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№6 強襲

 カゲローさんがバイトをクビになってから数日経った夜。


 僕は、事務所にカメラのレンズを忘れてきたことに自宅で気づいた。別に今すぐ必要なものでもないけど、『表現』のためのツールを放っておくのも気が引ける。道具は大切にしなければならない。


 もう深夜だ。きっと事務所には誰もいないだろう。


 ……いや、小鳥さんはいるか。


 とられるものもないので、基本的に事務所に鍵はかかっておらず、だれでも入れるようになっている。


 ついでに小鳥さんに差し入れでも持っていくか。


 自宅を出た僕はコンビニに寄ってアイスを買うと、そのまま事務所へと向かった。


 風俗店のネオンだけが輝く雑居ビルの階段を上り、五階へと。


 ……あれ?


 事務所の扉が開けっ放しになっている。だれかいるのだろうか。


 怪訝に思って真っ暗な事務所に踏み込んだ瞬間、なにかが壊れるような物音がした。しかも立て続けにだ。


 なにかが起こっている。


 脳内にアラートが響き渡った。


 また、破壊音が鳴り響く。


「だれだ!?」


 暗闇に向かって誰何の声を上げると、ぼんやりとしたスマホの明かりが侵入者の顔を浮かび上がらせた。


 ……カゲローさんだ。


 手にはスマホと、金属バットを持っている。


 照らし出された範囲内のものは粗方破壊されていて、事務所は散々に荒らされていた。デスクもパソコンもキャビネットも応接セットも、すべてめちゃくちゃだ。片っ端から叩いて壊したのだろう。


「なにしてるんだ!?」


「見りゃわかるだろ! 強盗だよ!」


 スマホのブルーライトで浮かび上がったカゲローさんの顔は、引きつったような笑みを浮かべていた。ひひひ、と笑ってすでに壊されている所長のデスクに金属バットを振り下ろした。がしゃん!と酷い音がする。


「ひ、ひひ! なにが『無花果信者』だよ!? 俺のフォロワー減りまくってんだぞ!? なにしたかわかんねえけど、全部あのオッサンのせいだ! 俺の!! フォロワーが!!」


 半笑いで叫びながら、手当たり次第にものに当たっている。駄々っ子だってこんなことはしない。


 たぶん、事務所の悪評をばらまこうとしたカゲローさんのフォロワーを、所長の視聴者たちが『なんとか』したのだろう。それで、カゲローさんのフォロワーはいなくなってしまった。


 今まで『フォロワーの数』がアイデンティティだったカゲローさんは、それを取り上げられて壊れてしまった。


 やぶれかぶれになって、事務所襲撃なんてことをしでかしたのだ。


 いびつな笑みを浮かべながら、スマホのライトで浮かび上がったカゲローさんはヤケクソのように吠えた。


「こうなったら、有名ティックトッカーカゲロー最後の配信だ! 強盗実況生中継! ハロー、みんな見てる!? こんなところ、めちゃくちゃにしてやるからな!」


「やめろ! こんなことして、なんになるっていうんだ!」


 とっさに止めようと近づいた僕の腹に、カゲローさんは容赦なく金属バットをフルスイングした。内蔵が打撃を受け、痛みとともに胃液がせり上がってきた。


 鈍痛を抱えてひざまずき、胃液を吐く僕に向かって、カゲローさんは次の一撃を叩き込む。今度は脇腹を金属バットで殴打されて、僕はその場になぎ倒された。


 痛い、息ができない、苦しい……!


 相手は武器を持っている。そして僕はただの素人だ。


 こんなとき、三笠木さんがいれば難なく片付けてしまうんだろうけど、あいにく僕にはそんな超人的なちからはない。


 要するに、壊れていく『庭』を前にして、なにもできないのだ。


 あまりにも無力すぎる。


 くやしさに奥歯を噛み締めていると、カゲローさんは金属バットを振り回してさらに暴れた。


 キャビネットを徹底的に破壊しながら、笑う。


「ひひひ! お前、たしか『記録者』とか言ってたなあ!? ただのカメラマンが、いっちょまえにカッコつけやがってよお! だったらさあ、大切な事務所がめちゃくちゃにされてくところも、しっかり『記録』しろよ!」


