姿を現したテンタコーは、二、三メートルはあるであろう巨体から、十数メートル近く伸びる触手を複数伸ばしている。
頭は丸く大きく、ぎょろりとした目が突起のようにせりあがってついている。
アザラカたちはテンタコーに対して強い敵意を持っているらしく、先程から何度も頭突きをしては戻ってきて、助走をつけてまた頭突きしにいく。
しかしテンタコーの弾力のある身体には効き目が薄いらしく、テンタコーは触手をうねらせながら徐々にこちらに迫りつつある。
「がっ……がんばれアザラカさんっ!」
「応援してる場合じゃないだろ! 俺たちも行くんだよ!」
「えぇ……だって、オレたちも素手ですよ? あんなの噛みたくないぃ……」
「弱音を吐くなよ……俺だってやだよ……」
やはり本格的に武器を揃えることを検討した方が良さそうだ。
むしろあの身体に過信していてその考えに至っていなかったのは迂闊だった。
このダンジョンを抜けたら俺、武器を買うんだ……。
「あっ!」
急にフィーナが声を上げる。
「ん? どうかしたか?」
「へへ……ちょっと……足許がですねぇ……」
フィーナの足を見ると、触手がぐるりと巻きついている。
「んやあぁぁっ!」
そのままフィーナは引っ張られてしまい、数多の触手に捕えられる。
「なんっ……すか、これ……! ロープより強いし……しかもぬるぬるして……掴むのも難しいです……!」
フィーナはもがきながら触手を振りほどこうとするも、触手は相当力強く掴みにくいらしく、全然振りほどくことができない。
「やっ……だ……ふぅ……ぜんぜん……とれないよぉ……しかもこれ……ヘンなニオイするしぃ……もぉやだよぉ……」
次第にぐったりとしだし、抵抗することもできなくなりつつある。
「フィーナ! あきらめるな! すぐ助けに行くから!」
「助けるっていったって……」
確かに、現状取れる手段はあまりない。
獣の姿になったところでこの触手には牙や爪が通るかもわからないし切り落とすことなどできないだろう。
あとは人狼の姿になることだが……リスクを考えるとどうだろうか。
「ふげえぇぇっ!」
そうこうしているうちにフィーナの方から悲鳴が聞こえる。
テンタコーの口から噴出した液体がフィーナに浴びせ掛けられている。
「なにこれ……む……ぅ……はぁ……はぁ……」
フィーナは息も絶え絶えになりながらドロドロの粘液の中で辛うじて頭を出している。
このままでは呼吸が出来なくなってしまうかもしれない。
「気にしてる場合じゃねェ!」
すぐさま首輪のボタンを押して人狼の姿に変異する。
「うあおおおぉっ!」
一足飛びでフィーナを拘束している触手まで飛びつき引っ張る。
テンタコーは薄気味悪い顔をこちらに向けて俺を威嚇している。
「離せよっ! こいつはお前にくれてやるわけにいかないんだよ!」
「あっ……ん……」
俺が触手を引っ張る度にフィーナが苦しそうな声を上げる。
「だ、大丈夫か?」
「は……い……っ!」
フィーナは全身を粘液だらけにされて締めあげられてしまっている。早く助け出さなければ……!
「ちくしょう! なんて硬い触手だよ!」
引っ張ってもまるで絡まった縄のようにビクともしない。
ならば斬撃ならどうか。
俺は爪を出すとそれを触手に突き立て一気に引き裂いた。
「……!!」
テンタコーはうめき声のようなものを上げて身をよじる。
俺の爪を受けた触手は真ん中からぱっくりと裂け、中から薄青い液体が噴き出してきた。
「よし! 斬れるぞ!」
「はっ……はや……く……も、もう……ら……め……」
「うらっ!」
フィーナを拘束している触手を切り裂く。
切断するまではいかないが、裂傷を与えた触手はたまらずフィーナを解放する。
「うぐっ……えぇ……ふっ……うぅ……」
フィーナはその場に倒れ、時折ぴくぴくと痙攣している。
……粘液には麻痺毒でも含まれていたのか……?
「よくもフィーナを!」
テンタコーに向き直ると、やつもまたこちらに腹を立てたように俺を睨みつける。
「やる気かよ!」
その言葉に呼応するように触手が三本同時に飛んでくる。
一つ目、二つ目をかわしつつ、三つ目の触手を切り裂く。
「どうだよ!」
既に複数の触手が裂傷を負い、テンタコーはたじたじとした様子で触手を引っ込める。
「おうっ!」
その時、アザラカが唸り声を上げながらテンタコーの顔面に向かって跳躍しながら頭突きを繰り出す。
「……!!!」
またもやうめき声のようなものを上げてテンタコーは後退する。
「ナイスだアザラカさん!」
「おうおうっ!」
続けて二頭目のアザラカも同じように顔面に頭突きを繰り出す。
「……ふじゅるぅ」
しかし、今度はそれを読んでいたのか、テンタコーは顔面でアザラカを受け止めそのままアザラカを触手で拘束した。
「おおう!?」
「ま、まずい!」
アザラカの頭と尾ヒレにぐるりと触手が回されると、まるで雑巾を絞るかのようにアザラカの身体が引き絞られる。
無惨に首と尾ヒレが別方向に回転させられ、アザラカは動かなくなる。
それをべしゃりと打ち捨てると、テンタコーは再びこちらに迫ってきた。
「おうおおう、おおおおうっ!」
アザラカは先程までよりさらに恐ろしい表情になり、テンタコーに向かっていく。
仲間をやられたことで怒り狂っているように見える。
……もし、さっき助けるのが遅れていたら、フィーナがあの無惨な姿になっていたかもしれない。
それを考えると、恐ろしくなった。同時に、負けられない思いが湧いてくる。
「俺も加勢するぜ! アザラカさんっ!」
このままではこのアザラカもさっきのアザラカのようになってしまうだろう。
だから今度は、その隙を与えさせない。
「おうっ!」
「おらっ!」
アザラカの頭突きに合わせるように背後からテンタコーの頭を斬りつける。
「……!!」
うめき声が上がるが、触手はだらりと下に下がる。
「やったか……!?」
直後、テンタコーの顔の前にいたアザラカが前方に吹っ飛んだ。
「なんだ!?」
地面に落下したアザラカは、ゼロ距離で粘液を掛けられたらしく、吐き捨てられた痰のような粘液に包まれて蠢いていた。
「おい大丈夫……かっ!?」
アザラカに声をかけたところで、俺の身体が宙に浮く。
「うわわわっ!」
垂れ下がっていたはずの触手が再び活性化し俺を締め上げながら持ち上げていた。
「こいつ! 死んだフリしてやがったのか!?」
アザラカが喰らったあの技をやられたら終わりだ! はやく逃げなければ……!
