洋は外を眺めたまま続ける。
「この世に留まりたいなら居たらいいんだ。悪さしなきゃいいだけ。もし遊ぼうって言われたらさ、首絞めじゃなくて話を聞いてやればいいんだよ。それだけで、嬉しかったりすることあるだろ?」
「……うん」
「アタシにはそれが出来ないんだ。人の話を聞いてね、その人の気持ちをわかってあげられない。いく子がどう辛いかなんてわかんない。ごめん」
いくの横顔が曇る。そして洋は無理した様に笑う。
「アタシ、ここに居てもいいかなって思っちゃった。いく子はアタシの事必要としてくれてるもんな」
「……うん。だけど……おねえちゃん……」
「一緒に居ても、わかってやれない事ばっかだ。いく子のお母さんと変わらないかもな。嫌な事があればどっか行くし」
洋は包み隠さず自分の弱さを伝えた。いく子はそれでも一緒に居てほしいと言うのだと思ったが、洋の顔を見つめて目を潤ませる。
そして観念したように洋の手を離し、おれを向いて右手を突き出して来た。
「おねえちゃんの玉、ちょうだい」
「……いいのか?」
掌に玉を置こうとすると、洋は待てと手を止めさせるんだ。
「持ってるだけでいいぞ。アタシに気を遣わなくていい。首絞めしないで、遊ぼうって言われたら遊んだらいいよ。いい学校の怪談になれ」
黄色い目が細く弧を書いた。いく子は洋の言葉に頷くと、昇降口へと案内してくれる。
廊下はガラスが散乱しているが、洋は気にせずいくに着いていく。
「ここから帰れるようにしたよ」
「さんきゅ。いく子は素直でかわいいなぁ」
「おねえちゃん、たまに遊びにきてね。小学校のトイレ、どこでもいいから3回ノックしていくのこと呼んでくれたら出て来るから!」
いくが手を広げてくるりと回ると、赤いスカートが丸になって見えた。子供らしいはしゃぎ方を見れば可愛いと思うが、あの怪力や行動を思い起こすと素直に褒めてやれない。
「思い出したら来てやるよ。どうせ時間は永遠にあるかるなぁ」
「うん、約束ね」
洋といく子は軽く右手の小指同士を結び、いつかの約束をした。洋は気持ちがわからないと言っていたが、わからないなりに寄り添い方を探せる奴なんだな。
そして正式な出口から外へ一歩踏み出すと、そこは見慣れた遠野市と変わっていた。
薄気味の悪い校舎は現代の校舎へ代わり、そこにいくの姿は感じられなない。
「戻ったぞ!」
「戻ったぞ! じゃないわよ! どうすんのこれ!」
帰るや否や、お怒りの祈さん。校庭には洋が割ったガラスが散乱し、事件性を感じざる得ない光景が広がっている。
「いやぁ……ま、仕方ねぇじゃん? 秀喜が経費でなんとかしてくれんじゃねぇの? なぁ秀……っていねぇし」
経費で落ちればそれでいいだろ、って言いてぇのに。秀喜のやつはいない。骨折の痛みが限界に達した晴太を病院まで連れて行ったらしく、金で解決するのは時間がかかりそうだ。
守は洋に近づいた。あぁ、散々おれと誤解させることがあったから気が気じゃねぇんだな。
婚姻届書かされそうになったし。無事に戻って来て何よりって事で、熱い抱擁でもかますきか?
