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25勝手目 過去戻りの禁忌:岩手県遠野市(5)


『学さん、洋に泣いてって言ってください。過去に戻ってる時に泣けば、涙が玉になって出て来ます。それをいく子ちゃんにあぜれば成仏するはずです!』

「洋、泣け!」

「無理!」


 言われた通りに言っても洋がそう言えばどうにも出来ない。泣けったって、悲しい事がなきゃ泣けねぇだろうに。


『学さんが過去に戻れたのは想定外です。でも試験が続いていること、忘れないでくださいよ。過去へ戻ったら彼女を成仏させるまでが禁忌ですから』


 晴太の真っ直ぐ、容赦のない声が鋭く刺さる。洋を泣かせて、いくを成仏させないと職員になれねぇんだ。

 認められないと守と仲直りできない。


 いつまでも痛いだの言ってる場合じゃねぇや。どうにかして洋に泣いてもらう。それで現代へ戻ればいい。

 そんな思考を張り巡らせていると、


「誰と話してるの?」


 と、いくが音もなく現れた。そして手には一枚の紙。


「おにいちゃんとおねえちゃん、結婚してないからダメなんだ! これ、書いて!」


 台詞と共に机に叩き置かれたのは遠野市の婚姻届。突然の事に声も出ない。霊力か何で勝手に動かされる右手は鉛筆を取った。

 洋は抵抗するものの、勝手に手紙動くのか必要な箇所をスラスラと書いてしまう。


「じゃあ次、おにいちゃん!」


 右手は婚姻届に記入しようとする。いくの操り人形になったおれはこの手を払う事も出来ない――が。


「おにいちゃん、なんで書けないの?」

「そりゃあな……兄ちゃんは結婚なんてしないからだよ」


 と、笑いかける。おれはお前の力なんかに屈しないぞって。


「違う。違う……いくがおねえちゃんに書かせたのに、お兄ちゃんは書けないの。おにいちゃん、文字書けないの?」


 いくの純粋で混じり気のない問いかけがおれの中の糸を切らす。

 おれの秘密。家族しか知らないおれの秘密だ。


「いく"でも"書けるのに?」


 心配か、嘲笑か。おれには後者に聞こえた。操られた右手に力が入り、鉛筆がメキっと音を立てて折れる。


「いく。出来ないことを馬鹿にしたら、兄ちゃんだって怒るぞ?」

「……お兄ちゃん、書けないの?」


 力が解けたのか、右手が机に落ちた。折れた鉛筆は床に軽い音を立てて転り、それが止まるといくは冷めた声で言う。


「なんか、がっかり。そんなお父さんはいらない」


 裏切られたと言って、首を目掛けて突進してくる俊敏ないくを避けられたのは、おれの怒りが勝ったからだろう。

 いくは舌打ちをして、折れた鉛筆を顔目掛けて飛ばして来た。頬に掠めると、つうと血が出る。


「だからなんだよ。文字が書けなくても生きて来れたんだよ! 今更生き方なんか変えられっかよ!」


 いくとおれは力比べする様に両手で押し合いをする。いくは自分と互角の力を出せる事に驚いているようだ。


「おれはなぁ、学校なんか行ってねぇの! この顔で生きて来たんだ、傷つけんじゃねぇよ! これで良い思いが出来て来たんだよ!」

「じゃあお父さんと同じだ! 女の人と遊んで、お母さんみたいな人を作ったんだ! だからいくは殺されたんだ!」

「知るか! おれはおれ、お前の親父と一緒にすんじゃねぇ!」


 おれの力が勝った。いくを床に転ばすことが出来た。怪異に勝てる程の怒りが、おれにはある。


 おれの障害は「書けないこと」。


 読めても書けない、学習障害だって言われている。

 自分の名前をかろうじて書けるくらいだったが、バレるのを恐れてサインは断っていた。その代わりに過剰なスキンシップと聞き上手に話し上手を勉強してコミニュケーションでカバーして来たんだ。


