なんとか完成した『作品』をこころゆくまで撮影すると、僕は事務所に戻ってきた。
途端、怒鳴り声が聞こえてくる。
「なんでだよ!?」
デスクの前でがなるカゲローさんに向かって、配信をしながら電子タバコを吸い、所長はにこにこと告げる。
「だからね、君、クビねー」
「一週間って約束だっただろ!?」
「わかんない子だねー、君も」
どうでもよさそうにため息をひとつつくと、所長は幼子に教えさとすような口調で続ける。
「あのねー、別に理解しろとは言ってないんだよー。僕だって完璧には理解できてないんだからさー。赤の他人に理解を求めるほど、僕も傲慢じゃないしねー」
「はあ!? 理解!?」
「だからねー、理解はしなくていいのー。ただ、その分『わきまえろ』って言ってるんだよー。理解できないなりにねー。『死』も『芸術』も、決して踏みにじっちゃいけないものだってことくらい、幼稚園児にだってわかるでしょー?」
「だから! 俺は有名にしてやろうって!」
「その考えがもう、冒涜的だよねー。ホントのこと言ってみてよー、有名になるのは『作品』じゃなくて『君』でしょー? こんなすごいの撮れる俺ってすごい!褒めたたえろ!ってさー。承認欲求が透けて見えるの、笑えるー」
「…………っ!」
「そうやって『作品』を踏み台としてのエンタメとしかとらえられない人間なんて、この事務所には要らないんだよねー。むしろ、異物だよー。異物は排除しないとねー。ってことで、君はクビー」
噛み砕いて重ねて説明しても、どうせカゲローさんには届かないだろう。現に、カゲローさんの表情にあるのは怒りの一色だけだ。
ふるふると震えているカゲローさんに、つかつかと三笠木さんが歩み寄った。そして、紙切れを一枚渡す。
「……なんだよ、これ……?」
「給料の源泉徴収票です。五日分の給料は、指定口座にお支払いします。また、破損した端末の弁済についても、追って請求書を送付してください」
「……は?……は??」
「以上です。お疲れ様でした」
それっきり、三笠木さんはなにごともなかったかのようにデスクに戻ってキーボードを叩き始めた。
あまりにも事務的すぎるその態度に、カゲローさんの怒りも爆発してしまう。もらった源泉徴収票を握り潰して床に叩きつけ、
「バカにすんな! 俺がだれだかわかってんのか!? 有名インフルエンサーだぞ!? こんなクソ探偵事務所、すぐにだって悪評ばらまいて、潰してやる!」
「だってさー、視聴者のみなさまー。カゲローくんの渾身の一発ギャグ、唯一ウケる発言来たねー」
そんな脅しも、所長は配信を続けて見向きもしない。あまつさえ、また煽りに煽る。
カゲローさんはそんな所長をぎろっとにらみつけ、
「俺のフォロワーが黙ってないからな!? みんな俺の味方なんだぞ!? 全員で総力挙げて潰してやる!」
「はいはーい。あのねー、こちとらダテに世界に向けてぶっ続け配信してるわけじゃないんだよー。数で語るのは愚か者のすることだけどさー、フォロワーの数も厚みも考えてからもの言いなねー、ボクちゃーん?」
所長のスマホから、視聴者たちもいっしょになって嘲笑する声が聞こえてくるようだった。
こんな屈辱、カゲローさんは経験したことがなかったのだろう。だから逆ギレして、子供みたいに騒いで、脅しつけて、みっともなく言い負かされている。
もうなにも言えなくなってしまったカゲローさんに、所長はやっと視線を向けた。
そして、トドメの一言を放つ。
「あれー? どうちたのおかおまっかでちゅよー?」
「クソっ!! キッショいんだよ、なにへらへら笑ってんだ!?」
だん、と地団駄を踏むと、カゲローさんはきびすを返した。僕たちに背を向けて、事務所の出入口へと向かう。
去り際、
「……ぜってー、さらしものにしてやるからな……!」
そんな捨て台詞の見本のようなものを残して、事務所のドアをばん!と閉じて、カゲローさんはいなくなってしまった。
