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№2 『壁に耳あり』

 新人アルバイト、カゲローさんが入ってから二日目。


 当然ながら都合よく依頼が入るはずもなく、僕たちはのんべんだらりと日常を過ごしていた。


 そろそろ『アトリエ』の片付けをしようということになって、めんどくさがる無花果さんを連れて向かう。カゲローさんにも手伝いをお願いした。


 ぶちぶち言いながら資材を整理する無花果さんの近くで、僕たちはそれぞれ床や窓を拭いたりゴミを撤去したりしていた。


「……あれ……?」


 カゲローさんがなにかを拾い上げて不思議そうな顔をする。その手には、真っ黒に干からびたものがあった。


「なんでこんなとこにキクラゲなんて落ちてんすか??」


「ああ、それは死体の耳だね!」


 振り返った無花果さんが答えた。


「ずいぶん古いものらしいけど、それもしっかりと火葬に回さなくては!」


 そう言って、無花果さんは手を差し伸べた。


 ……しかし、カゲローさんは『キクラゲ』をじっと見つめたまま返そうとしない。無花果さんの意図を察していないわけではないだろう。しかし、死体の耳を手渡すことはなかった。


 その代わり。


 カゲローさんは黒く干からびた死体の耳を、おもむろに壁にくっつけた。


 そして、


「……『壁に耳あり』……なんつって!」


 そう言って、大爆笑した。


 途端に『アトリエ』の、無花果さんの気配が凍りついたのがわかった。しかし、カゲローさんにはわかっていない。げらげら大笑いしながら、


「ウケるっしょ! リアル『壁に耳あり』! マジモンの死体でできるってめっちゃレア体験じゃん! これ絶対バズるって!」


 そんな風に言うカゲローさんの手を、無花果さんは思いっきり払った。ぱあん!と痛烈な音がして、カゲローさんの手から死体の耳が落ちる。


 それを大事に拾い上げると、無花果さんは無言で作業に戻った。


 ……完全に空気が凍てついている……


「あれー? ウケないんすかー? おっかしいなー、もしかして無花果さん、笑いの沸点高い系?」


 無花果さんは無視している。しかし、明らかにその背中はカゲローさんを拒絶していた。


 ……これはマズいな……


「……あの、ここはもういいから……事務所の掃除、お願い」


「えー、なんでっすかー?」


「いいから」


「わかりましたー、事務所戻りまーす」


 不満気な顔をして、カゲローさんは『アトリエ』を出ていった。


 あとにふたりだけ残されて、気まずい空気になる。


「……あの、無花果さん……?」


「なんだい、まひろくん?」


「……なんでもないです……」


 ひどく冷えきった声に、僕まで怖気づいてしまう。


 棚を拭きながら、僕はカゲローさんの『ヤラカシ』がこれだけで終わる気がせず、内心ひやひやするのだった。




 また別の場面。


 カゲローさんは、今度はパソコンに向かっている三笠木さんに絡みにいった。


 自撮り棒で撮影しながら、


「三笠木さーん、なんかしゃべってくださいよー、いつもの再翻訳口調、絶対ウケるんすよー」


 しかし、三笠木さんは一切口を開こうとしない。一瞥もくれずにキーボードを叩いている。


 それも気にせず、カゲローさんは撮影を続けた。げらげらと笑いながら、


「そんな澄ました顔して、無花果さんとはヤったんすかー?」


 狙い違わず地雷を踏み抜いてきた。


 三笠木さんは一見すると無反応だが、眉間にほんの少しだけシワが寄ったのを、僕は見逃さなかった。


 カゲローさんはなおもしつこく絡み、


「ねえねえ、どうなんすかー? 無花果さんってめっちゃ『良さそう』じゃないすかー。こんなん、三笠木さんだって食っちゃいますよねー? おいしくいただいたんすかー?」


 にやにやしながら聞いてくるカゲローさんの前で、三笠木さんは一枚のコピー用紙を手に取った。


 そして、なにも書いてないそれを、ぐしゃ!と握り潰すと、そのままゴミ箱に放り込んでしまった。


