数秒……剣が到達するには十分な時間が経った。
だが、その刃が俺を貫くことはなかった。
「なん……だと……?」
ファズが明らかに動揺した表情を浮かべる。
「なぜ恐れない? なぜ逃げない? お前は死んでいたかもしれないんだぞ!」
「悪いがそんな幻想に付き合っちゃいられないんでね」
ファズに近づくと、彼はその場で尻もちをついた。
「く、来るなァ!」
「なんでだ? 自信があったんじゃないのか?」
今のファズは先程までの余裕のある表情から一転、身体を震わせ怯えたような目でこちらを見ていた。
「……なぁ、お前は戦いたくなんてないんだろ?」
「黙れ……幻想が効かなくたって……やれる、やれるんだ……!」
短刀を構えてよろめきながらも立ち上がる。
しかしその足は未だに震えている。
「ファズ。そんな状態で戦えるものか」
「うるさい!」
彼はやけになったように短刀を振り上げてこちらに走ってきた。
だが動揺が見える刃には何の迫力もなかった。
弱々しく迫る切先を躱し、ファズを拘束した。
「……ふ、我ながら情けないよ。僕の手札は一枚だけ。最初で最後の切り札じゃ、君みたいな相手には勝てないんだな……」
諦めたようにファズは力を抜く。
「どうした? ……殺さないのか?」
「さっきも言ったけど、お前戦いたくなんてなかったんだろ」
「……そうだよ」
観念してファズはそれを認めた。
「誰が好んで野蛮なことをしたがるか。冒険者たちが来るようになってから、僕はいつもこの部屋にまで来る者がいないように祈っていた」
「……そうか。じゃあ望んでやってるわけではないんだな」
「まぁいいさ……そんな日々が終わるって言うのなら、それで。さ、早くやるといい。首を斬るか? 絞め落とすか? 出来れば無様にのたうち回るような死に方はしたくないけどね」
覚悟を決めたようにファズは俺に身を任せる。
だが、俺も殺したいわけではない。
そっと拘束を緩めてファズを床に下ろした。
「……は?」
呆然とした顔でファズは俺を見あげる。
「悪いが俺も、野蛮なことは嫌いでね。お前は勝負に負けた。だからこのダンジョンは踏破ってことだろ?」
「そんなことを言うやつがいるなんて……だ、だがそんなことが許されるはず……」
「許されるよ〜」
アミィが突然背後に現れた。
「ボスのお勤めご苦労様〜。いやぁ……悪かったね。キミがそんなに悩んでいるなんて知らなかったんだよ……だっていつも自信に満ちてカッコよかったからさぁ……」
アミィは申し訳なさそうにファズに向かって頭を下げた。
「な……なんだこの子は……」
「お前の部屋をボス部屋にしたやつだよ」
「なにっ!?」
「ちょ、ちょっとちょっと! それは意地悪なんじゃないの〜?」
アミィは慌てて弁明する。
「確かに勝手にボスにしちゃったのは謝るけどぉ……ここに生きる者たちは結局みんなネストにいるしかないんだから、同じことなんだって。マークくん、キミってほんとにボクのこと嫌いだよねっ!」
「じゃあ人間に戻して?」
「だ〜〜め」
溜められると腹立つな……。
「とにかく! キミの気持ちはわかったから、もうこのネストはボスのネストから解放してあげる!」
「ほ、本当か!?」
「別にボクは冒険者を倒して欲しいわけでもないしねぇ。キミが穏やかに暮らせるのならそれがイチバン!」
「……勝手にボスにして勝手に解放って? お前は本当に勝手だよ」
「だから悪かったって言ってるじゃん!」
「悪かったでこんなに世界を掻き回してるのか?」
「むむ〜……キミ、うるさいなぁ……」
アミィがこちらを睨む。
「ボクのこと、なんにも知らないクセに……」
そう言うアミィの目には少し涙が浮かんでいた。
「な、なんだよ……」
「なんでもない! もう! あんまりイジワルしないでよね!」
頬を膨らませながらそっぽを向いてしまった。
「あんな子ほっといてこっちで話そ」
そう言うとファズを連れて離れてしまった。
まぁ確かに言いすぎたけど……。
しばらくふたりは話していたが、やがて戻ってきた。
「はい、踏破で〜す! おめでと〜」
アミィは適当な拍手をしながら祝福した。
「悪かったな。お前と仲間たちに手をかけようとしたことは事実だ……」
ファズは頭を下げて謝罪した。
「いや、いいんだ。戦わなきゃいけなかったんだから。……誰かのせいで」
それを聞いたアミィは不機嫌な顔をする。
「あのさぁ……ボクが全部仕組んだと思ってる?」
「違うのか?」
「違うよ! もとはといえばねぇ! キミたちニンゲンが悪いんだからね!」
「ニンゲンが?」
「そうだよ! 本当ならその自業自得でニンゲンたちなんてとっくに滅ぶ予定だったんだから!」
さらっと恐ろしいこと言ってるけど本当なのか……?
「ち、ちなみにどうして?」
「ガレフと地上を繋げたのは人間だよ? そこから溢れ出した魔法生物が地上のニンゲンを滅ぼすのなんて、本来なら数日もかからないんだから!」
アミィははっきりとそう言う。
「じゃ……じゃあまさか……」
「ボクがネストで魔法生物を管理しなかったら、とっくにニンゲンは終わってるってこと!」
諸悪の根源じゃなかったのか……?
「それじゃあ俺は……」
「や〜い勘違い〜」
散々酷いことを言われたのに、アミィはからかうように俺に指を突きつけるだけだ。
「わ、悪かったよ……本当に」
「……いいんだよ。慣れっこさ。誰も彼も理解してくれることじゃないし、ボクがニンゲンと仲良しだったら魔法生物たちに示しがつかない」
「お前は一体なんなんだ……?」
「アミィ・ユノンさ!」
ビシリとポーズを決めるが、何の答えにもなっていない。いや、これが答え……なのか?
「というわけでこれからファズくんにはゆっくり暮らしてもらいたいんだけど……」
「なぁ、ファズはヒトが嫌いか?」
「嫌い……ではない。ただ、危害を加えられるのは嫌だ」
「たまに酒場に来てくれよ。魔法生物たちも来てるから、お前もきっと気に入るよ」
「……考えておくよ」
ファズは少し笑って返事をした。
「それじゃあこの部屋は居住区に送っちゃう?」
「なにそれ?」
「安全な魔法生物のみなさんには住居を提供しているんだよ。アミィテレポートを使って移動するから安心さ」
「もっと早く送ってやればよかったのにな」
「ファズくんがそんなに戦うことが嫌だと思ってなかったから……。戦うのが好きな子たちもいるから、どうしても全部把握するのは無理だったんだよ」
「いや……でもありがたい。是非案内してくれ」
「よかった!」
どうやら話はまとまったらしい。
「じゃあこのネストは閉じちゃうからね。中のものは居住区の部屋に送るから安心してね〜」
「何から何まで悪いな……」
「こちらこそだから! ね!」
「あ、じゃあ俺たちも出なきゃだな」
「じゃあ送るから。また挑戦してね〜!」
アミィが手を上げると、周囲は光に包まれて何も見えなくなった。