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№15 未知との遭遇

「きええええええええい!!」


 壊れた『巣』に足を踏み入れた途端、奇声が上がった。見れば、無花果さんが髪を振り乱して暴れている。


「……無花果、うるさい……それに、くさい……」


 毒物そのもののような無花果さんを前にして、意外にも小鳥くんは落ち着いていた。所長の言う『暴露療法』が早くも奏功しているのだろうか、カプセルの外に出てしまえば案外順応してしまっていた。


「無花果さん、風呂キャンしてるのバレてますよ」


「……無花果は、ちゃんとお風呂入って……」


「風呂などというものは、生きていくためには瑣末極まりないことなのだよ! だいたい、小生マイメロちゃんだから、水に濡れると死んじゃうし!」


 またわけのわからないことを言い出した。僕も、だからかすかにボロ雑巾みたいなにおいがするんだと言いたかった。


「それよりも!!」


 目をきらめかせた無花果さんが、ずい、とカプセルの中へと詰め寄る。


「もっと聞かせてくれたまえ! さあ!!」


「……静かにしてくれるなら……」


「するする! ものすごく静かにするでござるよ!」


 床に正座して、無花果さんはものすごく騒ぎたいのを堪えているかのような顔で口をつぐんだ。


 そして、またあの音楽が流れ出す。


 これは……『作品』を、音楽にしているのだろうか。


 うねるような重低音に、バイオリンの高音が連なって、音が多重的かつ流動的にうごめいている。


 『生』も『死』も、音楽にしてしまうなんて。


 まぎれもなく、小鳥くんは『協奏者』だった。


「…………」


「……もうしゃべっていいよ、無花果」


 音楽が途切れて、ようやく小鳥くんが許可を出した。今までつぐんでいた口から、弾けた風船みたいに言葉が溢れ出す。


「……すっっっっっっっばらしい!!」


 くねくねと身悶えながら、無花果さんはその音楽を手放しで賞賛した。はあはあと息を荒らげ、頬を赤く染め、ひどく興奮している様子だ。


「こんな音楽は初めて聞いたよ! 小生、音楽は門外漢だけどね、はっきりとわかる! これは死体だよ、『死』だよ!! 耳触りからして違う、これは本物だ! 小生の『作品』が、音になっている! これは歴史的快挙だよ!!」


「……うるさい……」


 そこまで手放しで褒められたというのに、小鳥くんはどこか不機嫌そうにそう言った。まだ『表現』を評価されることに慣れていないのか、単にそれ以上に無花果さんの騒がしさに辟易しているのか。


 正座から立ち上がった無花果さんは、檻の中のクマみたいにうろうろと『巣』の中を歩き回りながら早口で、


「なるほど、小生の『作品』を、小鳥くんはこのように感じているのだね! ああ、繊細だ、ああ、みずみずしい! なんてことだ! こんな解釈の仕方があっただなんて! これは創作人生において、エポックメイキングな出会いだよ!」