「あーあ、だから『ウチはキツいよ』って言ったのにー。ねー?」
視聴者に向けて、そして僕たちメンバーに向けて、くすくす笑う所長。
三笠木さんがキーボードを叩く手を止め、装甲グローブの入っているデスクの引き出しに手をかけて問う。
「『処理』は必要ではありませんか?」
「いいよいいよー、めんどくさいからさー。クビくらいが適当でしょー。そもそも、今回の件は僕がまいた種だしねー。あんまりいじめるのもかわいそうだしさー、今回は見逃してあげようよー」
「了解しました」
そう返答して、三笠木さんは引き出しから離した手で再びキーボードを叩き始める。
「君の言う通り、ヘタに部外者入れるもんじゃないねー。僕も調子こいちゃった、反省はんせーい」
反省している態度ではないが、所長も内心では後悔しているのだろう。『庭』の平穏を、いっときでも乱してしまったことを。
「いいんですか、あのひと有名ティックトッカーなんでしょう? 事務所の悪評ばらまくとか言ってましたけど……」
心配になって尋ねると、所長は軽く笑いながら手をひらひらさせて、
「大丈夫大丈夫ー。そこんとこは僕の視聴者のみなさまがなんとかしてくれるよー。ねー?」
そう言って、カメラに向けてにっこり微笑みかけた。
……所長はそう言ってるけど、なんだかイヤな予感がする。絶対にこのまま無事に終わらないという予感だ。
もう一波乱あるだろう。
カゲローさんの最後の『ヤラカシ』が。
「ほらほら、まひろくーん。いちじくちゃんシャワー上がったみたいだから、君もひとっぷろ浴びてきなよー。とんこつラーメンは小鳥ちゃんがUberしてくれるからさー」
そうだ、今まで僕たちは『創作活動』に明け暮れていたのだ。早くこの熱と死臭をどうにかしなくては。
テーブルにカメラを置くと、おさきー、とシャワールームから出てくる無花果さんと入れ違いになる。
服を脱いでシャワールームに入り、頭から生ぬるいお湯を浴びて、ようやく緊張がほぐれてきた。
……けど、どうしてもイヤな予感だけはこころの奥底にこびりついて取れない。
このままでは終わらない。
少しだけ同じニンゲンの部分が残っている僕にはわかる。
カゲローさんは、なにかやらかす。
ネット上では所長に敵わないだろうけど、必ずなにか災厄を引き連れて戻ってくる。
それがどんなものかはわからないけど、『庭』がかき乱されるのは気分が良くない。
……考えをそうそうに切り上げて、僕は泡をシャワーで洗い流した。シャワールームを出て、からだを拭いて着替える。
脱衣所を出たあとの無花果さんとの下ネタ会話、『調律』の待ち時間、そしてとんこつラーメンの儀。
すべては元通りだ。
なんだか、みんな清々したように声が弾んでいる。ようやく軽口の応酬がいつも通り軽妙になった。
「……あ」
恒例の口喧嘩をしていると、ふと、かたんと物音がした。
見れば、事務所の奥の『巣』と書かれたプレートが落ちている。
「小鳥さん、落ちましたよ。元に戻しておきますね」
閉じきったままの扉に向けて声をかけてから、僕はプレートを元の位置にかけ直した。
そして、なにごともなく口喧嘩に戻っていく。
とんこつラーメンを食べ終えて、写真を現像して、それを無花果さんに褒めてもらって、依頼人に送る分をわけて、残りを暗室のキャビネットにしまって……
そうして、なんとか今回の依頼も完遂できた。
帰り支度をして挨拶をしてから、事務所を後にする。
……なんだか、こういう雰囲気が懐かしいな……
カゲローさんが来たのはここ数日のことだというのに、すっかりノスタルジーを感じてしまっている。
それくらい、波乱の五日間だったということだ。
すべては終わった。
けど、むわっとした蒸し暑い夜のように、不安ばかりが胸にまとわりついて離れない。
……このまま、なにごともなく。
そう祈りながら、僕は家路を急ぐのだった。