目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

№11 共感覚

「……けど、小鳥にはなにもできない……まひろには触れても、世界に触れないのは同じこと……」


 笑顔を少しさみしい色にして、小鳥くんはつぶやいた。


「小鳥には、みんなみたいなちからはない……」


「そんなことないですよ」


 つい、口を挟んでしまう。気がつけばそう言っていた。


 ……いいや、どうにでもなれ。


 小鳥くんの無力を否定した僕は、そのまま思うがままに言葉を連ねた。


「ここに……この『庭』にいるってことは、少なくとも芸術にこころを動かされたからでしょう? だからこそ、役割を与えられた。小鳥くんは、無花果さんのために調べ物をしたり、『創作活動』の準備をしたり、ちゃんと『庭』の一員としてここにいる。だから、なにもできないなんてことないです」


 そうだ。小鳥くんにはいつも助けられている。たとえ『巣』の内側からであっても、できることはあるはずだ。


 それでも、小鳥くんはかなしげに笑う。


「……それって、小鳥じゃなくてもできること……」


 ……そう言われて、言葉を飲む。なにも言い返せなかった。


 たしかに、これは小鳥くんでなくてもできることだ。『庭』にいる理由はある、役割もある。けど、それは小鳥くんでなければいけない理由にはならない。なれないのだ。


 外の世界に初めて触れた小鳥くんは、今、初めて相対的なアイデンティティ問題に直面している。他者と比べて、自分はなんなのかと問いかけている。


 今までは、『鳥かご』の中でひとりで存在していればよかった。そこには絶対的な評価しかなかった。


 しかし、外の世界に晒されて、他者というものを認識して、比較することを覚えてしまった。


 他のみんなには、『そのひとでなくてはならない』理由がある。しかし、小鳥くんにはそれがない。


 他人に触れるということは、相対的に自分を見つめること、比較することの始まりなのだ。


 それがしあわせなことなのか、ふしあわせなことなのかはわからない。けど、その変化は有無を言わせず訪れる。


 小鳥くんは薄い胸をゆっくりと上下させながら、


「無花果のアートは、すごい……あれは、無花果にしか作れないもの。無花果じゃなきゃいけない……そして、それを『記録』するのは、まひろのカメラじゃなきゃいけない……国治も、笑太郎も、そこにいなきゃいけない……小鳥も、そんな理由がほしい……これって、わがままなのかな……?」


 あんな風になりたい、こんな風になりたい。


 今までなかった欲望が、小鳥くんの中に生まれている。


 空を飛ぶためには、それなりの理由と栄養が必要なのだ。


 小鳥くんを『鳥かご』から出してしまった僕は、なんとかその理由と栄養を与えたかった。空を見せてしまった責任を取らなければならない。希望を見せたからには、背中を押さなければならない。


「……無花果さんの『作品』を見たら、小鳥くんはどうなりますか?」


 糸口を見つけようと、僕はそんな問いかけを投げる。


 小鳥くんは少し考え込んでから、


「……音楽が……頭の中に、流れる……」


「音楽?」


 不思議な答えが返ってきたので、僕はより深く聞こうと繋いだ手を握った。大丈夫だよ、と。


 それに勇気づけられたように、小鳥くんはぽつりぽつりと語り始める。


「……共感覚、って知ってる……?……なにかの感覚が、別の五感に変換される現象……小鳥は、五感で感じたものが音楽になって頭の中に流れる、そんな共感覚を持ってる……からだで感じたものが全部、音楽になる……」


 共感覚。聞いたことはある。数字に色がついて見えたり、触れたものから音が聞こえてきたりする特殊な感覚だ。そんな特殊能力がないニンゲンからしたら、まるで超能力みたいに聞こえるけど、小鳥くんがその能力の持ち主なら……もしかしたら。


「そのノイズは、うるさくない……頭の中に、ぐるぐる、流れ込んでくる……だから、無花果のアートを見ると、音楽が頭の中に流れてくる……」


 それが、小鳥くんなりの世界の、『作品』のとらえ方だった。五感は聴覚に収束し、頭の中に音楽となってあふれ返る。


 ……それは、一体どんな感覚なのだろうか?


