「おかえりなさい!」
フィーナが元気な声で俺たちを迎え入れる。
「フィーナ、聞いたぞ。結婚するんだって?」
開口一番レベッカがフィーナに切り込む。
「け、けけけ、けっこん!?」
そこまで明言してないけど。
「ご主人様ぁ? 勝手に話進めてませんかぁ?」
「いいじゃないか。相手がどんな子なのか気になるけど、フィーナとは相性ぴったりだときいたぞ」
「それはぁ……否定はしませんけど!」
フィーナは照れくさそうに叫ぶ。こいつはこいつで意外とあの子のこと受け入れてるんだよな。
「そ、それよりっ! このニオイ、感じませんか?」
「……この香りは。ドンドンニか!」
「そうです! 泣く子も笑うドンドンニです!」
そんな人気メニューなんすね。……まぁカレーの代わりとすればそれくらいの人気は頷ける。
「俺も手伝ったからな。その……レベッカ。お前に振る舞いたくて」
「マ、マーク……! 私のため?」
「あ、あぁ」
感動した表情で見つめられるとつい目を逸らしたくなってしまうな。
気恥ずかしさを隠すように俺はキッチンの方へと急いだ。
「あとはもう盛り付けるくらいだ。さ、食べようぜ」
レベッカを椅子に座るように促し、ドンドンニの入った鍋の方へ行く。
鮮やかなピンク色の液体は、刺激的な香りを放っている。
見た目的にはアウト寄りなのだが、この世界の人気料理だ。食べてみたら美味いに違いない。
「……う、美味いんだよな?」
「もちろんです! ドンドンニが嫌いな者なんて……まぁいるかもしれないですけど! そんなにいないはずです!」
大した自信だ……。
「ほら、盛り付けますからね!」
尻込みしている俺を他所に、フィーナはさっとドンドンニを盛り付けるとお皿をふたつ俺に手渡してくる。
「ではこれを運んでくださいね」
「了解っと」
暖かく立ち上る湯気からは先程の独特な香りだ。
だがこの香りからは全く味の想像がつかない……。
カレーを知っている俺はスパイスの刺激的な香りを想像していたわけだが、どこかフルーツを思わせる甘く酸味のある香りがする。その上でカレーを感じさせもする香辛料の鼻をつく香りも混じっている。
まさか本当にカレーの上位互換……なのか? あの至高の食べ物の……?
ごくりと生唾を飲み込む。
「どうしたマーク。作った本人がヨダレを垂らしているぞ」
「た、垂らしてねぇし!」
「しかしそうだな。ドンドンニを食べるというのだ。ヨダレの一杯や二杯、誰でも垂らすものだ」
嫌な数え方だな……。
「俺、ドンドンニっての食うの、はじめてなんだ……」
「え? ドンドンニが?」
「フィーナに、お前が家庭料理が好きなようだときいてな。それで作ることになった。元の世界の俺は知らない料理だから味見もせずにフィーナに調整を任せた訳だが……」
「それは良い! きっと驚くぞ! はじめてドンドンニを食べた時の衝撃といったら……!」
「そ、そんなにか……」
「しかし、私の食べたいと思うものを考えて用意してくれたとは……やはりお前は素敵なやつだな」
「そ、そりゃな……元の身体に戻ったら、必ずお前と食事をするって決めてたんだから。好きな物を用意した楽しい食事にしたいだろ?」
「ドンドンニがお前の口に合わなかったらどうする?」
「それはそれで楽しいさ」
「ははっ。そうかもしれんな」
「ご主人様、楽しそうですね」
自分の皿を持ってフィーナも席に着いた。
「それじゃあ、いただきます!」
皆で食前の挨拶をして、ドンドンニに向き合う。
「マークが私のために作ってくれたなんて……本来なら、私が用意するはずだったのだが」
「急になっちまったからな。流石にいきなり食事を用意してもらうわけにもいかないし……」
「言ってくれればなんだって作るのに」
「そうもいかない。それになんだ……これからは、ずっとここにいるから」
「マーク……」
「おっと、せっかくのドンドンニが冷めちまう。食おうぜ」
「うんっ!」
さぁてドンドンニ……こいつは一体どんなものか……。
まずは匙にひと掬い。
ぼたりと滴るピンク色の液体は正直あまり食欲をそそられはしない。
味の想像がつかないからだろうか。
「うおー! いただくっすよぉ!」
一足先にドンドンニを頬張るケモノがひとり。
「はぶ……はぶはぶ! はぐはむはぶっ!」
ひとくち食べたかと思ったら、その勢いは衰えることなくふたくち、みくちと匙を口にかきこんでいく。
本当にケモノじゃないか……。
「おい、流石にはしたないんじゃ……」
「はぶ!はむはむはぶっ!」
その音は、俺が声をかけたフィーナとは別の方向からも聞こえた。
「ま、まさか……」
振り返ると、そこには恐ろしい形相でドンドンニを頬張るレベッカが……!
