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5 Silva abyssi(シルウァ アビュッシ)

 この世界には多くの国や小国家がある。さらに大国と呼ばれる国が5つあった。1つの帝国、3つの王国、1つの神聖国である。

 そのうちの1つ、ラノウィニア神聖王国は、大国と呼ばれる中で最も小さな国といえる。国土の大きさ、経済力、軍事力に限れば、むしろ周辺国の方が大きい場合もあるくらいだ。

 しかし、世界への影響力という点では、最も大きな国でもあった。その理由は王の系譜にある。

 この世界を創造した神が、自らをして作った人間がこの国の王族の始まりであり、この世界を神に代わって統治するために、天剣てんけんを授けられた一族とされているからだ。

 この小さく貧しい村は、ラノウィニア神聖王国の辺境にあった。

 見渡す限り砂と岩ばかりの、雨降らぬ荒涼たる大地。収穫できるのはアワやヒエといった雑穀と少量の豆程度だというのに、いつ止むとも知れぬ乾いた大風が、数少ない実りさえも倒伏とうふくさせようと吹きすさぶ。神の威光が届かぬ土地。


 此処はであった。


 教会が”魔女の深淵”と呼ぶこの場所は、この世界を暗黒に染めようとした魔女が、創生神マルマレオスによって封印された場所と言われていた。

 故に、この村に住むのは魔女の眷属けんぞくである魔法使い達くらいであり、また魔法使いであるからこそ、この不毛の地に長年にわたって生活する事ができたともいえた。

 とは言え、ここまで酷い有様になったのはここ10年ほどの事だ。以前は、魔女の深淵の名の通り、深い湖とそれを囲むように鬱蒼とした森があったのだ。

 貧しいとはいえ食うに困ることはなく、商人の往来もそれなりにあった。

 それが今では、荒れ地のオアシスであった湖と森は跡形なく消え去り、訪れる商人どころか迷い込む者もいない。

 他所からの助け手が期待できない村では、何事においても結束し支え合う必要があった。

 だからこそ、今年も村人全員と家畜が冬を越すだけの蓄えは、ギリギリながらもあったのだ。

 足りないのはまきだ。暖を取るために燃やすものが、もう何もない。

 この乾燥地帯に、降るはずのない“雪”というものが降り始めてから、すでに3週間。

 吹雪はますますひどくなる一方で、鎮まる気配すらなかった。


「……せめて薪だなぁ。この雪で濡れてダメになった分が、そのまま足りない。このままでは村人全員が凍え死ぬのを待つばかりだ。まあ、俺ならば何とか町にたどり着き、戻ってくることも可能だろう!はっはっはっ!」


 村の大人達は国境や首都へ出稼ぎに行くのが常であり、必然的に村には老人と子供しか残らない。雇用期間を終え、たまたま村に戻っていた体力だけは馬鹿みたいにある男が、行動しようとするのは必然ではあった。

 ただ、ひとつ問題があった。


 「お前は魔法が全く使えんじゃないか。どうやってこの吹雪の中、明かりもなく移動するんじゃ。馬鹿者が」

「ああ〜、まあ、それはそうだが……。なんとかぁなるだろう。魔法でなくたって松明もある事だし」

「そんなもん、この吹雪の中で、なんの役に立つものか」


 老人が、杖で床を数回叩くと、ふわりと室内が暖かくなる。


「じじぃ~、あんま無理はすんなよなぁ」

「誰がジジィか!村長と呼ばんかっ!まあ、心意気は買う。気持ちもありがたい。じゃが、孫娘の婿をみすみす死なせるような事は、ようせんわい」


 国民のほとんどが魔法を使えるとはいえ、かまどに火を付けたり、井戸から水をくみ上げるといった生活魔法程度のものだ。何もないところに、己が持つ魔力のみを糧として火をおこし続ける芸当など、今となっては王宮の魔術師くらいにしかできない。


 老人は杖を自分の体に預けると両手を開く。

 かつて魔法使いは、王宮の魔術師など足元にも及ばぬほどの魔法を使えた。しかし、魔法使いの魔力は森が消えた日から、指の間から砂が零れ落ちるように失われていく一方だ。レンテ・ジェバイリタは、その皺だらけの手のひらを握り締め、己の無力さに首を垂れた。


