


 それから、笑いの残滓を引きずりながら『作品』と向き合った。


「……そんなぼっこぼこになってまで、なにわろとんねん……死んどんのやぞ、自分」


 まるで独白のような言葉は、もうどこにも届かない。


 なのに、不思議なことに、ひとつの漫才として成立しているような気がした。


「もうすぐ死ぬ死ぬ言うとって、ホンマに死んで……しあわせそうにわろとる場合ちゃうねんぞ、アホ」


 笑ってくれ。


 それが最期の願いだ。


 だから、ボケ担当はあえてその『死』を笑わせる。『死』さえも、『笑い』に変えて見せるのだ。


「……って、ボケ担当の俺が突っ込んでどうすんねん……ボケツッコミ逆転やなんて。お前のネタ帳にもなかったやろ。こんなんが最後の漫才になるなんてな。『しょっぱい』俺ららしいわ」


 この『笑い』は、たしかにどこか『しょっぱい』涙の味がした。しかし、絶対にボケ担当は泣かない。『笑い』の裏に涙を隠して、漫才を続ける。


 それが、相方との『約束』だからだ。


 このふたりだって、立派な『共犯者』だった。


 いっしょに並んで、戦場に咲くしあわせの花。だれにでも使える簡単な魔法だけで、世界を明るく照らす奇跡のピエロたち。


 こうして並んで笑っている限り、『しょっぱいスープ』は永遠に最強のお笑いコンビだ。


 ボケ担当はしばらくの間笑っていたけど、やがて取っておきのネタを思いついたように、ぽんと手を打った。


「決めた!」


 その声は、新しい可能性に満ちている。相方の死体に向かって宣言するように、ボケ担当は語りかけた。


「俺、新しい相方探して、お笑い続けるわ。正直、相方はお前だけや思てたんやけど、ここで終わらせるのもちゃう気がすんねん。終わらせたらアカン、もったいないって、そう思うんや」


 ここまで来て、なおもボケ担当は『笑い』を続けていくことを選んだ。相方はもういない。目の前で死体として笑っている。


 だというのに、まだ続けると言う。片翼を失っても、まだ飛び続けると言うのだ、このカラスは。


 交わした『約束』を果たし、バトンは繋がれた。『笑い』のリレーは終わらない。


 世界のどこかにふしあわせなひとがいる限り。


 笑えないでいるひとがいる限り。


 残されたボケ担当は、相方の遺志を受け継ぐことをここに決めた。


「お前のネタ帳、『向こう』行くまで貸しといてくれ。なにせお前の考えるネタ、最高やからな。しっかりとパクらせてもらいますー」


 そう茶化してから、ふっと一息つく。


「……『向こう』で会えたら、コンビ再結成や。せやから、それまではお前とは一旦コンビ解消やな。長かったな、お前と組んでから。いや、短かったか、ようわからんわ。ふたりでNGKに殴り込んで、『笑い』取ってきたな。やっぱ、俺ら最高やわ。コンビ解消すんの、もったいないわ」


 ボケ担当が、後ろ髪を引かれているのがわかった。ふたりで踏んできた舞台の数々を思い出して、懐かしんでいる。ここで別れを告げてしまったら、本当にコンビは終わってしまう。


 しかし、ボケ担当は逃げなかった。


 相方に託された『笑い』 のバトンを次に繋げていくために、ここで『一旦終わり』にする。


 そして、また始めるのだ。


 今度は別の相方と、別の『笑い』を。


「お前、今間違いなく一等賞やで! 最高の相方やった! 今までありがとな、ほな、さいなら!」


 そう言って、ボケ担当は満面の笑みを浮かべた。


 死体とおそろいの、一等賞の笑顔だ。


 いっしょに笑ってきたから、別れるときも笑顔。


 それはとても自然なことのように思えた。


 相方が死んでも、『表現者』としてのボケ担当は死なない。だから、続ける。死体は遺言のような笑顔を浮かべているのだ。ここで続けなければ、意味がない。申し訳が立たない。胸を張って『向こう』でコンビを再結成できない。


 その一心で、ボケ担当はお笑い芸人であり続ける。形を変えながらも、これからも世界を笑顔にしていくのだ。


 そして、自分が一番大きく笑う。ピエロが笑顔で無くてどうするのだ、とばかりに。


 ……『笑い』のちからを、思い知らされた。


 それはもしかしたら、無花果さんの『作品』よりもひとびとのこころを打つのかもしれない。


 無花果さんの『死』を想う陰の『作品』とは違う、『生』を歌う陽の『笑い』。


 しかし、根底にあるのはやっぱり共通した『表現者』としての矜恃だ。取り込み、理解し、提示する。そうして生まれたものが、ひとのこころになにを残すかだけの違いだ。


 それにしても。


 無花果さんの『作品』でこんなにも笑顔になるひとを、初めて見た。


 泣くひとはいた。狂うひともいた。


 けど、こんな風に笑って受け入れるひとはいなかった。


 同じ『表現者』としてすべての意図を汲み取った上で、応えるように笑顔で迎え入れた。それはきっと、無花果さんなりのリスペクトが込められていたからだ。死んでまで『表現』を貫いたツッコミ担当への、そして生きて『表現』を続けていくと決めたボケ担当への。


 やっぱり、『作品』とは『呪い』であると同時に『祈り』だ。否応なしに生きて続けさせる、同時に生きて続けるために背中を押す。


 だれが死んでも、物語は続く。世界は回る。『生』と『死』は絶え間なく循環しているのだ。


 ボケ担当は無花果さんに向き直ると、また深々と頭を下げた。


「ありがとうございました! 俺、間違いなく世界一のしあわせもんです!」


 無花果さんは言葉を返すのすら億劫らしく、ひらりと手を振って笑った。


 ボケ担当はもう『作品』を振り返ることなく、『アトリエ』を出ていく。


「……私も、仕事がありますので失礼します」


 三笠木さんもまた、その後の事務処理のために『アトリエ』を後にした。その実、理由はたぶん、『無花果さんの『創作活動』が終わったから』だ。もうここにいる理由はない。


 しかし、僕の仕事はこれからなのだ。


「……さあ、まひろくん。不完全な『作品』だけど……」


「……はい」


 最後にもう一度だけ肉眼で『作品』を見てから、僕は再びカメラを構えた。シャッターを切り、フィルムを送る。そしてまたシャッターを切り、フィルムを送る。


 そこにはたしかに、撮影すべき真実の『光』があった。


 熱に浮かされたように何枚も写真を撮りながら、僕は僕の『表現』に没頭していくのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?