カゲローさんがバイトに入って、数々の『ヤラカシ』で顰蹙を買いながらの五日目。
事態は急展開を迎えた。
依頼人がやって来たのだ。
依頼内容自体はそう複雑なものではなく、遺書を残して消えた自殺体を探してほしいというものだった。
いつものように『質問攻め』をして死者の思考をトレースしている間にも、何度もカゲローさんのカメラが割って入ってきた。無花果さんはうざったそうにしながらも、なんの声もかけない。『関わりたくない』と全身で言っているようだった。
そして割り出した死体を見つけに行くために軽トラに乗って山中へ向かう。軽トラはふたり乗りなので、ここではカゲローさんのカメラは回らなかった。
苦労してたどり着いた山奥の杉の木で、首を吊っている死体を発見する。例のごとく『種明かし』をしてもらったあと、死体をブルーシートにくるんで荷台に乗せ、事務所に帰る。
素材がそろったら、あとは『創作活動』の時間だ。
『アトリエ』に死体を運び込み、無花果さんは早速祈りを捧げ始めた。『アトリエ』内ではカゲローさんも見学している。
なんとなく不穏な気配がした。こんな大切な場面でまたなにか『ヤラカシ』をしないかと、カメラの準備をしながらちらちらとカゲローさんを見やる。
ここではカメラも回っていないし、カゲローさんはあくまでも大人しく『創作活動』を見学していた。
そしていつもの呪文を皮切りに、無花果さんは猛然と死体に向き合う。僕もシャッターを切り始める。
無花果さんが死体を『喰い』、『消化』し、『排泄』していく。切なくなるほどの痛みを伴う、芸術的な『表現』の暴力。
息を切らして死体を『装飾』していく無花果さんの姿を、僕は必死にカメラで追った。何度もシャッターを切っていると、加熱したマシンガンを乱射しているような気分になる。
この現場では、『表現』のみがものを言う。そして、僕たちはそれを許された『表現者』だ。
もうすぐ、『作品』が完成する。
僕と無花果さんは、最大限死体に集中していた。
……それゆえ、気づかなかった。
『なにをしている』
不意に聞いたことのない、ぞっとするような冷たい声が聞こえてきた。氷の方がまだあたたかいと思えるような、骨の芯まで届くような、そんな声だ。
さすがに、無花果さんも僕もはっとして振り返った。
そこには、こっそりと隠し持っていたスマホのカメラをこっちに向けているカゲローさんと、その背後に立つ所長の姿があった。
……さっきのは、所長の声だった……?
メガネで光が反射してよく見えないまなざしでカゲローさんを見下ろしている所長は、ただ静かにたたずんでいる。
カゲローさんは一瞬『やべ』とバツの悪そうな顔をしたあと、イタズラがバレた子供のようにへらりと笑い、
「いやー、撮るなって言われても撮りたくなるじゃないすか、死体アートなんて! 絶対バズると思って! あははー、もしかして怒ってるっすか?」
あくまでも軽い調子のカゲローさんの手から、ひょい、とスマホを取り上げる所長。
そして、次の瞬間、床に落としたスマホを便所サンダルで踏み砕いてしまった。
ぐしゃ、と機械が壊れる音が響く。
しばらくの間呆然としていたけど、粉々になったスマホを見下ろして、急激にカゲローさんの顔色が変わった。
「なにすんだよ!? 今日サブ回線持ってきてねえんだぞ! 貴重な撮れ高シーンなのに、どうしてくれんだよ!?」
こんな場面でもまだ『撮れ高』か。適当な敬語も忘れて詰め寄ると、所長はやっといつも通りににっこり笑って、
「ごめんねー、弁償するから許してねー」
そう言いながらも、便所サンダルはぐりぐりと壊れたスマホを踏みつけ続けている。徹底的に破壊してやるという意志を感じた。
謝罪になっていない謝罪に、カゲローさんがますます語調を強める。
「ふざけんな! そういう問題じゃねえんだよ! こっちはバズる瀬戸際だってのに……」
「それはこっちのセリフだよー。『アトリエ』は聖域だからカメラの持ち込みは禁止って言ったよねー?」
「そ、それは……!」
約束を破ったことを指摘されると、きょろきょろと目を泳がせてから、逆ギレしたカゲローさんはいきなり僕を指さして言った。
「じゃあ、なんでこいつはいいんだよ!?」
いきなり水を向けられて、僕は思わず固まってしまった。
しかし所長は幼児に当たり前のことを説明するかのように、
「ああ、まひろくんは『記録者』だからねー。そういう役割だから、むしろ撮影してもらわないと困るんだよー。対して、君にはなんの役割も振られてないでしょー。だから言ったのにー」
「はあ!? 俺は有名ティックトッカーだぞ!? 俺よりも記録者にふさわしい人間なんていねえだろ!?」
「はいはーい、そうやって『わかってる』らしいひとたちにばら撒くんでしょー。そんでティッシュみたいに消費して、飽きたら捨てるんでしょー……春原無花果の『作品』は、そんな風に消費していいものじゃない」
……また、腹の底から冷えるような声。メガネの奥のまなざしは、今どんな風になっているのだろうか。
唖然としているのは、僕たちもカゲローさんもいっしょだった。いつもにこにこしている所長が、こんな風にだれかを脅しつけるなんて。
それでも、カゲローさんはしつこく食ってかかった。
「エンタメなんて消耗品だろうが! 閲覧回数順に上から見てって、つまんなかったらスワイプ! スワイプ! 俺はそういう場所で勝負してんだよ!」
すごまれた所長はまたしてもにこやかに笑い、挑発するように明るい声で応じた。
「えー、いっちょまえに勝負師気取りー? そもそも君、履き違えてるねー。エンタメ? 消耗品? この『創作活動』見てその程度の感想しか言えないなら、センスないよー、君。ダサいねー、よっ、有名ティックトッカー!」
笑顔で煽りに煽っている所長にまんまと乗せられ、カゲローさんはたちまち顔を真っ赤にして怒鳴った。
「くっそ腹立つ! マジありえねー! 覚えてろよ!」
そして、そのまま『アトリエ』からずかずかと出ていった。あとにはスマホの残骸からようやく足をどけた所長が笑っている。
「ごめんねー、邪魔しちゃってー。続けてねー」
ちょっとした不手際を詫びるように片手で手刀を作ると、所長もそのまま『アトリエ』をあとにした。
……なんだったんだ。さっきのやりとりは。
けど、これだけははっきりとわかった。
カゲローさんは、踏み込んではいけないところに踏み込んでしまった。最大級の地雷を踏み抜いてしまったのだと。
だからこそ、『庭』の主である所長は、あんな風に振舞ったのだ。
……いつものんべんだらりと配信をしているひととは、とても同一人物とは思えない対応だったけど。
「……続けるよ、まひろくん」
無花果さんがいつもより疲れた声をかけてきた。
そうだ、『創作活動』。
我に返ってカメラを構え直すと、僕もモードを切り替える。
「……わかりました」
無花果さんは勢いを削がれた分、より気力を振り絞って死体と向き合った。
僕もそれに応えるように、次々と『創作活動』の様子をフィルムに焼き付けていく。
……それでも、さっきまでのような熱に浮かされた没入感は、なかなか得られなかった。
気もそぞろ、というのはこのことか。
いや、これでは無花果さんに、そして『作品』に対して失礼だ。気合いを入れろ、日下部まひろ。
無理やりにおのれを鼓舞してテンションを高め、僕は『作品』が完成するまで、そして完成してからも何枚も写真を撮り続けるのだった。