フィルムが尽きる音がして、ようやく僕は撮影をやめた。それでも、からだの内側に消えない熱がこもっている。まだ足りないとでも言うかのように。
しかし、フィルムがなくなってしまったのではもうシャッターは切れない。仕方がなく、僕は『アトリエ』を後にした。
カメラをテーブルに置いて、バスルームに向かう。早く死臭を落として、この熱を冷ましたかった。
服を脱ぎ捨てて洗濯機に放り込み、シャワールームに踏み込む。足裏に感じるタイルの冷たさがここちよかった。
ざ、と少し冷たいくらいのシャワーを頭からかぶって、深呼吸をする。シャンプーで頭をかき回し、ボディソープを肌で泡立て。
……死臭と熱が、流されていく。
ひと心地ついて、改めて僕は考えた。
結局、あのふたりが目指した『笑い』とはなんだったのか? 『表現者』として残したかったものはなにか?
『笑い』とは、伝染する『祈り』だ。『死』を飾り『死』を想わせる無花果さんの陰の『作品』とは対極にある、陽の『表現』。
しかし、根幹の部分は同じだ。
生きること。
精一杯しあわせに、生きていくための覚悟。
それを突きつけているのだ。
もしそれが陰と陽でわかれているのならば、僕が撮るべきは陰の『作品』だった。
なにせ、『撮影』とは『影』を『撮る』行為。真実の『光』を追い求めるのならば、そこには必ず『影』がある。実存に対するイデアが。真実の裏側に潜む、本質が。
あのふたりは、笑っていた。笑わせていた。しかし、その覚悟のほどを知っているニンゲンがどれほどいただろう? 笑いの奥底に込められた『祈り』を理解していたものは、果たしていたのだろうか?
表層上の『光』を切り取るのは簡単だ。
けど、その『影』にこそ、本質は宿る。
だから、僕が撮るべきなのは『光』であると同時に『影』でもあるのだ。
事実はひとつきり、けど真実はひとつとは限らない。
受け取るものによって、さまざまな解釈ができる。理解のし方がひとによって異なるのだ。
それは無花果さんの『作品』にも言える。ただのグロテスクな悪趣味だと言ってしまえばそれっきりだ。八坂さんのように、化け物の所業だと吐き捨てることもできる。
しかし、そこにある意味を考えたとき、『作品』は絶大なちからを持つ。
あるひとは、タブンのように狂ってしまう。
あるひとは、牧山蓮華のように模倣しようとする。
あるひとは救われ、あるひとは地獄に落ちる。
ゆえに、あの『作品』は『祈り』であり『呪い』なのだ。
見るものにとって、毒にも薬にもなり得る。
どちらにせよ、劇物だ。
……それでも、僕は信じる。
『祈り』の部分が、あのふたりの『笑い』のようにだれかのいのちと共鳴することを。『死』を想い、『生』に繋げるためにあるのだと。
ならば、僕は真実の『光』だけを追っていてはいけない。その『光』の裏側、『影』もまた、追いかけるべきものなのだ。
意味を、理解を、イデアを。
僕もまた『表現者』として、咀嚼して、消化して、排泄しなければならない。
あのふたりがいのちがけでやろうとしていたことだって、現実という苦く重いものを噛み砕き、胃の腑で紐解き、『笑い』として産み落とすという行為だった。
死にたくなるような世界を喰らって、それでもなお希望は残されていると『笑い』にすべてを託したのだ。
それは、『表現者』として賞賛すべき偉業だった。
本来、『表現』とはそうあるべきなのだ。
だから、僕は僕なりに『撮影』をする。真実の『光』と、そこに宿ったイデアの『影』をフィルムに焼きつける。
泡ですべてが浄化され、からだはすっかり冷えていた。残りの泡を洗い流し、シャワーを止める。熱狂が、死臭が、渦を巻いて排水溝に流れていった。
シャワールームを出て、脱衣所でからだを拭く。用意してあった予備の服に着替えて、タオルで髪の水気を切りながら脱衣所を出た。
……ぽつねんと、無花果さんが立っている。
