「守には連絡しときましたよ。こちらに来るそうです」
「伊東さん、ありがとう。洋達も帰って来たみたいだね。あとは大丈夫。1人で待てるから、東京へ戻ってください」
「わかりました。お大事にどうぞ」
骨折した晴太を病院まで連れて来たはいいものの、肝心の禁忌の結末は見る事が出来なかった。
洋がどんな怪我をして、どんな痛ぶられ方をして帰還したか知りたい。死なない体はどこまで酷い怪我に耐えられるのか知りたい。
誰でもするような骨折じゃなく、もっと悲惨な光景が見たい。
表向きは仕事としての参加。本心は作り物では見出せない、惨劇の鑑賞。
今回は楽しみが空振りに終わってしまった。禁忌の様子を見るに、大した怪我もなかっただろうか。
皆が焦っていた割れた窓ガラスの修繕の根回しはすぐにつくものの、そんなんじゃ心は満たされない。というか、オレが焦るわけがない。
満たされない心に苛立ちを感じながら車へ乗り込み、東京へ帰るためにエンジンをかけた。
夏休みの終わりに差し掛かった近日は、新幹線も騒がしくて落ち着かない。わざわざ岩手まで車を走らせたが、これでは割に合わないんだ。
夜中の空いた高速道路は走りやすい。岩手ともなると車も数えるくらいしかいない。
今日ここへ向かう時だって、この速度で人が轢かれたどうなるのか、そしてそれが大嫌いな人間だったらどう思うのかばかり考えていた。
でも車通りが少ないと想像も働かない。ラジオも退屈、音楽も好きな物がない。
人生は暇つぶしというけれど、オレの場合はスプラッター映画を見るくらいしか楽しいと思えることがない。
仕事も上手くいっているとは思うものの、達成感は愚か苦労すらない。こんな人生が楽しいと思うのか。ただやる事をやらずに退屈だとのさばる人間とは違う。
やる事をやっても、退屈なんだ。早く死なないだろうかと、そんなことばかり思いながら生きている。
大事な物も、大事な人もいない。血も涙もない気がする。
表向きは人あたりのいい面をして、裏では喜怒哀楽のない虚無を抱えている。
フリではなくて、事実だから恐ろしい。
ひたすら高速道路を走る。すると、ハンズフリーで電話がかかってくる。着信の名前を横目で見ると、洋だった。
「はい? どうかしました?」
『今どこにいんだよ!』
「まだ花巻ですけど……?」
何故かお怒りモード。勝手に帰ったから怒らせたのか。
『じゃあ迎えに来て! お願い!』
「迎えにって、遠野にです? 禁忌は終わったんですよね? 守達と帰るんじゃないんですか?」
『何にも聞かないで、お願いだから来て!』
何も伝えられぬまま、迎えに来ての一点張り。このまま無視をして地震なんかを起こされたら面倒ですし。
高速道路を最寄りのインターで降り、邪魔にならない路肩に停車した。
位置情報で送られて来た場所へ再び車を走らせる。
夜の空いた高速でも40分近くかけて戻ると、洋が指定した場所で膝を丸めて待っていた。それは周りに何もないバス停。
なんか、捨てられた犬みたいですね……。
「せめて建物に入れば良かったのに」
「迎えに来てくれてありがと! それじゃダメなんだもん!」
怒り口調で勢いよく腰を折ると、助手席に乗り込んでいく。
クエスチョンマークが止まらない。他の誰もいないようですけど、と念の為車を出して言い方訊いた。
するとツンとした口調で、いい! と言い切った。
「何かあったんです?」
「アイツらと縁切った!」
「はあ……どうしたんです。あんなに土方土方言ってたでしょう」
「昔の話な! もう会わないんだから、いいの!」
さすがに事情を知らなくては、後から守や晴太がうるさそうだ。何かの一過性の喧嘩の可能性が高い。
乗せる代わりに話してくださいと言えば、渋々話し始めた。ようやくことの顛末を知れると喧嘩は喧嘩でも、修復には時間を費やしそうな類の喧嘩だった。
