「おやいらっしゃい」
酒場にやってきた俺たちをアルコさんが元気に迎えてくれた。
「ご主人様、さっきのこと、気にしないでくださいねっ!」
そう言ってフィーナはニコニコ笑っているが、内心では一番気にしているのは彼女だろう。
俺も変に雰囲気を悪くしないように振舞った方が良さそうだ。
「あ、そういえば……俺まだ何も食べてないや」
「あー! そうでした! ご主人様、もう食べ物食べられるんですもんね!」
思えばすっかり食事という習慣についても忘れていた。
しばらく何も飲み食いできる身体ではなかったから、この酒場に来たのもフィーナの食事のためだと思い自分のことなど何も考えていなかった……。
「アルコさん! ご主人様の初めてのご飯です! とびきり美味しいものが食べたいです!」
「はじめて?はは、そうなのかい?」
「ちょっと呪われてまして……もうずっと何も食べてません」
「おやそうかい。ならしっかり食べてもらいたいもんだね」
アルコさんは腕まくりして気合いを入れる。
「良かったですね! ご主人様! あ、そうだ! お肉食べたことないんですよね? たくさん用意してもらいましょうよ!」
「肉を食べたことがない? あんた、そりゃ本当かい?」
驚いたようにアルコさんがきいてくる。
「あぁ……その、ややこしい話なんですが肉を食べられない環境で育ちまして……」
「宗教かい?」
「あ、そういうのは全く」
「なるほど……よし、任しときな!」
アルコさんに目印のスタンドをもらって席についた。
「……あ、フィーちゃん。……と、誰、だっけ?」
「マークだ!」
カルアが水を持って来たが、早速俺のことは眼中に無い様子だ。
「カルアさん! ついにご主人様がごはんを食べられるんですよ!」
「……?へぇ……」
まぁそりゃ普通はよくわかんないよな。
「……ごゆっくり」
それだけ言い残してカルアは去っていった。
「楽しみですねぇ、ごはん!」
わくわくした様子のフィーナを見てるとこちらまでそわそわしてくる。
そういえば、水さえ飲んでいなかった。
机の上に置かれたコップを手に取り水を口に含む。
「……う!」
「ど、どうしました!?」
「うまい……! 水がこんなに……うまいものだったか!?」
何かを飲むということがあまりに久々すぎて、喉を冷たい水が通る感触にすら感動してしまう。
「うまい……水が……うまい……!!」
すぐさま水を飲み干してしまった。
「……かして」
コップから水が無くなったのを察したカルアが、すぐさま水を補給しにきた。
「うまい! うまい!」
それをまたすぐに飲み干し、再びカルアが水を入れ、それもまた飲み干した。
「……かして」
ずっと同じ調子で水を入れにくるこいつもちょっと不気味なんだが……そんなの気にする余裕もなく狂ったように水を飲む。
「ちょ、ちょっと! ご主人様!? そんなに飲んだらごはんが入らなくなっちゃうんじゃ……」
それを言われて我に返った。
そうだ……ここで貴重なお腹容量を圧迫したら元も子もないではないか。
「ありがとう、フィーナ。俺は大切なものを見失うところだった」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟なものか!」
「はいお待ちどう〜」
そうこうしているうちにアビーが料理の盛られた皿を持ってきた。
机の上に大皿が二枚置かれる。
まるまる一匹分のタマトッサのローストの乗った皿と、多種多様な料理が色鮮やかに盛られた皿だ。
「おっほぉ……!」
「な、なによ気持ち悪い声出して……」
「ご主人様がごはんを食べられるんですよ!」
「当たり前のことじゃない」
「あ、まぁ……そうなんですけど!」
「いいよフィーナ。別にそんなこと伝えたって何にも変わらんし。それより、今は目の前の料理がたまらなく食いたいんだ……!」
「ひどい顔になってるわよ」
「構わない! 今は獣のように貪っても構わない!」
「獣みたいなもんじゃない」
そう言ってケラケラと笑っているが今は構うものか。
「食うぞ! 俺は!」
机の上にあった食器を取りローストを切り分ける。
「ぷ、かぶりつくくらいの勢いかと思ったけど案外丁寧なのね」
「もうっ! 冷やかすならあっち行ってください!」
「はいはい。ごゆっくり〜」
フィーナに叱られたアビーは笑いながらカウンターに戻って行った。
「気にしないでゆっくり食べましょうね!」
フィーナの言う通りだ。あんなのを気にすることもない。
それよりも……このローストだ。
あの時からずっと食べたかったタマトッサ……それがまるまる一匹分目の前にこんがりと焼かれているのだ。
焼け目から立ち上る煙から香る肉の香りと、切り分けた際にじんわりと断面からこぼれ落ちる肉汁が食欲をそそる。
「辛抱たまらん!」
俺はついにその肉を口に含む。
口に入れた瞬間に外皮はほろほろととろけるように解れ、肉はしっかりと噛み締められ旨みが溢れ出してくる。
鼻を抜ける炭火とタレの香りがその味を更に引き立て、悶絶しそうなほどだ。
「……様! ご主人様!」
「……はっ!」
思わず一瞬意識を失っていたような気がする。
「どうですか? ご主人様!」
フィーナの声さえ届いていなかった。どうかって……?
