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№7 暴かれた『鳥かご』

 もう事務所に壊すものがなくなったころ、カゲローさんの視線がふと『巣』のプレートがかかった部屋の扉に向けられた。


 ……まさか……!


「……なあ、小鳥とかいったか……?」 


 ぜいぜいと息を乱しながら、カゲローさんは目を血走らせて金属バットを握り直した。


「こいつの正体暴いたら、ぜってーバズると思わねえ?」


 ……やっぱり。


 だれも踏み込んだことのない開かずの扉を、カゲローさんは破ろうとしているのだ。


 決して開けてはならないドアだと、事務所のだれもが言外にこころえていた。


 なのに、今、侵入者によってその聖域は侵されようとしている。


「……や、め……」


「ひひひ、そこで見てろよ、『記録者』!」


 笑いながら、カゲローさんは扉に向かって金属バットを振り下ろした。がん!と音がして扉の表面がへこむ。


 ……けど、その一発では破れなかった。


「けっこう頑丈だな! おらあ!」


 がん、がん、と何度も殴りつけるけど、扉はぼこぼこにへこむばかりで開こうとはしない。


 呼吸を乱すカゲローさんは、異物を見るような目で扉を眺めながら、


「なんだよ、このドア!?」


 開かずの扉は、予想以上に鉄壁だった。それはそうだ、開けてはいけないドア、そう易々と突破できるはずがない。


「くっそ!」


 今度は体当たりを始める。ぐ、と大きく扉がたわんだ。何度も体当たりを繰り返していると、扉がどんどんひしゃげていく。そして……


 がらん!と扉が内側に倒れた。


「よし、やっと……」


『侵入者を検知。トラップを起動します』


「……へ?」


 突然電子音声が聞こえて、カゲローさんがきょとんとした。


 その瞬間、床から無数の鋭い槍が飛び出してきた。


 ……地下迷宮の罠みたいだ。


「ひっ……!」


 さいわいにも、というか、不幸にも、というか、カゲローさんのからだはかろうじて槍と槍との間に挟まって、怪我は負わなかった。


 しかし、トラップはまだ終わらない。


 カゲローさんが槍をへし折ってようやくどいたその空間に、なにか高熱の液体が降り注ぐ。においからすると、煮えたぎった油だ。


 ……ますます迷宮のトラップじみてきたな……


「なんなんだよ、これ……!?」


 その古典的な罠が、逆に不気味だった。青ざめたカゲローさんの殺意よりも、ずっと鋭い殺意が見え隠れしている。


 入ってきたら殺す、という、強い拒絶の意志を感じた。


 しかし、トラップもそれで種切れだった。


 しん、と静まり返ってからしばらくして、カゲローさんが安堵したような笑声をこぼす。


「……ひ、ひ……! なんだよ、驚かせやがって!」


 そして、スマホのライトを目の前の暗闇に向けた。


「さあ、本邦初公開! 『死体探偵事務所の禁断の聖域に踏み込むぜ』!」


 ……ライトで照らし出された光景に、その言葉も凍りつく。


 それはまるで、レトロフューチャーの漫画に出てくるような見た目だった。


 真っ暗な部屋には、ひとひとり横たわれるくらいのカプセルが置いてある。近未来SFなんかにありがちな、コールドスリープの機械を思わせた。


 そのカプセルにはいくつも点滴の管が繋がっていて、けどスモークガラスの中は何も見えない。CTスキャンのような、脳波を読み取る機械らしきものもカプセルに取り付けられていた。