「沖田、お前もう少し考えて行動できなかったのか? これで責められるのは晴太だぞ。すぐに泣けないのはわかるが、親に殺されて可哀想だと思わなかったのか? 泣けば解決し――」
「うっさいなぁ!」
守の小言に洋が感情を剥き出しにしてキレた。夜空に声が呑まれるように消えていく。
「帰って来てすぐなんなんだよ! 金とか怒られるとか、そんなんばっかり!」
「そんなんって、実際ついて回る事だろう!?」
「んなことわかってるよ! アタシが帰って来た事より、金の心配なのかって言ってんの!」
守の言う事も洋の言い分も理解出来る。守は現実主義者だから、後々を見据えて発言しているだけだ。
間違いじゃねぇけど、ちょっと冷たい気もする。
「洋も学も怪我してないじゃない? だから私も大丈夫だと思ったのよ。ごめんね」
祈は慌てて洋に謝る。謝るが、少しヘラヘラしている。笑って誤魔化すに違い言い方だ。
「大丈夫? 禁忌前に酒飲んでゲロって何言ってんの? 緊張するとか言ってたけど全然緊張感ないじゃんか! アタシに行儀が悪いとか言ってたくせに!」
「それは……えっと……」
洋の言葉は止まらない。
「晴太くんだってそうだ! 簡単に泣けとか壊すなとか言うけど、そんなの無理なのわかってるじゃん! 先輩になるからって張り切ってたのかもしれないけどさぁ! しかも、今回は1番最初に壊したの晴太くんだし!」
「それは違うだろ。壊したくて壊したんじゃないぞ」
晴太を庇うように語気を強める守。その顔は喧嘩したくてしているんじゃないと取れる。
「違くない! 学さんも……土方と仲直りしたいから神霊庁に入りたいだけなんでしょ! じゃあまずは頭下げたらいいじゃん! アタシの呪いを仲直りの道具にしないでよ! だから早く泣けなんて言えるんでしょ!」
「なっ……」
おれにまで火種が飛んでくるとは。利用した気はないけど、洋から見れば利用なのか。
禁忌を定期的に冒して魂を救わなければ、自分の正気が保てなくなる。
永遠に生きれる体があっても、食わなければ生きていけないような必須行動。
それを喧嘩の仲直りのダシに使われたらいい気はしないか。
「でも、おれがいたからなんとかなった事もあるはずだぞ! 神霊庁の職員になればサポートだってしてやれるし」
「自分が職失いたくないだけでしょ?」
洋の冷めた視線がおれの胸を切る。ざっくり、ぼたぼたと血が溢れるような感覚。もちろん切れてはいないが、図星を突かれて言い返せない。
「お前ちょっと言い過ぎだ! 皆沖田に協力してやってるんだぞ!」
守が洋の両肩を掴んで牽制するが、洋はその手を手の甲で叩いて振り払った。
さすがに衝撃だったのか、守は狼狽た様子だ。
「協力してやってる? ……そう、ならお礼を言わなきゃだね。アタシが間違ってた。ごめんなさい。ありがとうございます」
静かな声色に隠せない怒りを混ぜて。洋はつけて来た黄色のウエストポーチを拾い、腰につけた。
「なんだよ! その言い方!」
「こっちのセリフだわ! 土方ってアタシの事見下してるよな! 何も出来ないとか、どうせわかんないとか、言葉の節々に感じる! アタシが考えて行動したって、何か見たのかとか言うし! 協力してやってるって言うくらいなら、もう辞めちまえ! そもそも生きてる世界が違かったんだよ!」
乾かしておいたパーカーも待ち、洋は校門へと早足に歩いていく。不味いと思った祈は洋を追うが、守の方が早かった。
「おい!」
「触んなよ!」
洋の手首を掴むが、直ぐに振り解かれる。
「アタシはアタシで何とか生きてく。もう巻き込んだりしないから。今までありがとう。皆勝手に生きて」
少しでも泣き声を含んでくれたらいいのに。洋は覚悟を決めた様に言い放って、誰も近づけさせないと背筋を伸ばして学校を去って行った。
守は校門を見つめたまま膝から崩れ落ち、呆然としている。
そしてタイミングを見計らったように携帯がなり、ポケットから取り出すと力無い声で応答した。すぐに通話が終わると、携帯を持った手はだらりと力無くぶら下がる。
「晴太、病院に居るから迎えに来いって……伊東から」
「……私、運転するわ」
何とも言えぬ気まずい空気が流れる。祈は荷物をまとめて車へ向かう。
「おれじゃ嫌かもしんねぇけど……行こうぜ」
抜け殻のような守の腕を引き、祈の後へと続く。きっと誰もが洋を追いかけるべきだと思っている。
それが出来ないのは、1番手のかかると思っていたアイツに全部見透かされてたからだ。