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第10章 The Sickness Un

№1 宇宙飛行士

 いつものようにお使いから帰ってくると、事務所には見知らぬ物体が鎮座していた。


 ……いや、見知らぬ、というか、宇宙服だ。


 『アポロ11』で見たような、レトロフューチャー。


 そんな宇宙服が、どん、とソファに座っている。


 …………なんで、探偵事務所に宇宙服??


 言葉を失っていると、その宇宙服からスピーカーを通したような声が聞こえてきた。


『……まひろ……』


「ええと……小鳥くん……?」


 あの夜、カプセルが壊されて震えていた小さな鳥の声だ。そんな小鳥くんが、なぜか宇宙服を着てソファに座っていた。


「どうしたんですか、それ?」


 つい指さしてしまうと、小鳥くんはどこか照れくさそうに、


『……高級ブランドの……おNASAっていう……宇宙服……笑太郎が買ってくれた……』


 相変わらず引っ込み思案な声音だけど、その口調はどこか誇らしげで、うきうきしていて、まるで新しいおもちゃを自慢する子供みたいだった。


「所長が?」


 買ってきた電子タバコを渡すついでに問いかけると、所長はにっこにこで、


「いやー、久々に奮発しちゃったー。けど外はこわいところだからねー、大切な箱入り息子になにかあったら困るでしょー?」


「奮発、って……あれ、NASAの宇宙服ですよね……?」


「違う違うー、高級ブランドのおNASAだよー」


「いや、おNASAって……一体いくらしたんですか?」


「んー、小国の国家予算くらいー?」


「……なんてことを……」


「ブラックカードはこういうときに切らないとー。ちゃんとアフィリンクもサイトに貼ってあるしねー。視聴者のみなさまー、宇宙服買うなら高級ブランドのおNASAだよー」


 ひらひら、カメラに向かって手を振る所長は、そんなとんでもない大金を支払ったとは思えないほどいつも通りだった。


 どこまでも金銭感覚がバグっている。


 気前がいい、どころの話ではない。


 ……けど、それだけ小鳥くんのことを思ってのことだろう。実の親も同然の所長としては、『箱入り息子』が外に出るとなったら、最大限の重装備を与えてあげたかったに違いない。


『……まひろ……どうかな……?』


 おずおずとスモークガラスの向こうからスピーカーを通して問いかける小鳥くんに、僕はソファの対面に座って笑いかけた。


「とっても似合ってますよ。小鳥くんも、立派な宇宙飛行士ですね」


 そう、これは外の世界という毒と灼熱、電波に満ちた『宇宙空間』へ飛び立つためには必要なものだ。


 小鳥くんは、『巣』から外の世界に出たいと願った。


 それが、こんな形で実現したのだ。


 ひどく滑稽で不格好だけど、小鳥くんなりに必死になって考えた結果なのだろう。


 『暴露療法』の一環でもあるし、僕はそのこころいきを素直に称えた。


 これから少しづつ、小鳥くんは外の世界に触れていく。段々と刺激に慣れていって、その宇宙服を脱ぐ日がやって来る。それまでは、まだ守られていないといけない。


 幼い翼は、とても折れやすいものだから。


 ……と、ふいに事務所の扉が開いた。宅急便か郵便だろうか?


