新人アルバイト、カゲローさんが入ってから二日目。
当然ながら都合よく依頼が入るはずもなく、僕たちはのんべんだらりと日常を過ごしていた。
そろそろ『アトリエ』の片付けをしようということになって、めんどくさがる無花果さんを連れて向かう。カゲローさんにも手伝いをお願いした。
ぶちぶち言いながら資材を整理する無花果さんの近くで、僕たちはそれぞれ床や窓を拭いたりゴミを撤去したりしていた。
「……あれ……?」
カゲローさんがなにかを拾い上げて不思議そうな顔をする。その手には、真っ黒に干からびたものがあった。
「なんでこんなとこにキクラゲなんて落ちてんすか??」
「ああ、それは死体の耳だね!」
振り返った無花果さんが答えた。
「ずいぶん古いものらしいけど、それもしっかりと火葬に回さなくては!」
そう言って、無花果さんは手を差し伸べた。
……しかし、カゲローさんは『キクラゲ』をじっと見つめたまま返そうとしない。無花果さんの意図を察していないわけではないだろう。しかし、死体の耳を手渡すことはなかった。
その代わり。
カゲローさんは黒く干からびた死体の耳を、おもむろに壁にくっつけた。
そして、
「……『壁に耳あり』……なんつって!」
そう言って、大爆笑した。
途端に『アトリエ』の、無花果さんの気配が凍りついたのがわかった。しかし、カゲローさんにはわかっていない。げらげら大笑いしながら、
「ウケるっしょ! リアル『壁に耳あり』! マジモンの死体でできるってめっちゃレア体験じゃん! これ絶対バズるって!」
そんな風に言うカゲローさんの手を、無花果さんは思いっきり払った。ぱあん!と痛烈な音がして、カゲローさんの手から死体の耳が落ちる。
それを大事に拾い上げると、無花果さんは無言で作業に戻った。
……完全に空気が凍てついている……
「あれー? ウケないんすかー? おっかしいなー、もしかして無花果さん、笑いの沸点高い系?」
無花果さんは無視している。しかし、明らかにその背中はカゲローさんを拒絶していた。
……これはマズいな……
「……あの、ここはもういいから……事務所の掃除、お願い」
「えー、なんでっすかー?」
「いいから」
「わかりましたー、事務所戻りまーす」
不満気な顔をして、カゲローさんは『アトリエ』を出ていった。
あとにふたりだけ残されて、気まずい空気になる。
「……あの、無花果さん……?」
「なんだい、まひろくん?」
「……なんでもないです……」
ひどく冷えきった声に、僕まで怖気づいてしまう。
棚を拭きながら、僕はカゲローさんの『ヤラカシ』がこれだけで終わる気がせず、内心ひやひやするのだった。
また別の場面。
カゲローさんは、今度はパソコンに向かっている三笠木さんに絡みにいった。
自撮り棒で撮影しながら、
「三笠木さーん、なんかしゃべってくださいよー、いつもの再翻訳口調、絶対ウケるんすよー」
しかし、三笠木さんは一切口を開こうとしない。一瞥もくれずにキーボードを叩いている。
それも気にせず、カゲローさんは撮影を続けた。げらげらと笑いながら、
「そんな澄ました顔して、無花果さんとはヤったんすかー?」
狙い違わず地雷を踏み抜いてきた。
三笠木さんは一見すると無反応だが、眉間にほんの少しだけシワが寄ったのを、僕は見逃さなかった。
カゲローさんはなおもしつこく絡み、
「ねえねえ、どうなんすかー? 無花果さんってめっちゃ『良さそう』じゃないすかー。こんなん、三笠木さんだって食っちゃいますよねー? おいしくいただいたんすかー?」
にやにやしながら聞いてくるカゲローさんの前で、三笠木さんは一枚のコピー用紙を手に取った。
そして、なにも書いてないそれを、ぐしゃ!と握り潰すと、そのままゴミ箱に放り込んでしまった。
