家に入ると、台所には既に下調理された食材が並んでいた。
『あ、そうだ……レベッカ。少し言いにくいんだが……』
「こ、今度はなに……?」
『俺、食べ物を食べられないんだ』
「えぇっ! せっかくがんばって作ったのに!」
『フィーナに食べさせてやってくれ。いいだろ?』
「……マークが食べないと、調味料が、機能しない」
『なに?』
「なんでもないっ! もうっ!」
ぷんぷん怒りながらレベッカは調理を始める。
『なんだよ一体……』
「ご主人様、レベッカさんの気持ちもわかってるものだと思ってましたが……」
『え?』
「いえ、なんでも……」
フィーナまで意味深なため息をつく。なんだよ……。
「フィーナ……塩とか大丈夫なの?」
「あ、食べ物もヒトと同じなので大丈夫です! ……なにか、できることありますでしょうか……?」
「じゃあ、あのお皿と……」
『お、俺は何かやることないか?』
「マークは座ってて。あの人たちの技術であのチカラが抑えられたっていうのはすごいと思うけど……ちょっとまだ何かあると困るし」
『そうか……』
ひとりだけ何もせずというのは少し気後れするが、レベッカがそう言うなら仕方ない……。
『そういえばレベッカはなんでそのこと知ってるんだ?』
「昨日の夜、あの人たちとご飯食べたの。その時に聞いた。なるべく早くもとに戻れるように、機能だけでも戻していくって約束してくれたんだ」
『あぁ、そういえば言ってたな……』
「目や耳が聞こえてるから味なんかもわかるかと思ってたのに……そこまで何も感じないとは……」
『本当はお前の料理、めちゃくちゃ楽しみだったよ。でも……この身体じゃあな』
外套をぱたぱたとはためかせて自嘲気味に笑って見せる。
「……戻ったら、絶対食べさせるから」
『……ありがとな』
元に戻った時の楽しみが、またひとつ増えた。
それからふたりは協力しながら料理を作り上げる。
以外にも相性は悪くないらしくレベッカが上手く指示を出しフィーナはそれに応えててきぱきと動けている。
「フィーナ、なぜそんなに道具の名前や場所がわかるんだ?」
「そりゃあこの家でしっかり学びましたから」
「でも一ヶ月くらいだったでしょ」
「ご主人様のためなら……ふふふ」
「調子に乗らないで」
「ひどいっ!」
『実際フィーナはどんな風に俺と暮らしてたんだろうな』
「それはですねぇ……えっと……」
フィーナはちらりとレベッカの方を見る。
「別に……私そんなことで動揺するようなオンナじゃないから」
ほんとかねぇ……。
『じゃあ聞かせてもらうとするか』
「い、いいですか……じゃあ……」
──あれはまだオレがこの家に来て一週間くらいだった日のことです。
外で暮らしてきたオレは、なかなか屋内の生活というものに慣れていませんでした。
おまけにヒトを喰おうとしたことはありませんでしたから、ヒトの姿になったこともありません。
なのでもう、すっかり獣じみていたわけです。
それはヒトと獣、主従のようなもの。それに甘んじていれば良かったわけでもございます。
しかしね、なぜかオレ、ムショーにヘンな気分になってきてしまいまして。
なんていうんでしょう、いてもたってもいられなくなるというか、切なくなるというか。
多分、恩を返したかったんでしょうね。きっと。
それでこの獣の姿でできることっていうのは、限りなくゼロに近かったわけです。
毎日干し肉をいただいて、お水をいただいて、しかしそれを享受するばかり。
このままじゃあいけない。
そう思う気持ちばかりが募っていったわけです。
そうしてその日。その日でございます。
オレはいつもよりその想いが強くなってきちまいまして、うろうろうろうろ部屋の中を歩きまわっておりました。
そんなことをしても何の解決にもなりはしない。それもわかりきってはいるのですが、身体が熱くて熱くて仕方なくなって、動かないわけにいかなかったんです。
どうにかしてなにかできないか。考えて考えて、そうしてようやく思い出したんです。
そうだオレは人狼だった。
試したことはないけれど、ヒトの姿になれるはずだ。
方法だけは知っておりましたから、すぐにもオレはぴょんと空中一回転。たちまち身体はヒトと化しました。
それを見ていたご主人様。オレが人狼の魔法生物だということ、今まで知らなかったものですから、大変驚いておりました。
しかしそこでオレを追い出すのでなく、話を聞いてくださいました。
やはりオレはこの人についていく……そう決めたんです。
それからというもの、オレはこの姿で過ごすようになりました。
料理や掃除、洗濯なんかの家事を率先して行いまして。初めは右も左もわからぬヒトのからくり。それでも何度も失敗してはご主人様に教えていただきました。
全てはこのヒトを喜ばせるため。
オレは毎日御奉仕させていただきました。
……そう、あの日までは。
「……ということは……私は、お前を余程苦しめたらしいな……」
レベッカが罪悪感からか目に涙を湛えて呟く。
「……もういいんです。魔法生物がここにいてはいけないことは、本当はわかっておりましたから」
『俺もその記憶がないとはいえ辛く当たったな……本当にすまないフィーナ』
「やめてくださいってば! ヒトとともに魔法生物が幸せになるだなんてのは許されないってわかってるんですから!」
笑いながらそれを否定するが、その笑顔の裏には強い悲しみがあるに違いない。
「……でも、信じててよかった。ご主人様の言った通り、ヒトを襲わず護り続けたから、神サマがご褒美をくれたんです。だから今くらいは、幸せになってもいいですよね……?」
『そうだな……。お前は仲間のもとにも戻れず、ずっと一人で村の周りを護っていてくれたんだもんな……』
思えば周囲に敵がいなかったことやこの村が襲われていないことの要因のひとつにはこいつの存在があったことが絡んでいるに違いない。
ノーマライゼーションの結果として生まれた事象だったとして、それを果たしたのは目の前に存在しているこのフィーナだ。
無下にしていいことでは無い。
『ありがとうフィーナ。村を護ってくれて』
「よしてくださいってば……」
フィーナは照れくさそうに頭をかきながらシッポを振る。
「そんなやつに私はなんてことを……」
「だから、レベッカさんもやめてくださいってば。オレはこれしかできなかった。それだけです」
「ごめんなさい……フィーナ」
レベッカは深く頭を下げて謝罪する。
「あ……もう、いいですって」
フィーナはどこかバツが悪そうに目をそらす。
『よし! もういいでしょ! みんなで仲良くしようや』
暗い雰囲気を打ち壊すように手を叩いた。
「だが……」
「いいんですって! それよりこの料理の香り! オレはこっちの方が気になるな〜」
「……やれやれ」
そう言うとやっとレベッカは笑った。