「だからもういいの! アタシが居ない方がいいんだ!」
「一緒に居たくないのはわかりました。けど、これからどうするんですか? 洋は神霊庁を辞められないですし、自宅は?」
神霊庁の監視下にある以上、所属は免れない。所属しているだけでお金が入る美味いポジションだが、洋の性質上それだけでは生きられない。
精神的苦痛を強いられて気が狂っていく人間を間近で見たい気持ちが湧いて来る。
でも今は、抑えましょう。と、欲を飲む。
「知るか! 東京着いたらパパ活でも風俗にでも行く! 案外、アタシの体って需要あるんだよ。学生の時に男子に言われたからな、性格最悪だけど体はいいって」
「ちょっ、何言ってるんですか……そんな事言われて、はいそうですかで済むわけないでしょう。それに、違法な売春は犯罪ですからね」
何を言い出すかと思えば――極端な事ばかり。洋は体を張る事でしかお金は稼げないと思っているに違いない。
自分の体を使えば楽に金を稼げると思っているのも浅はかだ。
宮城に帰すのが最善でも、「絶対に高速を降りるな。地震起こすぞ」と脅されれば、それに従うしかない。
面倒な犬を拾ったなぁと若干後悔をしながら、長い長い東北道を都心へとアクセルを踏む。
◇
「とりあえず、今日は遅いので……」
日付が変わり、日曜日になる。深夜の深い時間も超え、うっすら空が明るくなる時刻。
その辺で降ろすわけにもいかず、結局家まで連れて来てしまった。
「なんだ、タワマンとかに住んでるんじゃないのか。よかった」
「何が……?」
「いや、タワマンだったらこんなダサいTシャツで入っちゃまずいかなって。普通のマンションだから別に浮かねぇし、伊東を近くに感じたって意味!」
何の気遣い? そのTシャツ着てるだけでどこ歩いても目は引きますよと言ってあげたい。
でも、迎えに行った時より機嫌も直ってきた様子。このまま機嫌を戻して、頃合いを見て守に連絡して宮城に返しましょう。
それまでの辛抱です。まさか、生まれて初めて家に上げた人が呪われている女性になるとは思いもせず。
洋斗やネリーだって家を知らないのに、なんだか不思議な感じです。
「とりあえず、シャワーでも浴びてください。着替えは貸しますから」
「彼女とかのだったら要らないぞ? 着てきた服着るから……ていうか出てくけど?」
ちらりと見えた脇腹が目に入る。目が点になるなは一瞬だけ。
恥ずかしげもなくTシャツを脱ごうとしてる! 何この人! 羞恥心とか持ってないんです!?
「そんな人、居ませんから!」
グレーのパーカーとハーフパンツのセットを持たせ、脱衣所に押し込む。そうかぁ、意外だなと棒読みに近い台詞が扉越しに聞こえてくる。
わかりやすく動揺してしまった。まさか突然脱ぎ出すとは思わないじゃないですか。
あぁでも、パパ活を何の躊躇も無く出来ると言ってしまう人だからな……。
とりあえずシャワーを浴びてもらっているうちに、出したままのスプラッター映画のディスクを鍵付きのクローゼットに仕舞い込む。
自分の家なのに別な場所みたいだ。
家中に猟奇的な気配がないかを確認し、本心は知られないように最新の注意を払って何度も見て回る。
そうこうしていれば、あっという間に洋がリビングへ来てしまった。
ここで振り返って、また中途半端な格好をされていたらたまったもんじゃない。
「服、着てますよね?」
「借りたの着てるけど?」
言葉を信じて振り向く。長い髪を濡らしたままで体から湯気を出し、きょとんとしている。
「ドライヤーどこ?」
「……これです」
目の前にあるドライヤーも見つけられない。でも勝手にあちこち開けられるよりマシかもしれない。
洋はドライヤーのスイッチを入れたり消したりして、眉を顰めた。ただのドライヤーなんですが?