「無花果さん、オタクみたいなしゃべり方してるの自覚してます?」


「こんなすげえもんに遭遇したら、オタクにもなるってもんじゃい!!」


「……じゃあ、これはどう……?」


 小鳥くんの脳波を読み取って、また違う『死』の音楽が、スピーカーからゆるやかに流れ出す。


 コントラバスをバックボーンにした、きらきら光る星のようなピアノの旋律だ。


 それを聞いた無花果さんは、まるでエクスタシーに達したかのように痙攣しながら、


「ああああああああしゅごいいいいいいいい!!」


「……うるさい……」


「無花果さん、ボリュームを絞りましょう……ああ、それと、小鳥くん」


 釘をさしながら、僕はコップに入った液体を小鳥くんに差し出した。限りなく透明に近いけど、なにかが混入しているのがわかるにごり方をしている。


「……これ、飲めますか?」


 コップを受け取った小鳥くんは、なんの疑いも持っていない様子で、その液体を一口だけ飲んだ。


 その途端、激しく咳き込んでさっき飲んだ液体を吐き出してしまう。僕はすかさずはだかの背中をさすり、


「ああ、すいません! 大丈夫ですか!?」


「……うん、そんなにたいしたことじゃない……」


 ひとしきり咳き込んでから、小鳥くんはようやく落ち着いた。そして、改めて僕に聞いてくる。


「……あれ、なに……?」


 なにかわからないものを飲んだのか。


 ただ、『僕が』差し出したから、という理由だけで。


 僕はつい困ったような顔をして、


「いえ……とんこつラーメンのスープ、極限まで水で薄めたものだったんですけど……これでもダメでしたか」


 肩を落とすと、小鳥くんの赤い瞳が大きく数度、まばたきをした。


 それから、ぎこちないながらも笑みを浮かべて、


「……ありがとう……」


「変なもの飲ませて、ごめんなさい……」


「ううん、いいの……小鳥にはまだ少し早かったけど、ちょっとだけ、とんこつラーメンがどういう食べ物なのか、わかった……」


「……だったら、よかったです」


 いつもとんこつラーメンを隠れて捨てていたことを、小鳥くんは泣くほど悔やんでいた。みんなといっしょになれない象徴のように思っていたのだろう。


 だから、僕は少しでも『いっしょ』に近づけるよう、その味を知ってもらいたかった。


 食べられなくてもいいから、みんなが食べているものがどんなものなのか、それを教えたかった。


 ……いつもいつも、食べられない小鳥くんのところに、何も知らずにとんこつラーメンを運んでいた、僕なりの罪滅ぼしだ。


 小鳥くんはどこか切なげに笑い、


「……いいの。その気持ちだけで、お腹いっぱいになれる……まひろたちが食べてるもの、なんとなくわかった……」


「……今度からは、とんこつラーメンじゃなくて、お水届けますよ。少しずつ、慣れていきましょう。そうすれば、いつかきっととんこつラーメンだってみんなといっしょに食べられます」


「……うん。そうなれるといいな……」


 第一目標が決まった。


 まずは外に出て、なるべく刺激に慣れていって、極限まで水で薄めたとんこつラーメンのスープを飲めるようになること。


 最初のハードルは低い方がいい。


 ……いや、これは高すぎるのか?


 これまで『食べる』という行為をほとんどしてこなかった小鳥くんが、薄めたとはいえとんこつラーメンなんてジャンクな劇物を食べようとしているのだ。


 そもそも、まずはどうやって外に出るかだけど……


 その辺は、また所長と相談しよう。伝手を頼れば、小鳥くんが安心して外に出られるような工夫ができるかもしれない。バトンを手渡したとはいえ、まだ所長は小鳥くんの親も同然だ。きっとちからを貸してくれる。


「……小鳥くん、痛かったりうるさかったりはしませんか?」


 今も困っているだろうと声をかけると、小鳥くんは首を横に振り、


「……案外、平気……無花果はうるさいしくさいけど……肌がぴりぴりするくらい……それに、これがある」


 そう言って、小鳥くんは自分の耳を指さした。


 ……僕が苦肉の策で渡した、ノイズキャンセリングイヤホンだ。


「……これつけてると、だいぶマシ……自分の声も反響しないし……それに、まひろがくれたやつだから……お守り、みたいな」


 そんな大それたものではないんだけどな。


 けど、少しでも小鳥くんのこころとからだを守ることができたなら、『保護者』としては上出来だ。


「つっ、次を! もっと小生に君の音をくれたまえ!!」


「……やっぱり、無花果はうるさいし、くさいけど……」


「……それは同意します……」


 特段感覚が鋭くなくても、無花果さんは充分にうるさいしくさい。


「ほら、行きますよ、無花果さん」


「ヤダヤダァ! 小生、もっと聞きたい!」


「ワガママ言わないで、小鳥くんも疲れてるんですから」


「離せえええええ!」


 貪欲に次の音を求める無花果さんを無理やり引き剥がし、引きずって『巣』の外へと連行する。


 ……こんな事務所、『暴露療法』のためには刺激が強すぎるんじゃないか……?


 そんな懸念を抱きながら、僕は外の騒がしい世界へと戻っていくのだった。

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