 びくびくと痙攣しながら横たわっている僕のすぐそばに、カゲローさんがしゃがみこんだ。そして、僕の髪を掴むと強制的に顔を上げさせ、苦痛に歪んだ表情にカメラを向ける。


 ぼこぼこにやられた僕の醜態が、今、世界に向かって配信されているのだ。


「みんな、見てるう!? ひひひ、ダッセェなあ、パイセン!? なにが『記録者』だよ! 俺さあ、このスカしたツラに一発入れたいと思ってたんだよね! ほーら、いくぞいくぞー! おらっ!」


 カゲローさんのこぶしが、僕の左頬に叩き込まれる。がくん、と脳が揺れて、口の中に血の味が広がった。それでも髪をつかまれているので、崩れ落ちることすらままならない。


 焦点の合わない目でカメラを見つめていると、カゲローさんが愉快そうに高笑いした。


「ひひひひひ! これこれえ! すかっとするねえ! みんなー! これからこいつどうするー!? アンケート開催! なんなら殺すう!?」


 ……やっぱり、なにもわかっていない。


 『殺す』なんて強すぎる言葉、そんな簡単に使っていいものじゃない。


 無花果さんも三笠木さんも所長も、みんな冗談であっても『死ね』だとか『殺す』だとかいう言葉は一切使わない。その言葉の重要性をしっかりと認識しているからだ。


 だというのに、こいつは簡単に言ってしまう。


 そんななまっちょろい殺意には、真新しいコピー用紙くらいの切れ味しかなかった。


 ……おかげで、逆に僕は冷静になれた。


「…………ろ、よ…………」


「えー、なにー!? ちゃんとマイクに向かって大きな声でいのちごいしろよ!」


 スマホと耳を近づけてきたカゲローさんの顔に向かって、僕は口に溜まった血とゲロを、ぺ、と吐きかける。そして、


「……やってみろよ……クソガキ以下の、低脳が……!」


 まさか、僕にそんな気概があるとは思ってもみなかったのだろう。ささやかながら、抵抗は意味を成した。


 ぎょっとした様子のカゲローさんは、思わずといった風に僕の髪から手を離す。ごと、と頭蓋骨が床に落ちた。


 うつぶせになって咳き込んでいると、すぐそばにあるカゲローさんの最新のスニーカーの足が震えていた。


「……どいつもこいつも……俺のこと、バカにしやがって……!」


 そして、そのスニーカーのつま先が僕の腹にめり込む。がは、と唾液と血を吐き身悶える僕に、容赦なく連撃が加えられる。


「そんなに言うなら、殺してやるよ! ひ、ひひ、よかったなあ、お前死体アートの素材になれんだぞ!?」


 過酷なリンチを受けながら、それでも僕は悲鳴を上げなかった。上げてしまったら負けだと思った。


 僕のからだをサッカーボールのように散々蹴りまくってから、ようやく満足したカゲローさんは息を荒らげる。


「ひひひ、カメラマン風情が、イキりやがって! なんもできねえじゃねえか! ざまあ!」


 ぼこぼこにされた僕の姿を、スマホで撮影する。一応、まだ死んではいない。さすがにその一線を踏み越えるだけの覚悟はないのだろう。


 やっぱり、この殺意は生ぬるい。


 けど、痛めつけられた僕には、もうなにかを言うちからは残っていなかった。


「よーし、がんがんいこうぜ! 隅から隅までぐっちゃぐちゃにしてやるから、みんな見ててくれよな!」


 残ったフォロワーなんてほとんどいないだろうに、それでもカゲローさんは凶行を配信し続ける。


 すがるものがそれしかないからだ。


 ……うすっぺらい。生ぬるい。味気ない。


 まさしく、論ずるに値せず、だ。


 そんな存在にぼこぼこにやられている僕もまた、ちりあくた程度の存在なんだろうけど、プライドはある。


 屈するものか。


 『庭』が壊されていく音を聞きながら、僕は必死になって苦鳴をこらえるのだった。

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