 書くことを避けて来たおれには、書かなくても仕方ないキャラクターを根付かせる必要があった。

 だからチャラくて、先のこと何も考えてないような性格を目指した。結果的にそうなっちまって痛い目を見ているが、障害バレするよりマシだと思ってしまう。


 それをまあ、怪奇だか怪談だかわからん幽霊にバラされたら腹も立つ。

 現に洋はおれの秘密を知ってしまった。受話器の向こう側にはアイツらがいる。

 聞こえているからわからないが、嘘でしたって笑わないと気がすまない。


「洋、帰るから泣け」

「簡単に言うなよ! 泣けって言われて泣けたら苦労してないわ!」

「いいから泣けよ!」


 焦りが怒声に変わる。しくったと思っても、吐いたものは戻せない。洋は電話を胸に抱えて、戸惑いながらも目をきつく瞑った。


「帰さない……おねえちゃんだけでも……いくのとこに……やっと……お父さんとお母さんが来てくれたと思ったのに……」


 いくが腕を振るわせながら起き上がる。洋だけ置いてなんて無理な話。それを解らないのが子供である証拠。


「ダメだ、泣けない……なら……!」


 洋は目を開け、電話をおれに投げる様に押し付けた。そして教室を飛び出す。


「いいか? おれは弟と仲直りしたくて来たんだ! 守のこと自慢したかっただけなんだって謝りたいから! でも何で認めてもらわなきゃ、示しがつかねぇ……頼む成仏してくれ!」

「……そう……」


 いくは俯いて肩を震わした。そして遠くからガラスを破る音が聞こえてくる。勢いよく振りかぶって破られる音が聞こえると、いくも何事かとそわそわし始めた。


「何……!?」


 廊下へ出れば、洋がバールで窓ガラスを叩き割っている。一枚一枚、余す事なくけたたましい音を立て破壊していく様は清々しかった。


「晴太くんがガラスを破って戻れたなら、どっかのガラスに入れば戻れるかもしれない! だから全部、割る!」

「ヤダ!」


 いくが洋を止めようとするが、おれは体をしっかり掴んでお返しとばかりに締め付けた。 

 幽霊でも触れることが出来ればこっちのもん。完全な霊体になりきれていない生半可もんってやつなんだ。


 おれの秘密暴いた以上、子供だろうが容赦はしない。


「離せ! お父さんと同じ女にだらしない男のくせに!」

「おぉ、なんとでも言えよ! それで生きて来れたんだから、全部が悪いわけじゃねぇんだよ!」

「この……!」


 首に手を伸ばし、黒目を大きくしてバケモノの形相になる。また力比べが始まるが、おれは負けない。洋がガラスを割り切るまでの辛抱だ。


 暫くすると、受話器からまた声がする。足で受話器を手繰り寄せ、なんだと一言答えた。


『もしかしてなんですけど、窓ガラス割ってませんか!?』

「洋が割ってるよ! 泣けねぇから割って出口を探すってな!」


 いくを今度は壁に打ちつけるように投げ飛ばした。軽い体だからあまり実感はないが、すぐに起きあらずにぐずぐずと泣きそうな声を出すんだからチャンスだ。


 電話の本体を左手に抱え、右手の受話器を顔にぴったりつける。そして洋がいるところまで猛ダッシュ。不気味だった校内も怖くない。階段も軽快に降りれるくらい目が慣れた。


『学さん、洋に窓ガラスを割らない様に伝えてもらえませんか! 現代の窓ガラスも割れてるんです! 1、2枚ならまだしも、全部は不味い!』


 晴太の指示は試験の試練。そこに意見を言う必要はない。


「洋! 晴太が窓ガラス壊すなって! 現代(あっち)とリンクしてるみてぇなんだ!」


 バールを大きく振りかぶる洋に受話器を向けると、どうやら聞こえたらしい。

 聞こえなかったり聞こえたり不思議なもんだが、洋に向けた事でスピーカーくらいの大きさになった。


『いく子ちゃんで何か悲しいと思える事はなかったかい!? これじゃあ神霊庁に怒られちゃうよ!』

『沖田、お前は金ないんだからなんとかして泣くんだ!』

『シャレにならないくらい割れてるわよ! お金を払うのは私達なんだから!』


 晴太と守、祈も応戦するように洋に泣く様に促した。

 洋は手に持ったバールを床に落とし、外を見ている。金の話は良く効く。


 しんとする校内に、沖田の息遣いが反響した。


 そして床にカラカラと音を立てて転がるのは、ビー玉みたいな玉。拾い上げると、暖かくなるろうな光を纏い、光っている。


「おねえちゃん……?」


 いくはおれを通り過ぎ、洋へ駆け寄った。洋の腕に絡みつくと、顔を見上げてまた、おねえちゃんと呟く。


「……いく子、これはいく子のための涙じゃないよ。でもさ、ひとりって寂しいよね」


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