「もう……さいっこう!!」
それしか言えん。もう、最高ですこれ。
「良かったです! 今まで本当にお疲れ様でした!」
満面の笑みでの祝福は、食事とはまた別の幸せを俺に提供してくれる。
「ありがとな。お前がいてくれたから、こんなに幸せな食事ができるんだ」
「も、もう……そんな……ズルいじゃないですか」
フィーナは少し悲しそうな笑みを浮かべてしまった。
「ご、ごめんな。でもほんとに、感謝してるんだ。それは嘘をつけない」
「……えへへ。良かったです。よーし! もっとがんばっちゃいますからね!」
これ以上がんばられると本当にレベッカ負けちゃうんだけど……。
「さ! お肉以外にもいっぱいありますから! たくさん食べましょう!」
「そうだな! うっひょ〜〜〜〜〜〜! 」
もちろん今の状態の俺がクレームを入れるはずもなく、非常に美味しく完食させていただきました。
「ふぅ……もう食えない」
水をたくさん飲んだとはいえ思った以上に食べることができた。反動は大きいが……。
「大丈夫ですか? 気持ち悪くないですか? お水飲みます?」
フィーナは献身的に俺の面倒を見てくれる。
気持ちは大変ありがたいがもう水はいいかな……。
「……かして」
カルアが俺の空のコップをひったくる。
「あっ、もう飲まないから……」
カルアは果実のジュースをなみなみと注いできた。
「……ん。これ……サービス。飲んだこと、ないんでしょ?」
そう言ってカルアはふんわりと微笑む。
普段あまり俺に気を遣わないと思っていたカルアがこんな優しさを持っていたなんて……!
だが、タイミングが最悪だ。もう飲めないぞ……。
「良かったですね! ご主人様!」
「飲んでるとこ……見たいなぁ……」
こいつワザと言ってない?
「い、いただくよ……ありがとうカルア」
そう言って俺は苦しいながらもコップを傾ける。
「飲んで……飲んで……」
下手くそな手拍子をしながらグイグイコールをしてくる。
内気なカルアも酒場では人気がある。こういったゆるい盛り上げ方がその人気のヒミツなのだろう。
……今やるのはやめてほしいけど。
「う……うぐ……」
確かにこのジュースは美味しい。水で唸りまくっていた俺はこんなにも美味しい飲み物を飲んだらそりゃあ更に唸りたい。
だが既に腹ははちきれんばかりに膨れてしまっていて、新たに入るものを受け付けるのにも限界が来てしまっている。
「はっ……! そうだ! ご主人様もうおなかいっぱいだった!」
今更気づいたのか。
「カルアさん! 残りはオレが飲みますから!」
「……ダメ」
「なっ、なんでですかぁ!」
「だって……間接キッスじゃん……」
カルアは口を尖らせる。
「そうだけどそうじゃないんです〜!」
「……フィーナ。大丈夫だ。俺は負けたりしない」
「ご主人様……」
「はい、飲んで……飲んで……」
「うおおおぉぉっ!」
俺は一気にコップの中身を胃に流し込んだ。
「ど……どうだぁ……!うぷ……」
「ん……いい飲みっぷり、だった。じゃあ、二杯目……」
「飲むかァ!」
とはいえ本当に良い食事を提供してもらったのでしっかり礼を言ってその場を後にした。
「ふぅ……も、もう動けない……」
部屋に入って早々、ベッドに腰掛けながら寛いでいた。
「よく食べましたねぇほんとに。ふふ、お腹、すごいことになってますよ」
そう言ってフィーナが優しく俺の腹を撫でる。
「……はは、そうだな」
苦しくて深呼吸すると、なんとなく今日のことがまた頭に浮かんでくる。
「……強く、ならなきゃなぁ」
「そうですね。オレもこのままじゃ……」
「なぁ、明日は装備を揃えようぜ。そしたらもう少しマシになると思うんだ」
「装備ですか! で、でも高いんじゃ……」
「なに、金のことは心配するな。必要なことなんだからさ」
それを気にして丸腰のままでも文句のひとつも言わなかったのかもしれない。
律儀すぎて文字通り無鉄砲になってしまっては危険に晒されるだけだ。
「さ、もう寝よう。明日も頑張ろうぜ」
「はい!」
寝る支度を整えて眠りにつくことにした。
なんやかんやでまだ最初のダンジョンしか攻略できていない。これではルルーさんに報告することも……。
「あーーっ!」
「な、なんですか!?」
布団を跳ね飛ばす勢いで飛び起きる。
「そ、そういえば……俺、ルルーさんに身体のことなんにも言ってなかった……!」
「そういえば……忘れてましたね!」
「ま……まぁ、もう夜も遅いし……明日でいいか」
「そうですね! また、明日!」
「騒がしくして悪かったな。じゃあ今度こそ、おやすみ」
「おやすみなさい!」
疲れ果てた身体は豊かな食事に癒され、心地よい微睡みに支配されていた。
目を閉じるとすぐにでも俺の意識は解けるように落ちていった。