「なんだこのドライヤー。高いから訳わかんない機能付きすぎだぞ。アタシに預けたら壊すけど、いいか?」
「何故!?」
結局適当な理由をつけられて、髪の毛を乾かすハメになっている。人に髪の毛を乾かしてもらったことはないし、その逆もない。
人を自宅にあげるのも初めてなのに、人の髪の毛まで乾かすことになるとは。
完全に振り回されている。今まで経験のない困惑。無心でドライヤーを当てていると、洋の体が撥ねた。
「痛っ」
「ごめんなさい、引っ掻いてしまいましたか?」
「違う。ほっぺたガラスで切ったんだ。濡れても痛くなかったから忘れてた」
鏡越しに見ると、頬からこめかみにかけて一本の線が入っていた。どうやらドライヤーの熱で痛みを感じたらしい。
自分が怪我をさせたような気持ちになって、髪が粗方乾いてからリビングへ連れていく。
そしてこれまた一度も開けたことのない新品の救急箱を開け、絆創膏を頬に貼り付けてあげた。
洋はサンキューと笑い、部屋を見渡す。
「伊東ん家ってなんもないね」
「必要最低限あれば困りませんからね。こだわりもないですし」
黒を基調としているだけで、特にこだわりがない。金があるからと言って家具家電に限らず、服やアイテムを選り好みするわけでもない。
家では映画を見るか寝るかしかしないのだから無駄だと思ってしまう。
車だって父親から指定されたものを購入しただけ。
「なんか伊東っぽいな。こだわってないなら、無意識にシャレてんじゃん?」
「それはどうも」
って思ってる側から褒めてくるんだ。救急箱を引き出しにしまい、キッチンに立つ。
家にはほぼ何もない。普段は自炊せず、栄養補給の出来るバーやゼリーで済ましてしまう。改めて、食にも興味が無いのかと自分に絶望する。
それのストックばかりで出せる物がない。
「あ、これのチョコ美味いんだよな。ちょうだい?」
「こんなのでいいんです?」
「美味いじゃん。これ高いしなぁ。神霊庁がくれるお月給じゃ買えないのでぇ」
洋が選んだのは栄養食品と有名なブロックタイプのチョコレート味。それと炭酸水のレモン味を選ぶと交互に口にしては笑顔を見せる。
性格的に我儘を言ってコンビニにでも連れて行かれるのかと考えていたのに、満足そうにしているから助かった。
自分もシャワーを浴びると朝日が登り始めていた。
洋は目を擦り、大きな欠伸をする。家に来客用の布団なんかあるはずもない。ソファも一人分の小さな物。
寝かせてあげられるとしたら、もうベッドしか残っていない。
守と晴太の鬼の形相、祈の軽蔑する目が脳裏に過ぎる。すごい厄介な人を連れきた。
しかしこれは不可抗力。変な意味はない。ただ、寝床がなかったからベッドを貸すだけ。
オレはソファで寝たという証拠を作ればバレても大丈夫なはず。
ショートスリーパーだからあまり寝なくても平気ですし? 今は眠くない訳で、適当に仕事でもこなしてればいい。
「寝るならベッドで寝てくださいね」
「いいのか? アタシ床で寝るぞ? 伊東はどこで寝るんだよ」
「ソファで寝るのでお構いなく」
「こんな小さいので寝れないだろ! あ、じゃあさ」
強引に寝室へ連れて行かれた。無意識にまあ寝れないんですけど、みたいな顔をしたのか?
洋は掛け布団でベッドの真ん中で仕切りを作り、片側へ寝転んだ。
「空いてる方、伊東な! これなら別で寝てる事になるだろ!」
「ハイ……」
言われるがままに寝かされる。
ソファで寝るので大丈夫ですと言えなかった!
家に他人がいると気を遣って従ってしまうものなんでしょうか!
脳が普段の冷静さを欠いて、何も考えられなくなっている。けれど、ベッドへ寝転んで終えば体は正直で、長距離運転の疲れが眠気を誘う。
隣からも寝息が聞こえて来たのがわかると、糸が切れたように目を瞑ってしまった。