 ……こんな雑居ビルの中にあるにしては、あまりにも場違いな物体だ。


 カプセルからはなんの光も音も発生していない。しかし、その中に小鳥さんがいることはたしかだ。


 カゲローさんもそう思ったのか、気を取り直して隅々までスマホで撮影すると、


「ひひひ! なんと、死体探偵事務所の開かずの扉の向こうは宇宙人のアジトだった! 今からリトルグレイを引きずり出してやる! 見てろよ!」


 そう言って、カゲローさんは金属バットをカプセルに向かって振り下ろした。『巣』の扉ほどの強度はないらしく、カプセルの表面には簡単にひびが入る。


「おらあ! もういっちょ!」


 がしゃん!がしゃん!と、金属バットを叩きつけるたびにひどい音がした。カプセルは確実に破壊されていく。


 スモークガラスが粉々になり、点滴のチューブはちぎられ、機械類は弾け飛んでスパークしている。


 完全に侵された『聖域』から、カゲローさんは一本の白く細い腕を引きずり出した。


「出てこいよ、ヒキコモリ! いい加減外の世界を見ろ!」


 ずる、と引き出したのは、全裸のニンゲンのからだだった。痩せ細り、肌は異常に白い。髪も同様に白く、からだ中に電極やチューブの管が張り付いていた。


 そのすべてを引きちぎり、無理やりにカプセルの外へと追いやるカゲローさん。よく見れば、その手はいつも軍手に包まれていた、唯一存在を確認できる『あの手』だった。


 ……それが、小鳥さんの正体だった。


 弱々しく抵抗するが、そんな細い腕では意味をなさない。必死に首を横に振り、外に出たくないという強固な意志を示している。


「おら、カメラにごあいさつしろ!」


 その白い髪を掴み、無理やりに顔を上げさせると、カゲローさんのスマホのカメラに小鳥さんの顔が映し出される。


 高校生くらいだろうか、カゲローさんと同じくらいの年頃の中性的な面立ち。しかしその目はウサギのように真っ赤で、眼球がふるふるとわなないている。


 アルビノ、というのだろうか。ごく稀に色素を手放したような生き物が生まれると聞くが、実際に見るのは初めてだった。


 そして……僕の視線は、全裸の股間に釘付けになった。


 ……見覚えのあるものがぶら下がっている。


 僕にもついているものだ。


 その排泄器官が指し示す事実は……


「ひひ! こいつ、男だったのかよ!」


 カゲローさんが辱めるように小鳥さん……いや、小鳥くんの陰部を撮影する。


 ……まさか、男だったとは……


 みんなが『小鳥ちゃん』と呼ぶので、てっきり女の子だとばかり思っていた。あの『巣』のポップな書体も相まって、股間についているものを無視すれば、その中性的な顔つきは女の子にしか見えない。


 しかし、男だ。


 間違いなく、生物学的にはオスだ。


 ……これが、小鳥くん……?


 あまりにも初見の情報量が多すぎて、僕はことの重大さも忘れて混乱に陥っていた。


 決して『巣』から出てこなかった小鳥くん。


 『手』だけの存在だった小鳥くん。


 それでもたしかに事務所のメンバーだった小鳥くん。


 今、その秘められた真実が明らかになった。


 少なくとも、設立者である所長は知っていただろう。


 しかし、僕たちには一切小鳥くんのことは話さなかった。僕たちも無理に聞くことはなかったし、もう完全に『そういう存在』として扱っていた。


 そんなあたたかな秘密に守られていた小鳥くんが、今、暴かれた。


 ピラミッドの秘宝を奪う、『盗掘人』のような侵入者によって。


 思わず、見てはいけないものを見てしまったような気分になった。これは、ずっと閉じ込めておくべきだった秘密だ。無理に破ってしまえば、壊れる。


 そんな壊れ物であるがゆえに、小鳥くんはずっと、この『鳥かご』の中にひとりきりで引きこもっていたのだ。この『鳥かご』は、小鳥くんを閉じ込めるためのものではない。守るためのものだった。


 だが、そんな防壁も、『盗掘人』の無作法な暴力によって突破されてしまった。


 さらしものにされたか細いからだは、壊れてしまう。


 大切に守っていたものが、壊される。


 ……そんなの、ダメだ。


「なんだよ、リトルグレイじゃねえのかよ! ただの白髪の男じゃん! 撮れ高期待したのになー!」


 小柄な手首をつかんで裸体を吊り下げるようにしながら、カゲローさんが吐き捨てる。その口調は、自分が神の領域を侵した『盗掘人』であることを自覚していない。


「なんか言えよ、ほら!」


 がくん、とはだかのからだを揺さぶり、けしかけるカゲローさん。


 なにもできない僕は見ているだけだった。

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