 すでに、5家族ごとにひとつの家屋に住まい暖をとって生活している。多少広いこの家では8家族。それでも、薪はあと数日保つどうかだ。

 家長の話し合いの場に大人は数名。そのほとんどが老人の上、出稼ぎに行けぬ妊婦と家長代理の少年だ。結論など出せぬまま、あと1日だけ天候の回復を待つことになった。


 ――じいさんの心配は有り難いが、このままではジリ貧だ。おそらく吹雪は止むまい。機を逸すれば、それこそ手の打ちようがなくなってしまう。


 ヴァルターは考えるのはそこまでだとばかりに寝床に入った。

 生来、深く考えるのは性に合わないし、考え抜いたからといって良い結果が出るとは限らないことは、経験上よくわかっていた。

 まずは体力。そして、出立は風雪が比較的穏やかな早朝にと決めた。 


 翌朝、ヴァルターは気配を消し荷造りを済ませると、家族に別れを告げないまま、木の扉が吹き飛ばされないよう慎重に扉を押し開けた。

 目の前に広がる猖獗しょうけつを極めた白い死の世界に、歴戦の傭兵であるヴァルターさえも、思わず足に力が入った時だった。


「……女の子?…義父さん、女の子がいる……」

「オルバー?お前、いつの間にっ」


 気配は完全に消していたはずなのに、背後を取られたなんてありえない。ヴァルターの驚きも束の間、オルバーが迷うことなく吹雪の中へ駆け出した。


「……た、大変だよっ、女の子が雪に埋もれてる!義父さんっ!」

「待て!オルバー!!危ないっ!」


 オルバーを先導するように、飼い鳥である山鳩が横殴りの雪の中を切るように飛ぶ。

 吹雪にけぶる白い闇に、シルバーグレイの少年の髪が、その魔力によって篝火かがりびのよう赤く巻き上がる。

 その光景は、今にも輝きを失いそうだった理莉の瞳に薄い揺らめきをもたらした。


 ――炎?…ひと?…だ…誰?


 自分は一体どうなってしまったのか。シリウスは無事なのか。ここは何処なのか?

 湧き上がる疑問で意識を保ちながら、理莉は駆け寄ってくる赤い炎を必死に見つめ続けた。

 オルバーは腰まである雪をかき分け、何とか山鳩の降り立った場所までたどり着くと、冷たくなった理莉の手を掴む。


 ――暖かい……。


 重ねられた体温に互いが安堵し、理莉はそのまま意識を手放した。


 そして、その翌朝から吹雪はピタリと止んだのだ。

 見事な青空がこれまでの憂いを晴らすかのように広がり、雪解け水は低値に溜まり沼となった。その沼の周囲に細い木々が生えていることに村人達が気づいて数ヶ月。

 ありえない速さで成長し広がった樹々は、すでに今、小さな森になっていた。


 ••✼••


 森の入り口に積み上げられた飼葉の脇で、海斗は静かに立っていた。清々しい風に揺れる髪がキラキラと朝日に照らされている姿は、純粋に綺麗だと理莉は思った。約束の時間通りにやってきた理莉を見つけ、ふわりと優しげに笑う海斗……。他人が見たら、なんて爽やかな青年かと思うだろう。

 でも、理莉にはわかる。

 やけに白々しい。とてつもなく嫌な予感しかしない。


「記憶喪失は頭を叩くとか……、何かショックを与えれば思い出すとか言うだろ?」

「か……、海斗くん、な、なな、何する気?」

「なあ、理莉、どれで叩かれたい?まずは、この本なんかんじゃね?……まあ、パワー不足は否めないか……」


 そう言うと、どこから出したのか、海斗はすでに厚さ数十センチはあろう重そうな本を手に持っている。


「ひいっ、い、いやいやいや!自分で思い出すって言ったよね?言ったからっ!……か、海斗くんのお手を煩わすコトは……ないかなぁー?なんて。やだやだあ!怖い怖い!こっちこないでぇ~!」


 ――バサバサバサッーーーッ‼︎‼︎

「いたっ!痛っ!痛ったあああぃいっ!」


 逃げる間もなく、理莉の頭の上に数十冊の本が空から降ってきた。頭を庇いながらうずくまったのも束の間。

 理莉はある事実に気づいたのだ。


「なっ、なんで海斗くん、魔法が使えるのぉお⁈」

「なんか思い出したか?」

「そおじゃなくて、魔法……」

「チッ……この程度じゃダメか」


 パチン。

 海斗が指を鳴らした瞬間、巨大な岩のような本の塊が空から落ちてくるのが見えた。


「きゃぁあああっ!ヤダヤダ、痛っ!やああああっ!痛い痛い!」

「逃げんなっバカ!ちゃんと当たれよ!」


 逃げ惑う理莉を追いかけながら、本は次から次へと見事なコントールで落ちてくる。

 ついに太い魔導書の角に頭をぶつけて悶絶している理莉を、オルバーは飼っている山鳩にトウモロコシを与えながら気の毒な目で見つめ、昨夜のことを思い出していた。


 ••✼••


「そうだったんですね!遭難していた理莉を助けてくれたなんて、本当にありがとうございます」


 海斗が手を胸に当て礼儀正しく感謝を示す。

 探していた幼なじみの無事がわかって安心したと、キラッキラの笑顔をみせると、周囲からホウ……っと、ため息が漏れた。

 主として村のご婦人方からだ。


「あらやだ、本当にイイ男だねぇ!」

「あちらの世界ってところは、こんなにイケメンばっかなのかね?行ってみたいもんだねぇ」

「いえいえ、こちらの世界の女性の若々しさと美しさに、自分の方が驚いたくらいですよ」

「キャー、ヤダよう!本っ当に、いい人じゃないか!」

「……」


 オルバーは目の前にいるこの好青年が、さっき自分の背中を足で蹴っていた人物と、同一人物とは思えなかった。

 あまりの変わり身の速さに、空いた口が塞がらない。


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