 小鳥くんを小鳥くんたらしめているのは、まさにその共感覚であるような気がした。もしも小鳥くんでなくてはならない理由があるとしたら、そこだ。


 ……けど、僕はそれ以上に、小鳥くんが『聴いた』世界の音を聞いてみたかった。


「……じゃあ、初めて僕に触れて、そのとき音楽は流れましたか?」


 問いかけると、小鳥くんは小さくうなずき、


「……流れた。今もぐるぐるしてる……」


「それ、ここで出力できますか?」


 僕の申し出に、小鳥くんはしばらくきょとんとしていた。ためらうように考え込んだ後、


「……脳波をスーパーコンピュータで読み込めば、すぐに出力できる……ちょっと、恥ずかしいけど……やってみる」


 暗闇で手を握る手に、小さなちからがこもる。


「……聴いてくれる、まひろ?」


「もちろんです。ぜひとも聴かせてください……こわがらなくて、いいですよ」


 その手を壊さないように握り返し、僕は告げる。


 小鳥くんの頭部を覆う脳波センサーが、わずかに音を立てた。そして、小鳥くんの聴いている音を現実に再構成していく。


 ……やがて、スピーカーから音が流れ出した。


 最初は、BPM60程度の、鼓動のようなバスドラム。


 それから、クジラの鳴き声のような旋律がゆっくりと漂い始める。音階を移ろいながら、包み込むように。


 やがてバイオリンのような音が併走してくる。クジラの鳴き声を消さないように、寄り添うようにその輪郭を際立たせる。


 ゆっくり、ゆっくりと流れる旋律には、やがて線香花火のような金属の高音が重なった。ちらちらと音の全体を刺激するように、きらめく星のまたたきのように、スパークする。


 それぞれまったく違うすべての音が調和し、たゆたう。ゆったりと、やさしく流れて、ときに鼓膜を、ちり、と焦がす。


 刺激と、ぬくもり。肌の感触と、温度。少しの弱々しさと、安堵。やさしさと、不安。


 小鳥くんが僕に触れたときに、そんな感情を抱いていたことを、僕はすっかり理解した。


 無花果さんの『作品』を理解するのと同じように。


 ……そうだ、これは『表現』だ。


 小鳥くんが吐きながらも咀嚼して、消化して、排泄したものだ。


 だからこそ、小鳥くんが感じた世界は、こんなにも胸を苦しくさせる。ほろ苦くも甘い切なさがじんわりとこころの中に広がる。


 ただ美しいだけじゃない。


 聴いたものは、いやでも想起させられるだろう。


 これは、小鳥くんが『僕を』認識した音楽なのだと。


 焼かれるような痛みに耐えながら、それでも触れていたいと願った、小鳥くんのたましいが嘔吐したものなのだと。


 音楽は、鼓膜を震わせ、脳に直接訴えかけてくる。


 視覚よりも直観的なアート。


 しかし、これは鋭すぎる小鳥くんの五感が変換された音楽なのだ。


 それゆえ、僕という存在の輪郭がくっきりと浮き彫りになる。正確には、『小鳥くんが感じ取った僕』か。五感で感じたすべてを音楽で『表現』している。


 感覚を解剖して、理解して、再構築する。


 やっていることは『創作活動』とまったく同じだ。


 食って、消化して、排泄する。


 ロクに食えない小鳥くんは、それを苦労してやってくれたのだ。


 ただそれだけで、この『表現』は尊ぶべきものになった。


 苦しみの末に産み落としたもの。


 本来、芸術とはそんなものだ。


 僕はしばらくの間、『小鳥くんが感じた僕』の音楽の中を遊泳しながら、音のカケラのひとつも逃すまいと、その旋律に注意深く耳を澄ませるのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?