洋が居なくなってから1ヶ月が経った。私は秋田の実家に戻り、秋田支部の仕事を教わったり、引き継ぎに明け暮れている。
洋の家には学が住んでいる。聡さんが決めた家の売却の退去が告げられるその日まで、帰って来るのを待っている。
晴太は骨折の療養のために青森の実家へ帰省。私と学のことは神霊庁の職員として推薦してくれた。
おかげで職員にはなれたけど、なった意味はないんだもの。
洋が居ない。それだけで私達はバラバラになる。友達や仲間だと思っていたけど、洋を通して繋がっていただけの他人。
連絡だって数えるくらい。守なんて1度もやり取りしていない。
洋を探そうにもどう探していいのかわからないから、私達は時間を掛けても洋が帰るのを待つしかない。
秋田の空は広い。どこまでも果てしない。また1人になったと痛感させられるのが苦しくて、何度も携帯を見てしまう。この前は胸が詰まるような思いをした。
洋のメッセージアプリのアカウントが無くなって、連絡先は電話番号だけになってしまった。
親も居ない、お金もないあの子はどこへ行ったの? 神霊庁に保護されていると秀喜から聞いてもすぐに信用出来なかった。
連絡がつかないんだから、本人の言葉じゃないと安心出来ないの。
液晶画面を触る指は、洋の電話番号まで辿り着いている。液晶のブルーライトは白く、刺すように眩しい。番号をタップしたら電話がかかる。けれど、私の親指は震えている。
迷っていると、見計らったように着信で携帯が震えた。
相手は――。
『おう、元気か?』
学の気の遣った高い声。電話越しでも無理をしているのがわかる
「体はね。晴太と骨折もよくなってきたみたいよ――で、何かした?」
相手は学だけど、私に電話を掛けてくれる人がいたんだと嬉しくなった。
学は様子を伺いながら、少し溜めて本題を切り出してくる。
『守が部屋から出てこなくなって一月経つからよぉ……そろそろまた声かけに行った方がいいかなってな。でもおれじゃ出て来ねぇだろうし、祈さぁ、来てくんね?』
「まだ出て来てないのね……」
あの日以降、守は部屋から出てこなくなったわ。私達や守の家族がどれだけ呼びかけても、放っておいてくれの怒声しか返ってこなかった。
諦めたわけじゃないけれど、洋が帰らないのであれば時間でしか解決できない事だと結論付けた。
私は少しも動かずにいるのも良くないと思い、学に即了承を出した。そしてすぐに秋田駅から1番早い新幹線へ飛び乗り、仙台へと向かった。
◇
学と合流後、守の家へお邪魔する。守のお母さんは「洋ちゃん絡むとああなるのよ」と呆れ気味にため息をついていた。
食事も睡眠もろくに取っているかわからず、唯一物音で生存確認出来るのはトイレに行く時くらいらしい。
同居しているお母さんでさえ1ヶ月は姿を見てないなんてありえるのね。そりゃあ学なんてもっと見れない訳だわよ。
どうせ洋ちゃんが来なきゃ扉なんか開けやしないわよと言って、洋が好きなお菓子をダイニングテーブルの上に並べる。
守のお母さんは守とは違って朗らかでちょっと強引な気さく人。守より洋の方が似ていると思うのは、洋が土方家で過ごした時間が長いからかしら。
きっと本当の娘のように思っているから、帰って来なくても好きなお菓子を準備して待っている。
ママもそうだったから、思い出したら目の奥がジンとする。
守のお母さんは私達の目の前に自家製のはちみつレモンソーダを置いて、椅子に座った。
「それね、洋ちゃんが好きなやつなの。唐揚げ好きでしょう? レモンかけると美味しいよって言ったらね、あんまり合わなかったみたいなんだけど。唐揚げとこれだと美味しいって言ってくれてさ」
「だからあの子いつもレモンソーダばっかり飲んでるのね」
私の言葉に、笑顔でそうと頷いた。
「洋ちゃんが居なくなって、うちも寂しくなっちゃってね。守なんて一生出てこないんじゃない?」
「んなバカな。叔母さんさすがに言い過ぎ」
学が苦笑いしながら頭の後ろで手をクロスさせる。守のお母さんは険しい顔で「守ってそういう子よ」と目を光らせた。
「あの子は洋ちゃんありきで生きてきてんのよ! 大学受験の時もそう。洋ちゃんの面倒誰が見るんだって県内の学校選んだでしょう? 高校受験は洋ちゃんと同じ学校に入らなきゃいけないからってランク落としてね、学校の先生も呆れてたわ」
「うわ……」
進路指導の先生には翻訳家になりたいなら県外の学校に行けばいいと提案されても頑なに拒否。そこまで反対されるなら特待生になってでも行くと有言実行っぷり。
あの男……強い! そしてちょっと……重い!
