翌日になって、ようやく事務所の惨状が白日の元に晒された。
すぐに八坂さんを呼び、所長は現場検証に立ち会った。僕は夜通し小鳥くんのそばにいたせいで寝不足だったけど、今さらここを離れるわけにもいかない。なにより、ずっと袖口を握りしめている手を振り払うことなどできない。
八坂さんの話だと、カゲローさんはすぐに確保されたそうだ。このまま少年院に行くことになるだろう、とも。
鑑識のひとたちや八坂さんたちが去っていって、お昼すぎにはようやく一息ついた。
破壊されたカプセルはすぐにでも修理が必要だ。所長はどこかに電話してから、ふいー、とめちゃくちゃになった事務所の真ん中で電子タバコの蒸気を吐いた。
「あー、もう。ご丁寧にクーラーまで破壊してくれちゃってさー。この暑い中、熱中症だよー? ねー?」
相変わらず配信は切らずに、カメラに向かって難しげな顔をする。
それから、にこっと笑って、
「けどまあ、カゲローくんには『好奇心はシュレディンガーの猫すらほぼ100%の確率で殺す』ってことを、ちゃあんと教えてあげないとねー。大人としてさー」
……視聴者の全員が、その細められた目の奥が実は笑っていないことに気づいているだろう。『こころえている』からだ。
「……男の子だったんですね、小鳥くん」
少しの間だけ小鳥くんから離れた僕は、所長の隣で蒸し暑さにぼーっとしながらつぶやいた。
「うん、そうだよー。だれにも言ってなかったし、みんな女の子だと思ってたみたいだから、そのままにしといたんだー」
ぽわ、と独特のにおいがする蒸気が吐き出される。所長はけらりと笑って、
「ま、全部バレちゃったけどねー」
「……正直、驚きました。すごく」
「あははー、だろうねー」
「……小鳥くんは、『何』なんですか?」
あんな人間が、自然発生するはずがない。
感覚過敏で『鳥かご』の中でしか生きられない、アルビノの鳥。
そこには、なにかしらの作意を感じた。
所長はちょっと困ったような笑みを浮かべながら、
「話、長くなるよー?」
「はい。教えてください」
額から汗がしたたる。小鳥くんは暑さでばてていたりしないだろうか?
心配している僕の表情を読み取って、話そうと決めたのだろう。所長はおもむろに電子タバコを交換して、新しい一本を吸いながら語り始めた。
「僕と八坂くんといちじくちゃんのパパが同じ京大物理学研究室出身だってことは話したよねー? 15、6年くらい前かなー、まだまだ僕たちも若かったころにねー、とある国立の研究施設を訪問する機会があったんだよー」
僕は沈黙でその話の先をうながした。
所長はうなずいて、
「その研究施設ではねー、極秘裏に人体実験が行われてたんだよー。人工的にアルビノを生み出して……デザイナーズベビーっていうのかねー、試験管の中のホムンクルスみたいなもんだよー。そうして生まれた子供に、なにしてたと思うー?」
……なんとなく、良くない答えが帰ってくるとわかった。
電子タバコをひと吸いした所長は、珍しく眉根を寄せて、
「感覚遮断実験だよー。生まれたときからすべての五感への刺激を取り除いて、けど感覚を退化させないように定期的に微弱な刺激に晒す。そうやって育った人間が、どんな風になるのか? そういう実験だよー。おそらくは、人間の進化に関する実験だったんだろうねー」
イヤな予感は当たった。
そんなこと、許されていいはずがない。
ひとつのいのちをもてあそぶ行為だ。
所長も同意見だったらしく、
「ねー、非人道的極まれりだよねー。真っ暗闇の静かでなにもない部屋で、ごはんは点滴で、だれとも触れ合えずに、無味無臭でそれでも意識はあるんだよー。その現場見てさー、僕も八坂くんもいちじくちゃんのパパも、胸糞悪くなっちゃってさー。三バカそろってこっそり相談したんだよねー」
その先は、なんとなく聞かなくてもわかった。
若い三人が、そんな現場を見て考えること。
それはひとつだろう。
正解にたどりついた僕の表情を読んで、所長はひとつうなずいた。
「で、こっそりとことりちゃんを研究施設から連れ出したんだよねー。あははー、若くてバカだったなー、僕たちも。考えなしにさー、セキュリティ全部ぶち破って外に連れ出したのー。ことりちゃんはそりゃあこわがってたよー。パニックになって死にそうになってたねー」
「……それで、あのカプセルに住まわせた」
「そー。工学部の連中に泣きついてさー。あいつらもバカな変態たちだから、速攻で最新鋭の技術の粋を凝らしたカプセル、作ってくれたんだよー。ことりちゃんが安心安全に生きていけるための『鳥かご』をさー。ちゃあんとネットに繋げるように、脳波でコントロールできるスーパーコンピュータ取り付けるとか、つくづく変態だよねー」
そういう経緯で、小鳥くんはあのカプセルで暮らすことになった。所長がコネをフル活用した結果だった。
「当然ながら、戸籍なんてものはないよねー。名前すらなかったんだよー。だから、僕たちがない知恵とセンス絞ってつけたんだよねー。安全なところで羽を休める鳥、だから『小鳥遊小鳥』。なかなかセンスあると思わないー?」
「……その名前のせいで、女の子だと勘違いしたんですけどね」
「えー、だってことりちゃん、かわいいじゃーん。かわいい息子にはかわいい名前つけたいじゃーん。だからことりちゃんはことりちゃんになったんだよー」
死にそうになりながらも初めて研究施設から外に出て、ネットという『観測』のための手段を手に入れて、安心して暮らせる『巣』にかくまわれて。
名前を与えられて。
ニンゲンとして扱われて。
……そうやって、とあるデザイナーズベビーは、やっといのちを始めることができたのだ。
正直、僕だって同じ立場に立ったら同じことをするだろう。若さゆえの衝動的な行動だっていい、ひとりのいのちをそんなところに閉じ込めておくなんて、そんなひどいこと、許せるはずがない。
小鳥くんは、名前という翼を与えられて、外の世界に出た。
けど、外の世界は毒であふれている。
だから、傷つかないように『鳥かご』に囲って、閉じ込めた。あの『巣』は、小鳥くんを外に出さないようにするためのものじゃない、外の世界から守るための装置だった。
……それにしても、ちょっと気になることがある。
「……所長、今年43でしたよね?」
「そうだよー?」
「15、6年前って……小鳥くん、一体今いくつなんですか……?」
色々と計算が合わないような気がする……
しかし所長は電子タバコの最後のひと吸いをしてから、
「19歳だよー?」
「……19……!?」
まさか、僕と同い年だったなんて。
あのたどたどしいカタコトのしゃべり方といい、小柄な体躯といい、とても同年齢だとは思えない。
男の子だと知ってただでさえ驚いたのに、その上同い年……
世の中には、いろいろな19歳男子がいるものだ。
僕は無理やりにそうやって納得することにした。
「だからさー、君がやってきたときに、ちょっと運命感じちゃったんだよねー。同じ19歳男子が事務所で出会うなんて、なかなかないことだよー? もしかしたら、って思ってたんだけど……うん、やっぱりねーって感じー」
なにが『やっぱりねー』なのかさっぱりだったけど、所長的にはすべては予定調和だったようだ。
このひとは、どこまで読んでいたのだろうか?
相変わらず、得体が知れないというか、底が読めないというか……煮ても焼いても食えない男であることに間違いはない。
同い年、という事実に衝撃を受けながらも、僕はどこかでなにもかもは決まっていたことなのかもしれないな、とこっそりと納得するのだった。