「くそ……かっ……てェ……」
締め上げるチカラは強く、強靭な触手はとてもじゃないが解けそうにない。
おまけにフィーナもアザラカもドロドロのまま身動きが取れそうにないので救援も望めない……。
「万事休すか……!」
テンタコーの触手が俺の首と足に巻かれる。
と、その時、急に身体が軽くなる感じがした。
軽い衝撃の後、自身の身体が地面に転がっていた。
「いてて……なんだ、これ……」
テンタコーも急に俺がいなくなったことに驚いているらしく、目玉をぎょろぎょろ動かしながら俺を探している。
それに見つからないように背後に回り込むと、状況を整理する。
どうやら首輪の魔力増幅効果が切れて巨大化していた身体が元に戻ったらしい。
それどころかあの時のフィーナのように子どものように縮小してしまっているが……。
「……いや、これは逆にチャンスかも!」
テンタコーにバレていない状況を利用する。
ただし、今の状況では武器が無い。
子どもの姿のままでは爪も牙も使えないし……この姿は十分程度はもとにもどらないという。
「……いや、もしかして!」
その時、俺はあることに気づいた。
この状態は、魔力を使ったことの反動によるデバフ、つまりは普通では無い状態なのだ。
「やってみる価値あるかもな!」
思い立った俺は手を天に突き上げ声を上げる。
「ノーマライゼーションッ!」
光が俺を包み込み、一瞬何も見えなくなる。
しかし次の瞬間には、高くなった視界が目に入る。
俺の身体はもとに戻っていた。
「……ということは?」
俺はもう一度首輪のボタンを押す。
あの魔素の流れ込んでくる感覚が再び押し寄せ、全身にチカラが漲った!
「マジか! 代償無しで強化使い放題じゃねぇか!」
俺の身体は再び人狼の形態に変化する。
「これなら……!」
未だにのそのそとこちらに気づかずにいるテンタコーに不意打ちをしかけてやる。
「うおおおお!」
俺が雄叫びを上げながら飛び上がると、その声に気づいたテンタコーは驚きながら振り向く。頭に飛びつき、そのひん剥かれた目玉に爪を突き立ててやった。
「……!!!!」
悶絶しながら触手をばたばたと動かすも、頭の上にいる俺には届かない。
続けざまに脳天に垂直に爪を突き刺す。
薄青い液体が周囲に飛び散り、それでもなお天タコーはもがき続ける。
「さっさと……倒れろよォッ!」
何度も何度も頭に爪を突き刺す。
頭の皮は剥がれ、脳漿とも血液ともつかない液体が奴の全身を染め上げる。
段々と抵抗が弱くなっていき……そうして、ついにテンタコーは動かなくなった。
「……ふぅ……ふぅ……終わった」
すぐさま未だに転がっているフィーナのところに駆け寄る。
「おいっ! 大丈夫か!」
「…………」
返事は無い。ドロドロの液体に包まれてはいるが、呼吸はできている。単純に気を失っているらしい。
アザラカは……まだもがいている。息はあるようだ。
「アザラカさんっ!」
重たいアザラカを押しながら海に入れると、粘液は解れるように溶け流れていった。
「おうっ!」
ようやく動けるようになったアザラカはびしりと敬礼をするようにヒレを頭につける。
「よかった! 助けてくれてありがとな!」
「おう……」
アザラカは悲しそうに死んでしまった相方の方を見ている。
「……悪い。守ってやれなくて」
「おおおおおおうっ!」
その死体の前でアザラカは高く吠える。
言葉は通じなくてもその気持ちは強く伝わってきた。
「やっぱ……もっと強くならなきゃならないな。こんなに苦戦しているようじゃ、誰も守れはしない……」
運が悪ければフィーナもやられていたはずだ。
命のやり取りを行っているというのに何の準備もなしにダンジョンに飛び込んだ己の愚かさを恨んだ。
「結果がどうのじゃない。……これじゃ、だめだ」
痙攣しながら横たわるテンタコーと、ぐったりと横たわるフィーナ。そしてもうぴくりとも動かないアザラカを見比べながらため息を吐いた。