 あとは、なにごともなかったかのようにパソコンに向かい続ける。


 ……これは、明らかにいらついている。


 感情表現をしない三笠木さんが、そこまでやったのだ。カゲローさんは、かなりの巨大な地雷を踏み抜いてしまった。


 そうとは知らずに、カゲローさんは無反応に見える三笠木さんからカメラを外し、


「ちぇ。シラケるー。ちょっとくらいノってくれたっていいじゃん。『死体探偵事務所のただれた関係!』とかやりたかったのになー。再生数、万は行くのに」


 ああ、三笠木さんのん眉間にまたシワが寄っていく。頼むから空気を読んでくれ。


「……カゲローさん、お使いお願いします」


 僕がなんとか三笠木さんから離そうと仕事を頼むと、カゲローさんはまたも不満げな顔をして、


「えー、そんなことまでやるんすかー?」


「これも雑用の仕事だから……僕もやってるし」


「大変なんすねー、雑用も」


「とにかく、お金とtaspo渡すから」


「はーい、いってきまーす」


 そう言い残し、カゲローさんはやっと事務所から出ていってくれた。


 ……またも、事務所の空気が凍てついている。


「……あの、三笠木さん……」


「なんですか、日下部さん?」


「……なんでもありません……」


 同じようなやりとりを繰り返し、僕は確実にカゲローさんがこの事務所にとっての『異物』になっていることを確信するのだった。





 そして帰り際。


 今日はいろいろあったけど、なんとか乗り切ったな……と考えながら帰り支度をしていると、所長とカゲローさんのコラボ配信の声が聞こえてきた。


「マジやべーっすね、この事務所!」


「あははー、そんなに変わったことなかったでしょー」


「いやいや、死体の耳落ちてるとかありえねーっすよ! しくったなー、あの部屋にスマホ持ってくんだった」


「ダメだよー。『アトリエ』はいちじくちゃんの『創作活動』の現場だから、カメラは禁止ねー」


「えー、ナマの死体アート、絶対撮れ高あんのに。安土さん、なんで実況しないんすかー? 確実にバズんのに」


「いちじくちゃんのアートは、そういう風にはとらえちゃいけないと思うんだよねー」


「わかんねー。ただの死体だってみんなめっちゃ食いつくのに、死体使ったアートなんて絶対食いつきいいに決まってるっすよー。ねー、やりましょうよー、コラボ記念にさー」


「それはうなずけないねー。僕の視聴者だってそういうのは期待してないだろうしさー。ねー、視聴者のみなさまー?」


「えー、安土さんの視聴者、案外つまんねーっすね。俺のリスナーなら大ウケ確実なのに。『わかってる』やつらしかいねーっすから、俺の視聴者」


「あははー、僕の視聴者は違った意味で『こころえてる』からさー。別に死体なんて映さなくても、僕がだらだらおしゃべりしてるだけで満足してくれるんだよー」


「もったいねー。全然わかってないじゃないすか。ま、俺のリスナーならその価値、わかると思うんすよねー。だから、ちょっとだけでもいいっすよね?」


「はいダメー。とにかく、『アトリエ』には絶対にカメラ持ち込まないことー。わかったかなー、カゲローくーん?」


「へいへい、わかりましたよー。あー、死体アート実況とか、絶対バズんのになー」


 ……そんな会話が聞こえてきて、僕はついうんざりしてしまった。


 所長もその視聴者たちも、『作品』の価値や意味を『こころえている』からこそ、絶対にカメラには映さない。


 それを、カゲローさんは履き違えている。


 ウケるとか、 バズるとか、撮れ高とか。


 完全に自分のことしか考えていない。


 ……現代の陽キャ有名配信者って、こんなんなのかな……


 とにもかくにも、僕とは決して相容れない。


 今日一日で、事務所でのカゲローさんの『異物感』ははっきりと浮き上がってしまった。


 ……明日は、なにもやらかしませんように……


 そっとそう願い、僕はロッカーの扉を閉めるのだった。

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