あとは、なにごともなかったかのようにパソコンに向かい続ける。
……これは、明らかにいらついている。
感情表現をしない三笠木さんが、そこまでやったのだ。カゲローさんは、かなりの巨大な地雷を踏み抜いてしまった。
そうとは知らずに、カゲローさんは無反応に見える三笠木さんからカメラを外し、
「ちぇ。シラケるー。ちょっとくらいノってくれたっていいじゃん。『死体探偵事務所のただれた関係!』とかやりたかったのになー。再生数、万は行くのに」
ああ、三笠木さんのん眉間にまたシワが寄っていく。頼むから空気を読んでくれ。
「……カゲローさん、お使いお願いします」
僕がなんとか三笠木さんから離そうと仕事を頼むと、カゲローさんはまたも不満げな顔をして、
「えー、そんなことまでやるんすかー?」
「これも雑用の仕事だから……僕もやってるし」
「大変なんすねー、雑用も」
「とにかく、お金とtaspo渡すから」
「はーい、いってきまーす」
そう言い残し、カゲローさんはやっと事務所から出ていってくれた。
……またも、事務所の空気が凍てついている。
「……あの、三笠木さん……」
「なんですか、日下部さん?」
「……なんでもありません……」
同じようなやりとりを繰り返し、僕は確実にカゲローさんがこの事務所にとっての『異物』になっていることを確信するのだった。
そして帰り際。
今日はいろいろあったけど、なんとか乗り切ったな……と考えながら帰り支度をしていると、所長とカゲローさんのコラボ配信の声が聞こえてきた。
「マジやべーっすね、この事務所!」
「あははー、そんなに変わったことなかったでしょー」
「いやいや、死体の耳落ちてるとかありえねーっすよ! しくったなー、あの部屋にスマホ持ってくんだった」
「ダメだよー。『アトリエ』はいちじくちゃんの『創作活動』の現場だから、カメラは禁止ねー」
「えー、ナマの死体アート、絶対撮れ高あんのに。安土さん、なんで実況しないんすかー? 確実にバズんのに」
「いちじくちゃんのアートは、そういう風にはとらえちゃいけないと思うんだよねー」
「わかんねー。ただの死体だってみんなめっちゃ食いつくのに、死体使ったアートなんて絶対食いつきいいに決まってるっすよー。ねー、やりましょうよー、コラボ記念にさー」
「それはうなずけないねー。僕の視聴者だってそういうのは期待してないだろうしさー。ねー、視聴者のみなさまー?」
「えー、安土さんの視聴者、案外つまんねーっすね。俺のリスナーなら大ウケ確実なのに。『わかってる』やつらしかいねーっすから、俺の視聴者」
「あははー、僕の視聴者は違った意味で『こころえてる』からさー。別に死体なんて映さなくても、僕がだらだらおしゃべりしてるだけで満足してくれるんだよー」
「もったいねー。全然わかってないじゃないすか。ま、俺のリスナーならその価値、わかると思うんすよねー。だから、ちょっとだけでもいいっすよね?」
「はいダメー。とにかく、『アトリエ』には絶対にカメラ持ち込まないことー。わかったかなー、カゲローくーん?」
「へいへい、わかりましたよー。あー、死体アート実況とか、絶対バズんのになー」
……そんな会話が聞こえてきて、僕はついうんざりしてしまった。
所長もその視聴者たちも、『作品』の価値や意味を『こころえている』からこそ、絶対にカメラには映さない。
それを、カゲローさんは履き違えている。
ウケるとか、 バズるとか、撮れ高とか。
完全に自分のことしか考えていない。
……現代の陽キャ有名配信者って、こんなんなのかな……
とにもかくにも、僕とは決して相容れない。
今日一日で、事務所でのカゲローさんの『異物感』ははっきりと浮き上がってしまった。
……明日は、なにもやらかしませんように……
そっとそう願い、僕はロッカーの扉を閉めるのだった。