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№16 不死鳥の飛翔

 所長が言った通り、いつの間にか白衣のひとたちや作業着のひとたちが大勢『巣』に押しかけてきて、小鳥くんを一旦仮設カプセルに入れると、すぐに本体のカプセルを直してしまった。


 すぐに、といっても、完全に直ったのは夜半になってからだ。研究者や技術者たちは、所長となにかを親しげに話し込んでからさっさと帰っていった。


 仮のカプセルから修理されたカプセルに、プールに浸かるようにゆっくりと、小鳥くんが入っていく。


「……やっぱり、そこが落ち着きますか?」


 その様子をそばで見ていた僕が声をかけると、少し視認性の良くなったスモークガラス越しに小鳥くんがため息をついた。安堵のため息だ。


「……うん、なんにも感じないから……ラク」


「そうですか」


 安心できる環境なら、それでいい。


 僕はそう思っていたけど、小鳥くんは少し違うようだった。わずかに困ったような顔をしながら、


「……けど、なんにも感じないって、退屈……」


 ……退屈。


 今まで、すべての五感を拒絶して、この狭いカプセルの中で生きてきた『だけ』の小鳥くんが、なにも感じないのは『退屈』だと。


 小鳥くんは、外の世界の刺激に触れて、今や無感覚の退屈さを知ってしまったのだ。


 それは、つらかったり不便だったりするかもしれない。本当は要らない感情なのかもしれない。


 けど、『退屈』と感じることは、小鳥くんが一歩、外の世界に踏み出した確たる証拠だ。


 知らず、表情がゆるむ。


「……だったら、明日からでも少しづつ刺激に触れていきましょうか。少しづつでいいですから」


「……うん、そうする」


「あと、そのイヤホンは小鳥くんにあげます。僕からの『バースデープレゼント』として受け取ってください」


「……うん、ありがと……大事にする……」


 『鳥かご』の中の『表現者』が外の世界に出たにしてはあまりにもささやかすぎるプレゼントだったけど、小鳥くんはうれしそうに耳にはまっているイヤホンをなでた。その表情も、少しづつやわらかくなっているような気がする。今まで感情を『表現』する必要すらなかったのだ。


 もう、『鳥かご』は取り払われてしまったのだ。荒々しすぎる破壊劇の果てに、だが、結果的に小鳥くんは外の世界に踏み込んだ。


 ひとりの『表現者』として、『共犯者』として。


 まだ住処は『鳥かご』かもしれないけど、外の世界に触れて、その刺激をしっかりと噛み締め、消化して排泄した。


 五感を焼かれながらも必死で羽ばたくその姿は、まるで炎に包まれて飛び立つ不死鳥身のようだ。


 生まれがどうであれ、『表現者』『共犯者』という点で、たしかに僕たちはいっしょの存在だ。そこに優劣も貴賎も相違もない。同じスタートラインに立って、今まさに走り出そうとしている。


 ……これから、どんな『表現』が生まれるのだろうか。


 新しい『表現者』を迎えた世界は、小鳥くんにどんな顔を見せてくれるのだろうか。


 それがやさしくあたたかいものであることを、切に願う。


 なにせ生まれたての『小鳥』なのだから、『保護者』としてはお手柔らかにお願いしたい。


「……ああ、もうこんな時間か」


 腕時計を見下ろした僕が言うと、小鳥くんはわずかに寂しそうな顔をした。


「……まひろは、もうおうちに帰る……?」


 これもまた、外に出て他者と接触したからこそ感じられる、さみしさという感情だ。


 ない方がラクだけど、だれかに触れたからこそ感じられること。


 僕はつい苦笑して、


「じゃあ、もう少しだけここにいますよ」


「……うん。小鳥と、もっとおしゃべりして」


 そうして、僕は愛らしくさえずる小鳥くんと、少しの間取り留めもない話をした。


 やがて本格的に夜が更けてきて、小鳥くんも眠そうにしていたので、おやすみと告げて『巣』をあとにする。あれだけ木っ端微塵になっていた扉も完全に直っていて、いつも通り『巣』というプレートもかかっていた。


