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26勝手目 御曹司は不健康(2)


 昼頃、目が覚めた。何かを焼く匂いがする。食事の匂いだ。

 ベッドの隣を見ると洋の姿はない。立ち上がりながら髪の毛を整え、リビングへ通じる扉を開けると浅葱色のパーカーを来た洋がフライパンを握っていた。


「よっ。勝手にいろいろ使ってたぞ。にしても東京って何でも高いのな」

「おはよう、ございます……?」


 挨拶も早々に近所のスーパーで買って来たであろう食材や調味料、料理器具がキッチンに置かれている。

 家にはなかった黒と黄色の皿に、中華麺が乗っていた。そこにかけられるのは麻婆豆腐。


 え……焼きそばに麻婆豆腐?


「口に合うはわかんないけど、麻婆焼きそば! アタシが住んでるところにある店が発祥なんだってさ」

「あ、実際にあるメニューなんですね」

「アタシがテキトーに作ったと思ったのか?」

「……馴染みのないメニューだったので」


 目を逸らして答える。ソファに座れと言われ従う。そして洋が、味は保証しないけど食えよと、買って来た割り箸を皿の縁に乗せて目の前に置いた。


 普段はまともな食事もしないため、自宅で湯気の上がる食事を見るのは違和感を感じる。

 それでも一口くらい口をつけなければ失礼だと思い、割り箸を割る。


 麻婆豆腐を麺に絡めて数本持ち上げ、実食。


「不味いか?」


 不味い前提なんだ……恐る恐る焼きそばを噛む。我儘で家事も出来なさそうな人が作る料理が美味しいわけがない。


 そう思っていたのに、口の中でパリパリと音を立てながらも、中はもちもちとした食感の麺。

 そして山椒の効いた麻婆豆腐が麺に絡み、心地よい辛さと痺れが食べ勧めたいと箸を動かそうとする。


「悔しい……」

「何がよ」

「絶対不味いと思ってたので……美味しくてびっくりしてます」

「超失礼だな」


 久々のまともな食事は身に沁みた。面倒なのと好物もパッと浮かばない性格なので、箸の進むスピードが早くて驚いている。


 気がつけば焼きそばは無くなって、終わってしまったという喪失感まで感じている。何故。


 洋も完食した事を喜んで、鼻歌を歌いながら食器を洗う。家にはなかった調理器具を見ると、人間らしい生活をしているなとまた不思議な感情が湧く。


「あの」

「ん、なんだ?」

「これで、あの……夕飯の食材とか買って来てください……好物とかもないですし、なんでもいいので」

「おう……?」


 もう自分がわかりません。財布から万札だして、少し照れてご飯作ってくださいって言っている自分が自分と思いたくない。


 いつもなら栄養食食べて映画を見て、何も考えずに天井を見たり、なんな、仕事をしていたりする日曜日。

 家に人を入れてご飯作ってください? オレですよね? この体、オレですよね?