「おい、安土! この前の事件の請求書、どうなっとんねん!?!?」


 怒鳴り声とともに飛び込んできたのは、先日の一件でもお世話になった八坂さんだった。相変わらずヤクザルックでサングラスの奥に瞳を隠している。


 そんな八坂さんも、ソファにでん、と座る宇宙服を見つけてぎょっとする。


「なんやねん、この宇宙人は!?」


 指さしてがなりたてる八坂さんに、所長は気楽に笑いながら答える。


「やだなー、れっきとした地球人類だよー」


『……大樹……?』


 小鳥くんが、こわごわと八坂さんに声をかけた。


 そうだ、小鳥くんを実験施設から連れ去ったのは、所長だけではない。京大物理学研究室の三バカである八坂さんと、無花果さんの父親も首謀者なんだった。


 見知らぬ宇宙服に名前を呼ばれて、ますます八坂さんは混乱した。そんな姿を認めて、小鳥くんは恥ずかしげに続ける。


『……ひさしぶり、大樹……小鳥だよ』


「……ことり、って……あの小鳥か!?」


 思い当たった様子の八坂さんは、はっとして宇宙服を見つめた。小鳥くんは認識してもらったことがうれしかったのか、小さくうなずいて見せる。


『……うん』


 途端、八坂さんの顔色が見たことがないほど明るくなった。眉間のシワが消え、口元がふにゃっとゆるむ。なんだか十歳くらい若返ったみたいに見えた。


「そうか、そうか! 小鳥か! 外、出られるようになったんやな……!」


 何度もうなずきながら、八坂さんは宇宙服姿の小鳥くんの頭をなでる。


「えらいな、小鳥! がんばったな!」


『……小鳥、がんばったよ……大樹、覚えててくれて、ありがとう……』


「忘れるわけあらへんやろ! 小鳥は俺の息子も同然や!」


「八坂くーん、僕の箱入り息子でもあるからねー。八坂くんはママねー」


「だれがママやねんボケゴルァ!?」


『……大樹、ちょっとうるさい……』


「ああ、ごめんな、小鳥!」


 すかさず八坂さんがおとなしくなる。こうなると、さすがの『監視者』も形無しだ。まさに実の息子に接するようにでれっでれになっている。


 乱暴に小鳥くんの宇宙服の頭をなでくりまわしながら、ぐす、と鼻を鳴らす八坂さん。


「アカンアカン! おっちゃん泣きそうになっとるで! 歳食うと涙腺ゆるなってかなわんわ!」


「なにー、感涙ってやつー、八坂くーん?」


「これが泣かずにおれるかいボケェ!」


 どうやら、サングラスの奥の瞳は今、涙で潤んでいるらしい。八坂さんは何度もうなずき、えらいえらいと小鳥くんを褒めた。小鳥くんはそのひとつひとつにうなずき返し、どこかうれしそうにしている。


 ……やっぱり、外に出てよかったんだな。


 小鳥くんが羽ばたくことで、拍手喝采を送るように世界が共鳴する。こうして徐々に世界に触れていくことで、世界を塗り替えていく。


 生まれたての翼は、世界中を巡ることだろう。


 この宇宙服は、その第一歩だ。


 小さいけど、とても偉大な第一歩。


 『保護者』の役目を譲られた身としては、こんなに誇らしいことはない。小鳥くんは初めて、みずからの意思で選択した。痛みをこらえて、それでも触れることを。毒に満ちた世界の輪郭をたどることを。


「……ん? なんやこれ……『おNASA』……?」


 ヘルメットの後頭部に貼られた、雑コラ感満載のステッカーを見つけた八坂さんが、ぴたりと動きを止める。


 そしてやっといつものヤクザモードに戻ると、所長に向けて険しい顔をした。


「……な・ん・で・NASAの宇宙服買うとんねんワレェ!?」


「NASAじゃないよー、高級ブランドおNASAの宇宙服だよー。書いてあるでしょ?」


「ステッカーだけ手作り感満載やないかゴルァ! 一体なんぼ使たんや!?」


「んー、まあまあ高額ー?」


「お前の金銭感覚は当てにならんわボケェ! こんなもん買うとらんと、この前の事件の請求書、さっさと出せやアホ!」


「えー、だからさー、別にいいよ賠償とかはさー。めんどっちいしー」


「請求書は私がここにまとめています」


「おおー、さすが三笠木くーん! しごできだねー!」


「私は事件当日にまとめましたが、所長はそれを今日まで八坂さんに渡しませんでした。それは怠慢です」


「えー、だってさー、警察署まで渡しにいくのめんどっちいしー」


「せやったら郵送せえやボケェ!」


 三笠木さんの手から請求書の束をかっさらうと、八坂さんは最後にぽんぽんと小鳥くんの宇宙服の頭をなで、


「ほな、おっちゃん行くでな。小鳥、なんかあったらおっちゃんに言いや」


『……うん、ありがと、大樹……』


「お前ら! 小鳥まで厄介事に巻き込んだらシバき倒したるでな! よう覚えとけや!」


 そう言って、八坂さんは嵐のように事務所から出ていくのだった。

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