 所長も帰ってしまったみたいで、僕はひとりで帰り支度をして、今度こそ事務所の鍵を閉めると、その場を去った。


 ボロい雑居ビルを出ると、うだるような蒸し暑い空気が肌にまとわりついてくる。もう真夜中だというのに少しもゆるまない暑気は、今年も過去最高気温を更新することになるのがひしひしと感じられた。


 むせ返るような夏の空気を吸い込み、歩き出す。


 ……そういえば、昨日は夜通し小鳥くんの音楽に付き合って、寝ていない。そもそも、僕はぼこぼこにリンチされているわけであって、いまだにからだは痛むし口の中には血の味がにじんでいる。


 それでも、僕の足取りは軽かった。


 そんなこと、どうでもいいんだ。


 初めて世界に触れて、手荒い歓迎を受けた小鳥くんは、それでもまた触れたいと願った。


 『保護者』として、誇らしい。


 焼かれても僕に触れていたいと、小鳥くんは言っていた。


 世界のまぶしさは、小鳥くんの赤い両目を焼くかもしれない。


 しかし、小鳥くんはもう知ってしまったのだ。


 世界は『鳥かご』の中だけじゃない。


 外には無限に広がっているのだと。


 そんな世界のことを、ゆっくり、ゆっくりと教えてあげよう。見方を、聞き方を、嗅ぎ方を、味わい方を、そして触れ方を。


 きっとつらいことだってある。カプセルの中に引きこもって平坦に『ただ』生きていた方が、ずっとラクだ。


 でも、小鳥くんが『触れたい』と願う限り、僕は最後まで付き合う。見届ける。聞き届ける。


 それが僕の役割だ。


 生まれたての『小鳥』がどこまで、どんな風に羽ばたくのか、どんな風に鳴くのか、しっかりと感じて『記録』しよう。


 ……そういえば、音楽はどうやって『記録』すればいいんだろうか。


 さすがに音はカメラには写らないから、今度音声データをもらおうか。スーパーコンピューターで出力しているから、それも可能なはずだ。


 無花果さんも、自分の『作品』と小鳥くんの音楽を、並べて世界に示したいと思っていることだろう。


 僕が写真で『表現』したように、小鳥くんもまた音で『作品』を理解しているのだ。きっと世界中のひとたちが驚いて、反応する。


 『協奏者』。小鳥くんは魔女の『庭』で、そんな役割を新たに振られた。


 『作品』に添える音楽を奏でる鳴き声は、世界中に響き渡るだろう。


 ……けど、少し思ってしまう。


 あまりその役割にとらわれすぎないでほしいと。


 たまには、また僕のためだけに音を作ってほしいと。


 ……『保護者』として、つい欲張ってしまう。


 どうか、これくらいは許してほしい。


 同い年だけど、僕よりもずっと小さな鳥。


 その一番近くで、その羽根の一枚までも、鮮明に『記録』したい。


 今回、カメラの出番はなかった。そこには、『写していい』真実はなかったからだ。写してしまえば、フィルムは真っ黒に感光してしまう。不死鳥の初めての羽ばたきは、それくらいに鮮烈で神聖だったからだ。


 ……でも。


 もし小鳥くんが、僕たちと同じように外に出て、なにげない日常を送ってくれるというなら、そのときは改めてシャッターを切ろう。


 無花果さんに絡まれたり、三笠木さんに泣きついたり、所長に甘やかされたり、そんな日常だ。


 願わくば、その中に僕も入っていられますように。


 ……ふわ、とあくびが出る。


 今さらながらに眠気と疲れと痛みがやってきた。


 今夜はしっかり寝て、明日は病院に行こう。


 ……労災、下りるんだろうか。


 三笠木さんのことだ、きっと下ろしてくれるんだろうけど、ギプスなんてしていった日には無花果さんに爆笑されるだろう。


 まずはなにか食べなきゃな、と、僕はコンビニの光に吸い寄せられるように、よろよろと暗い夜道を歩いていくのだった。

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