 洗面台で顔を洗って鏡を見ると、やっぱりオレなんですよ。でも行動は別人で大変戸惑っているんです。コンタクトも取らずに眠ってしまったみたいだし。


 気持ちは疲れていると思っても、いつもより眠れたからか体は軽やかだし、胃も満たされているのが悔しい。


 鏡越しに洋がひょっこり現れて、そんな顔で何してんの? と口を開けて見ていた。


「なあ、何か食いたい物ある?」

「いや、特に無いです」

「好物とかあるだろ。何系とかさ、和食、洋食とか」

「麻婆焼きそば」

「は? さっき食っただろ」


 好物無いってさっき言ったのに! さっき生まれて初めて食べた麻婆焼きそばが好物だっていうのか! 脳内で自分に往復ビンタ。


 間違えたと言って乗り切るしかない。味はどうでもいいけれど、食べる過程が好きだから蟹とでも言っておく。


「すみません。間違えました。蟹です」

「一文字も合ってないけど?」


 洋は変な奴だと表情で語り、買い物へ行くと出て行った。


 数時間後、家には無い食器をまた買い揃えて来てはすぐにキッチンに向かっていた。

 気にしないフリをしてリビングでパソコンをいじる。


 揚げ物の音がする。絶対そう。でも気になって見に行ったら楽しみにしてると思われる。

 数日後には出て行く人の料理なんて興味を持ってどうするんだ。


 映画でも見て気を紛らわそうとするものの、そういえばスプラッター映画しか持ってないし、他に興味が無い事を思い出す。


「何作ってるんですか?」


 何を作っているのか気になる好奇心が勝り、キッチンに移動してしまった。胃のあたりに悔しいという感情が渦巻き、それがぐうと鳴るのだから仕方がない。不可抗力です。


「仙台味噌の味噌カツ。麻婆焼きそば気にいったみたいだからさ、仙台攻めしてやんの。味噌高かったけどな」

「……普段も料理するんです?」

「最近な。でも、1人になってからだぞ? 誰かが作ってくれる事もあるけどな。何にも出来ないと思われてんだけど、どうせ皆死んだら自分で作らなきゃないし。好きなものだけ覚えた」


 不機嫌に口を尖らせて料理が出来る理由を話してくれた。この人は永遠に生きなければならないんだった。

 誰かのためではなく、自分のため。それでも、自分から2人分の食事を作ってくれるのはここに居る罪悪感からくるものなのだろうか。


「この家は炊飯器もないのな。ほい、これあっためろ!」


 手渡されたのはプラスチックの容器入った白飯。レンジでチンするだけと記載がある。こんなの食べた事がないから、どうやるのかわからずパッケージの文字を読み込んだ。


「嘘だ……レンチンするだけだぞ……」

「食に疎いもので……」


 口元を隠し、咳払いをして誤魔化す。やっぱりこういうのがわからないって変なのかも。


「炊飯器、買います」

「そうしろ……?」


 どうせ1人になれば使わないけれど。今の恥ずかしさを紛らわすには、そう言うことでしか逃れられなかった。

 炊飯器がないイコール、飯もろくに炊けないのはさすがによろしくないんだ。


 プラスチック容器の白米は洋に教えられてレンジで温め、わざわざ茶碗に移し替えて食卓に並べられた。

 その日の夕食の仙台味噌の味噌カツは悔しいですが、大変美味かったです。



「仕事に行くので、鍵を置いておきますね」

「あ、行くのか?」


 翌朝、玄関のスペースに使う予定のなかったスペアキーを置いて出勤する事を伝える。

 朝もぐうたら寝てるのかと思ったのに、朝食が用意されていて、洗濯までしてあった。


 朝食はまだいいとして、洗濯は自分で洗うからいいと照れてしまった。


 あちらの言い分は「だって祈はやってくれたぞ?」です。

 貴女方は同性、こっちは異性。デリカシーのかけらもなくてペースを崩される。


 これについていけるあの4人はタフだと思うんですけど……。


 朝から体力の半分を使ってしまった。もう出かけたいのに、玄関で引き止められる。


「伊東、これ持ってけよ」

「次はなんですか……」

「弁当」


 真顔で差し出されたのは黄色い巾着。その中身は弁当だって言うんです。

 洋は得意げに人差し指で鼻の下を擦り、アタシもやりゃあ出来んのよと壁に寄りかかる。


「なぜ弁当……」

「居候のやるべき事に書いてあったんだよ。ほら」


 携帯の液晶を見せられた。そこには同棲の心得と白で縁取られたピンク色のPOP体がデカデカと書かれている。


「…………これは居候じゃなくて同棲! 日本語勉強してください!」

「いってら」


 玄関のドアが勢いよく閉まる音に驚くのも自分らしくない。全てが狂う。おかしい。家に人が居ると調子が悪くなる。


 歩いて頭を冷やしたいのに、神霊庁まで徒歩圏内の自宅がために火照ってた体のままで入庁してしまう。

 自動ドアが開き切る前に上半身を傾れるように入れ込み、静かにと張り紙された廊下をダッシュする。

 特別経理部の扉は殆ど蹴り開けるに近かった。


「おはよう……ございます……」

「……おはよう、ボス……どしたの……」


 先に入庁していた洋斗がぽかんとして挨拶する。そりゃそうでしょうね。こんな姿見せた事ないですし、経験ないので。


「ちょっと寝坊して、大丈夫です」

「時間は余裕だよ? ネリーも来てないし」


 掛け時計を見上げる洋斗は、あと30分以上あるしと付け加えた。そうだった、就業時間早く来ているんだ。


「じゃあちょっと頭痛で!」

「頭痛い人は走らないと思うよ!?」


 言い訳にもならないのはわかっている。けれど頭の中はぐちゃぐちゃ。早く守達に引き取りに来て貰わないとストレスで気が狂いそう。


 洋斗が落ちついてと淹れてくれたコーヒーを啜ると、なんだかいつもと違う。いつもはこのコーヒーが朝食代わりで、朝をスタートさせる目覚めの一杯だった。

 今日は朝食を食べてきたからか、もう一口と進まない。


 そしてなんだか、目覚めもいい……?


