「ん……む……」
フィーナが意識を取り戻したらしく、曖昧な声が聞こえる。
「お、起きたか?」
「あれ……オレ……」
「大丈夫だ。もう終わったよ」
「……はっ! そうです! あのぐねぐね……って! なんでオレご主人様の背中に!?」
俺は意識を失っていたフィーナを背負いながらギルドに向かってタセフィ区を歩いていた。
「いいから……休んでろよ」
「でも、ご主人様だって疲れてるんじゃ……」
「俺は平気だよ。ただ、自分には呆れちまったけどな」
俺が自嘲気味に笑うも、フィーナは困ったような顔をする。
「……なんで、タセフィ区にいるんですか。オ、オレが迷惑かけたからなんじゃ……」
不安そうな声でそう言うが、それが理由では無い。
「違うよ。……悪いのは俺だった。正直なめてたんだよ。ダンジョンってやつをさ。今まであんなチート……強すぎる身体だったから、わかってなかったんだ。だから……アザラカを守ってやることもできなかった」
「アザラカさん……負けちゃったんですか?」
「片方のアザラカさんは、お前と同じように拘束されて……そのまま殺された。もしかすると、お前も守ってやれなかったかもしれない。そう思うと……怖くなった」
それを聞いたフィーナは、掴んでいた俺の背中をさらにぎゅっと強く抱きしめた。
「オレは……ここにいます。必ずご主人様とともにいますから」
こんな時、やっと取り戻せた鼓動や震えが、邪魔で仕方ない。
「わかってるはずなのに……怖くて仕方ないんだ。あの時……あの時お前が死んでたら、俺は……」
今更になって情けなくて仕方ない。
フィーナの優しい抱擁から伝わる温もりが、強がっていた俺の心を溶かしてしまう。
足許に滴る涙は、こいつには見せたくなかった。
でもきっとこいつは見ないふりをしてくれているのだろう。
顔を首に埋めて、俺の頭をそっと撫でた。
黄昏に染まる平原に、風が吹き抜ける音と、草を踏む音だけが流れる。
今はただ、この気持ちを忘れないようにする。
もう誰かを守れないのは、いやだ。
「……ついたぞ」
やっとギルドの門が見えたので、フィーナを揺さぶる。
お互い一言も話さなかったのでわからなかったが、どうやらフィーナは眠ってしまっていたようだ。
「……まぁいいか」
そのまま門をくぐると、衛兵に声をかけられる。
「お疲れ様です! ……おや、その方、大丈夫ですか?」
「あぁ、疲れてるんだ……。眠らせておいてやってくれ」
「……お兄さん、あの時の仮面の方ですよね?」
フィーナを起こさないようにか、衛兵が声を潜めながら訊いてくる。
最初にギルドに訪れた時の衛兵だったらしい。
前回と違い警戒の色は無くやけに親しげに話しかけてくるな……。
「……今夜あたり、好機なのではないですか?」
「はっ?」
……そういえば、この人、俺のノーフの記録を見たんだったな……。
「ちょ、ちょっと! 衛兵さん! そういうプライベートな話します!?」
「だってぇ、そういうの気になるじゃないですかぁ!」
身体をくねらせながら好奇心に満ち溢れたような顔をしている。
親しげというかここまでくると急に馴れ馴れしいぞ……。
「と、とにかく! 俺たちはそういう関係じゃないですし!」
「また別の方を連れてるじゃないですかぁ! この間だって、ルルーさんと一緒にいて、なにかあったんですか? あとあの子、誰の子なんですか!?」
興味津々に質問を続けてくる。
「あの……」
「むぅ……ん……」
その時、背中でもぞもぞとフィーナが動き始めた。
「あ……衛兵さん。また会いましたねぇ」
寝ぼけた様子でフィーナが衛兵さんに挨拶する。
「え? お会いしましたっけ?」
「会ったじゃないですかぁ。ルルーさんとご主人様と一緒にいた時ですよ」
「……え? 子どもなら一緒にいましたけど……」
「あ、そうです! それ、オレ!」
衛兵さんは驚いたようにこちらの顔を見てくる。
俺は黙って頷いた。
「ロ……」
「何言おうとしてんすかっ!」
俺は急いで衛兵さんの言葉を遮る。
「逆ですよ逆! こいつはもともとこうなんです! この首輪使うと子どもになっちゃうんですよ」
「あぁ。なるほど」
あっさり理解したな……。
「じゃあそれを使えば……」
衛兵さんの顔が赤くなる。
……最初会った時もそうだったし、この人多分スケベだな。
「もういいですか? 俺たち疲れてるんすよ」
「あ、あぁ。申し訳ないです。……今度、結果を教えてくださいよ」
フィーナに聞こえないようにこっそり耳打ちされたが……教える義理はないでしょうよ……。
「では良い夜を!」
衛兵さんは敬礼しながら俺たちを見送った。
「はは。なんか面白い衛兵さんですよね」
隣を歩きながらフィーナが笑う。
「……そう、だな」
衛兵さんに言われたからか、何故かフィーナを意識してしまいつつある……。
俺のためになんでもしてくれて、最大限の好意を向けてくれる。
正直胡散臭さすら感じていた最初の出会いの頃とは、冒険をともにすることで随分と印象が変わってきている。
長いまつ毛が揺らめく度に、その煌めく瞳が俺を見つめる度に、こいつは美しいのだと思うようになった。
だが……だが俺は、俺にはレベッカが……。
「どうしたんですか?」
フィーナが俺の腕を抱きながら顔を覗き込んでくる。
「うわあっ!」
「なっ、なんですか?」
「ちっ、近いよ!」
慌てて腕を振り払おうとするも、フィーナはくっついたまま離れなかった。
「近いとダメなんですか?」
そのままフィーナは更に俺に密着してくる。
「……だ、ダメだ。俺たちはそういう関係じゃないだろ」
「……どういう関係ですか?」
曇りない目が真っ直ぐに俺を見つめる。
「…………」
俺は何も言えなかった。
レベッカのことを思うと、胸が痛くなる。
幼少期から俺に連れ添ったのはあいつだ。
その好意は強く感じていて、俺もそれを受け入れるつもりだった。
だがフィーナは、極限の状況で命をかけながら俺に尽くしてくれている。
その誠実な想いに応えたい気持ちもある。
「……迷ってるんですね」
見透かしたようにフィーナが言う。
多分耳の良いこいつは、衛兵さんの言葉が聞こえていたのだろう。
「じゃあ、こうしませんか? カントリカントのご主人様は、オレのもの……オレだけのご主人様に、なってくれませんか?」
フィーナは感極まったような表情で俺に懇願する。
「…………」
その提案は、確かに受け入れるには魅力的だった。
だが、それは根本的な解決にはならない。
どちらかを必ず裏切ることになる。
「……ごめんなさい。オレ、またご主人様を困らせた」
フィーナは答えあぐねて黙っている俺から離れると、悲しそうにそう呟いた。
「いや、お前は……」
「いいんです! オレが、欲張りなんです……。本当は、一緒にいるだけでも贅沢なのに……なのに、全部、欲しくなっちゃうんです。そんなの、いけないことなのに……ズルいことまで言って……オレ、ほんとうに……」
ついにフィーナは泣き出してしまう。
だがここでこいつを抱きしめてやるわけにもいかない……。
まだ俺にはレベッカを差し置いてこいつを受け入れる覚悟はない。
中途半端な優しさは、全員を傷つけるだけだ。
「フィーナ……」
だから俺は、フィーナの頭を撫でる。
それしかしてやれない。
「ご主人様ぁ……」
それでもフィーナは、泣きながら嬉しそうな顔をしていた。