空になったとんこつラーメンのどんぶりを全員分片付けてから、僕は暗室へと向かった。今日の『作品』のフィルムを現像するためだ。
少しなまぐさいような残り香が漂っている暗室で、写真と向き合う。これは僕の『作品』だ。細心のの注意を払って形にしなければならない。
……やがて現像が終わって暗室から出てくると、いつものように無花果さんが待ち構えていた。
「ふうむ、どれどれ……?」
山のてっぺんから一枚取ると、しげしげと眺めてから、
「うむ! やっぱりさすがだねえ、まひろくん! これは実にいい仕事だ!」
無花果さんは満面の笑みでお墨付きをくれた。
「小生の『作品』を真正面からしっかりと捉えている! それだけじゃない、自分なりの解釈も加わってきているね! この『作品』から、君がどんな風に小生の『作品』を受け止めたかがひしひしと伝わってくるよ!」
「……ありがとうございます」
次の写真を手に取りながら、無花果さんは熱っぽく僕を褒めまくってくる。
「これはもう、単に小生の『作品』を写したものじゃない、君と小生の『作品』の融合だよ! コラボレーションだよ! フュージョンだよ! 見事なマリアージュだ!」
そんな風に手放しで褒められると、逆に居心地が悪い。それもこれも、普段褒められ慣れていないせいだ。
もじもじしていると、無花果さんは他の写真にも手を伸ばした。あれこれ眺めて、感じ入ったようにうなり。
「写真の腕自体も確実に上がっている! まだ研鑽の余地はあるけど、君も成長したね!」
「……ここへ来てから、ずいぶん揉まれましたからね」
「うむうむ、いいことじゃないか! しかし、揉まれて角まで取れてしまってはいけないよ! 『表現』はあくまでも尖っていなければならない!」
「……肝に銘じます」
大先輩からのエールは真摯に受け止めなければならない。僕は一礼して返事をした。
……こんなところで揉まれているんだ、角なんて取れるわけがない。無花果さんという世界最高峰のアーティストの作品と対峙して、様々な依頼人の複雑な感情を前にして、むしろ先鋭化していくに決まってるだろう。
それから、所長も加わってボケ担当に送るための写真を見繕い、残ったものを暗室のキャビネットにしまう。こうして溜まった写真も、いずれは世に出したいと思う僕の『作品』だ。大事にしまっておくにはもったいなさすぎる。
あんなことはあったけど、またいつか個展をやってみたいと思った。今度は、胸を張って無花果さんとの共同『作品』ですと言えるように。
戻ってきたころには、無花果さんはもう帰っていた。ボケ担当から諸手続きを任された三笠木さんは残業する気満々でキーボードを叩いているし、所長もまだ事務所で配信を続けるつもりらしい。小鳥さんはもとから『巣』で生活している。
「お先です」
「おつかれー、まひろくーん」
簡単に帰り支度を済ませると、僕は残ったメンバーに頭を下げて事務所を後にした。
……外に出ると、むわっとした空気がまとわりついてくる。そろそろ梅雨の季節がやって来る。そう予感させるような、湿って重くなった蒸し暑い気配。
今年も暑くなりそうだな。
去年の過酷な太陽光線を思い出して、今からうんざりしてしまう。
うんざりしながらも、僕はつい笑ってしまった。
暑いのなら、それはそれでいい。きっとアイスはおいしいし、冷えた布団は気持ちいいだろうし、花火はきれいだろうし、今年はプールにだって行けるかもしれない。
……あれ、今、笑ってしあわせになった……?
自分の口元に手をやって、ふと気づいてしまう。
笑ったからこそ、夏の暑さも楽しんでやろうという気になった。少し早めの暑気払いだ。
ボケ担当が、『しあわせだから笑うんじゃなくていい、笑ってしあわせになればいい』と言っていたのを思い出した。
僕は今、たしかにそれを実感している。
世の中、笑っていられないことばかりだ。
今だって、死にたいと思っているひとたちが世界中に存在している。
戦争はなくならないし、飢餓も貧困も犯罪もそこにある。
世界は、相変わらず最悪だ。
……それでも。
ひとは笑うことをやめない。
だからこそ、そんなニンゲンの強さを、僕は信じようと思った。『笑い』のちからを肯定して、『願い』を託した。
たとえ絶望の淵に立っていたとしても、笑えばとりあえずなんとかなるような気になってくる。絶望がひとを殺すのならば、『笑い』は絶望というやまいを殺す抗生物質だ。
肩のちからがふっと抜けて、『まあなるようになるさ』と気持ちが軽くなる。前向きに生きていけるようになる。
一瞬でもいい、それでも絶望に突破口を開けるなら、いくらでもやりようはある。
こんな世の中、笑いごとじゃない。
けど、それさえもネタにして笑ってしまえばどうってことない。
そんな『表現』に触れて、僕はまたひとつ、成長できた。
ひどい世界を真実の『光』として切り取るのは簡単だ。
けどその裏側、『影』の部分に隠された『祈り』を写してこそ、僕の写真は僕の『表現』たり得る。
無花果さんはマリアージュなんてご大層な言葉で褒めてくれたけど、そんな大げさなものじゃない。
無花果さんの『作品』があって、それを僕なりに噛み砕き、消化してできた、ただの排泄物だ。排泄物を食らってひり出した排泄物だ。
その名前のない排泄物に意味を見出してくれるだれかがいると信じて、泣いたり笑ったり怒ったりしてくれるひとがいると願って、僕は腹を痛めながらシャッターを切る。
そんな僕は、もうただの『共犯者』ではない。
無花果さんと同様の、『表現者』だ。
もちろん格の違いはあるけど、その一点においてのみ、僕は無花果さんの隣に立てる。
『相棒』だと、胸を張って言えるのだ。
……僕も、だいぶ『モンスター』として成熟してきた。
『表現』の裏側、『影』の部分なんて、普通のニンゲンからしたら理解の及ばない未知の領域だ。表層だけ眺めて当たり障りのない感じ方をしている方がラクに決まっている。
しかし、『モンスター』である僕は、おそれることなくその暗闇に足を突っ込む。
今さら、『モンスター』としての奈落に落ちていくことをためらいはしない。
そこに撮影すべき真実があるのならば。
暗闇の中でただひとつ光るものがあるのならば。
よろこんで、僕は『表現者』としてこの身を、たましいさえも捧げよう。
あのお笑いコンビがそうだったように。
無花果さんがそうであるように。
『表現者』として生きていくとは、つまりそういうことだ。
……帰ったら、久しぶりにコメディ映画でも見てみようか。チャップリンなんていいかもしれない。古典にはロマンがある。どうせなら、あのとんこつラーメンくらいこてこての喜劇がいい。
悲劇を悲劇のまま終わらせなかった精神を、もっともっと感じたい。『表現』のちからを、このこころに突き立てたい。
映画のためにはポップコーンとコーラが必要だ。帰りにコンビニで調達してこよう。
久しぶりにテレビをつけて、DVDを見て……ああ、今から顔がにやけてしまう。
夜更かしをして、コメディを見る。そんなしあわせが、ここにはある。
思いっきり笑え、日下部まひろ。
明日を生きていくために、笑え。
なにもかもを振りほどくために、笑え。
そうすれば、『死』も絶望もひどい世界も、なにもかももう僕には追いつけなくなる。
笑ったやつが一等賞。
そんな言葉を胸に、僕は蒸し暑さの迫る夏の夜、チャップリン映画を見繕いにレンタルDVDショップへといそいそと足を運ぶのだった。