「秀喜、ナンカ今日顔色イイね」

「おはよう、ネリー。ボクもちょっと思ってたんだ。ボス、何か特別なことしたの?」

「いや……」


 洋斗とネリーは普段からオレの体調を気にしていた。栄養食しか摂らず、飲み物はコーヒーのみ、そしてストレスが溜まった時の煙草。不健康の極みだとわかっていても、このスタイルが合っている。


 早死にするからと洋斗があれこれしてくれた事もあったけど、さっさと死にたいから笑顔でかわして来た。


 だからこんな質問をされる。ちゃんと寝たんだねとか、湯船に使っタ! とか、まるで子供を褒めるように微笑んでくる。


「久々にちゃんとした食事を摂ったんです。それだけですよ」

「珍しいねぇ! 何食べたの!?」

「麻婆焼きそばと味噌カツ、朝はアジの開きでしたね」

「……ボス?」


 指を折りながら食べた物を思い出す。目をキラキラさせながら迫って来たのに、答えたら2人で真顔になっている。なんです? この表情。

 2人はゆっくり左右から顔を近づけて来て、ただならぬ圧を発していた。


「それ、ボスが作ったの?」

「秀喜、家族ト仲悪い。ダカラ、違う人間ヤロ」

「えっ」


 ならば、誰――? 息ピッタリに詰められる。

 しまった。何も考えてなかった。仕事の事ならポンと言い訳が出てくるのに――なら、仕事にすればいいのでは?


 動揺した自分から仕事用の笑顔に切り替える。


「最近、食事を作りに来てくれる家政婦が話題らしくて。それで、経験として雇ってみただけですよ」


 足を組んでコーヒーを一口。この余裕に2人も納得の様子。笑顔でつくるポーカーフェイスはすぐ作れる。


 始業を知らせる鐘が鳴る。特別経理部はパソコンのキーボードを叩く音と、紙を捲る音が聞こえるだけの静かな空間へ変わる。

 それは昼の鐘までの話。昼時ともなれば集中のスイッチを切り、派手な蹴伸びをして緊張をほぐす。


 洋斗は1人分の曲げわっぱの弁当箱、ネリーは重箱に大量の食料を詰めた物を持参する。

 これは毎日の光景。なんの変哲もない日常だ。


 この黄色い巾着さえなければ、ですけど。


「もしかして、それが家政婦さんのお弁当?」

「オイシイならウチにも少しヨコセ」

「ちょうだい、でしょ。ネリー」


 また来た。朝のデジャヴ。家政婦で切り抜けたから大丈夫でしょう。

 2人が見つめる中、巾着の太い紐を解き、中を覗く。

 焼き味噌おにぎりがラップに包まって2つ入っていた。


 ネリーが食べたいと言うので1つ譲ると、巾着の底に何か入っている。指先で摘むように取り出すと。


 ――絶対に炊飯器買って来いよ


 と、手書きで書かれたメモ紙。横には沖田総司っぽいキャラクターが小さく描かれている。


「家政婦さんからのお手紙?」


 見られたら面倒になる。隠そうと手を引っ込めれば、机の淵に手を強打して床に落としてしまった。

 ヤバいと思っても、洋斗の足元にふわりと落ちてしまったからどうしようもない。


「カツアゲされてる?」

「自宅に炊飯器がないので……」


 洋斗は手紙の内容よりも、炊飯器のない家がある事に驚いた。ここにいる全員が一人暮らしで、2人は当たり前に持っているのに。


「なんか、ボスらしいね……」


 苦笑いする洋斗に合わせて笑っておく。このイラストに触れられたら終わりだと思っていたため、動悸がすごい。


 尚、もうひとつのおにぎりは、美味いネと満面の笑顔のネリーに持って行かれた。


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