「大学に入ったのにすぐ帰って来るし、わざわざ家で出来るアルバイト探して。少しは外で働いたら、って言ったらなんて返して来たと思う?」
「えー……洋が大学来るから行けねぇ……とか?」
「違う違う! 洋ちゃんに何かあった時不味いだろ、って。んなねぇ、保護者じゃないんだから!」
守のお母さんさんはお腹を抱えてめちゃくちゃ笑ってる。さすがの学も引いた様子で口角が引き攣っていた。
「……叔母さん? 守って、そのぉ……洋の事……」
そうよね、ここまで来たらそれは聞くべきよね。その質問についに来たかと腕を組んで凛々しい顔をした後、守のお母さんはドッと笑いが堪えられないと大笑い。
「好きに決まってんじゃないの! あれで隠し通してるつもりでいるんだから笑っちゃうよねぇ! 昔から洋ちゃん洋ちゃんって、洋ちゃんが他の男と結婚したら死ぬんじゃない? ねぇ、お父さん」
「ありゃ死ぬな。今から墓の準備しとくか?」
不謹慎な親……この親でどうやってあの土方守が育つのか不思議だわ。
お父さんまで参戦。やっと話に入れたと上機嫌。どうしても部屋から出したいならひとつ方法があるとチラシの裏に油性マジックで文字を書き始めた。
守と同じ瞳を子供のようにキラキラさせている。
聞いて驚けと勿体振り、勢いよく文字を見せてくる。
「総じて! 声がけ作戦だ!」
「何も総じてないが……?」
守のお父さんは人差し指を左右に二往復させながら、違うんだなと作戦内容を話し始めた。
「どうせ守の事だからこの4人で声をかけたとて出てこない。洋ちゃんしか出てこないのなら、洋ちゃんを使えばいいんだよ」
「その洋がいねぇから閉じこもってんじゃん?」
「洋ちゃんはいないが、洋ちゃんでおびき寄せるのさ」
言っている意味はハテナの繰り返し。話すよりやる方が早いと言って、4人で足音を立てないように2階にあがる。
そして守のお父さんは携帯を取り出して少し操作した後、私と学ぬ部屋の前に行くよう指示した。
そしてまたチラシの裏に文字を書き、それをカンペのように見せてくる。
書いてあるのは"立ってて!"だけ。何する気?
学と並び、扉を見つめていると久々に聞く声が階段から聞こえた。
「土方ァ、まだァ?」
イライラしながら守を呼ぶ声。洋の声だと振り返ると、守のお父さんが携帯で再生した過去の動画からだった。
洋が帰って来たのかと思って胸が高鳴ったのに――!
「沖田!?」
そう思ったのは私達だけじゃない。扉が勢いよく開くと、姿の変わり果てた守が姿を現した。
「やれ――――! 囲え――――!」
と、同時に守のお父さんが戦の始まりを告げるかのように叫ぶ。
学と私は守の体をがっしりと腕で掴み、体重をを下にかけて逃がさないようにホールドする。
でも、足掻く守が動く度に鼻が不快になるわ……何て言うか、この匂い……。
「守、お前――」
学も顔を顰めてる。酸っぱいような、ツーンとつくような、果物が腐った匂いというか、皮脂の匂いというか……。
「くッッッさ!」
学と私は片手で鼻をつまみ、守の体から顔を背けた。臭い、臭すぎる! 顔なんてよく見たら髭だらけだし、目の周りはクマと充血で目も当てられないし、腕も皮剥けてるし。
守の両親も息子の姿があまりにも変わり果てて唖然としてるわ。そりゃそうよ。一応大学じゃあイケメンの土方くんで通ってるって言うじゃない!? これがこの有様! まるで浮浪者じゃないの!
「ダ――ッ! 洋がいねぇと風呂も入んねぇのかよッ!」
学は守の手を引いて階段を降り、そのままお風呂場に連れて行く。
守は魂が抜けたようにされるがままになっては、服を着たままお風呂場へ入れられる。
「髪の毛固まってんじゃねぇか! ア――ッ!」
学の雄叫びから察するに、よっぽど酷い状態ってことね。
そしてお父さんが守の着替えを引っ張りだし、お母さんは私にベッドのシーツを剥がしを手伝ってと慌ただしくする。
初めて入る守の部屋には、今まで撮った写真やアルバムが散乱している。どれもこれも洋が写ってる。あの男、洋に会えないから写真見て紛らわしてたって事?
私も見返す事はあるけど、写真の絨毯が出来てるんだから相当よ。ちょっと怖いまであるわ。
――お風呂から上がってきた守はまだ魂が抜けている。髭を剃られ、いつものVネックの白シャツを着れば"知っている守"がソファにもたれている。
でも顔は死んでる。瞬きすらないの。怖。
洋が帰って来たと思ったら違うんだもの、そりゃがっかりするわよねぇ。
「祈ちゃん、学くん」
「ん?」
ひそひそ声で守の両親から名前を呼ばれると、廊下へ手招きされた。
近づくと、2人は福沢諭吉の書かれたお札を数枚強引に押し付けてくる。
「な、何ですか!?」
「これで守の事を外に連れてってあげて!」
と、お母さん。
「あんな状態で連れていけねぇって!」
「学くん! お兄ちゃんなんだろ! なんとかしてくれよ! 責務を全うしろ!」
「その前に叔父さんは父親だろうが!」
とお父さん。学の言う事は正論だけど、親じゃどうにも出来ない事があると返されていた。
学は眉間に皺がよるほど目をきつく瞑り、下唇を噛み締めて唸る。
そして炭酸水を開けた時の音に真似た声を出すと急に私の方を見る。
「祈、酒だ! 酒!」
「……はぁ?」
受け取った一万円札を右手の人差し指と中指で挟みながらヒラヒラさせて、ウィンクしてくるの。