今回はバイブも持っていないし、いきなり卑猥なことを口走ったりもしない。なにやら憮然としている。
「どうしたんですか? いつもならオーガズムについて語り出すところなのに」
「……小生だって女の子なのだよ……」
「なにを今さら」
「そうじゃなくて! 生理なの! 小生フツーに女子のからだだから、生理だって来るんだよ! これじゃあセルフプレジャーだってロクに楽しめやしない! 生理とかいう機能ほんとイラネ、ファックだよ!」
「……ああ……」
「こういうとき、乳首開発しときゃよかったと思うね! 開発しすぎたらおやつカルパスになるって本当かな!? ねえねえ、まひろくん!」
「やめてください、おやつカルパスマトモに食べられなくなりますから」
「なんだいなんだい! 君だってチクニー試してみたことくらいあるだろう!?」
「ないです」
「だったら小生が開発してやんよ! ニュータウン開発ばりに尊厳という山を削ってやんよ! 乳首出せおら!」
「絶対にイヤです」
「っかー! 相変わらずつまんない男だね君も! ちょっとは新しい扉を開ける努力をしたまえよ!」
「そんなもの開かなくていいですから」
「春原さん」
僕たちの会話に、ずい、と三笠木さんが割り込んできた。
そして、無花果さんの腕を捕まえると、
「『懺悔室』に来てください」
「うるせー! 小生今生理なんだよレイニーデーなんだよオンナノコノヒなんだよ股ぐらから血ぃ垂れ流してんだよそれどころじゃねえんだよ悟れよポンコツAI!」
「やりようはあります」
「なにする気だてめえ!?」
「それはのちのち理解できます」
そのまま、無花果さんはぎゃあぎゃあ言いながら暗室へと引きずり込まれていった。
光も音も遮断する暗室で、なにがおこなわれているのかはわからない。
けど、たぶん『調律』がなされているのだろう。
そういうことを暗室でしていることに対して、嫌悪感はない。別に僕ひとりのための部屋ではないのだから、他のひとがどう使っても構わない。
童貞とはいえ、二十歳未満とはいえ僕だって一応は成人だ。性嫌悪のキムスメでもあるまいし、汚らわしいだとかは思わない。
それに、三笠木さんの言う通り、無花果さんにとって『調律』はなくてはならないものなのだ。タナトスに偏りすぎてしまった精神を、エロスの側に戻す行為。『モンスター』になりきってしまう前に、ニンゲンであることを思い出させないといけない。
それは三笠木さんにしかできないことだし、無花果さんだって三笠木さんにその部分を頼っている。
大阪出張でわかった、新たな事実だ。
陰と陽の『表現』。
真実の『光』と『影』。
僕の関わり方と、三笠木さんの関わり方。
そういう相反するものが、互いを支え合いながら鮮烈なコントラストを描いている。
どちらが欠けても成り立たない、裏と表の構造。
この出張で、僕はより立体的に物事をとらえることができるようになった気がする。
それはたしかに、『表現者』としての、そしてニンゲンとしての、『モンスター』としての成長だ。
「まったく、さっぱりした顔しちゃってー」
配信のカメラから視線をそらし、僕に向けた所長が、メンソールの電子タバコを吸いながら笑う。
「お風呂上がりですからね」
「あははー、そりゃそうだー」
「コーヒー牛乳が欲しい気分です」
「スポドリで我慢してー」
内心を知ってか知らずか、所長はそう言って配信に戻っていった。
僕は冷蔵庫から冷えたスポーツドリンクを取り出すと、一気にあおる。からからになっていた喉が潤った。
ひと息ついて、ソファに座る。
「……あと三十分くらいかな」
童貞ゆえに時間感覚がわからないけど、そんなものだろう。それまでに、小鳥さんがまたとんこつラーメンをUberしてくれる。
すっきりした頭で、僕は不意にテレビをつけた。
そして、下らない地上波を流しながら、『調律』が終わるのを待つのだった。