「レベッカアアァァァアァア!」
「や、やはまひいなっ!」
人の顔みて叫んだらそりゃ怒られるか……。
「ご主人様も食べてみたらどうですか? ドンドンニの美味しさには何者も抗えないんですから」
そこまで言うのか……。ならばこちらも食わねば……無作法というもの……。
「見た目はアレだが……えぇい!」
俺は思い切って匙を口の中に放り込んだ。
──瞬間、口の中に弾けるような甘さが広がる。
しかしそれだけでは終わらない。
じゅわりと染み出す塩味、旨みの奥から、顔を覗かせるように辛味が舌に絡み出す。
それを反芻しているうちに、自然と匙が口に運ばれていく。
この至福を終わらせまいと、身体が渇望する。
「ぷっ……はは! なんだマーク。全く人のことを言えてないぞ」
「はっ!」
気がつけば俺は、口の周りをベタベタにしながらドンドンニをかきこんでいたらしい。
「な……なんだよこれ! アブない食べ物じゃないだろうな!?」
「大丈夫だ。合法だから」
「ヤバい言い方!」
とはいえ、確かにこの美味しさを一度味わったらこのピンク色の沼に引きずり込まれてしまうというわけだ……。
ドンドンニは恐ろしい食べ物です……。
「ふぅ……しかし美味いドンドンニだったな。本当に初めて作ったのか?」
片付けを終えて一息つく。
「フィーナのおかげだよ。それかこのルーが異常なのか……」
「いや! それ以上に私は愛情の味を感じた!!」
「そりゃどうも」
「でも確かに想いがこもっていると思いましたよ! オレでさえ思いましたから!」
「恥ずいこと言うなって」
「何を恥じることがあるか。お前の私への想いがしっかり伝わったと言っているんだぞ!」
「それが恥ずかしいんだろって!」
「とはいえ本当に美味しかった。ごちそうさま。マーク」
「喜んでくれたなら良かったよ。……それで? 今度はお前が作ってくれるんだろ? 楽しみだな」
「あぁ! 期待しておけよ! フィーナにも負けない料理を食わせてやる!」
「オレよりですかぁ?」
「調子に乗るなよっ!」
ようやく帰ってきた賑やかな日常。
これからは戦うこともなく、この村で普通に生きていく。
あんなにも捨てたくて仕方なかった普通が、こんなに心地よいものだとは。
この先何があるかはわからない。
ルルーさんにも報告しなきゃならないし、フィーナとも別れなくてはならない。
しかしもしかするとアンシェローへの就職を優遇してもらえるかもしれないし、フィーナとガレフで何かをするかもしれない。
だがそれは普通でなかった俺の置き土産だ。
この平和な村も、待ち受ける学園生活も、従順な友人も、そして生意気な恋人も。
それら全ては、俺が目指した普通の果てに勝ち得たものだ。今からそれを享受することに何の罪もない。
だから俺は、これからは普通に過ごす。
死ぬほど捨てたかったはずが、死ぬほど渇望することになった普通だ。
「じゃあ今日私は泊まっていくから……フィーナは草原で寝てくれ」
「ひどいですよぉ!」
「冗談だ。……むしろ、私と寝よう。きかせてくれ。マークとの冒険を」
「……はい!」
こうして、俺の冒険は終わった。
『普通な俺は転生しても普通を目指す』
終わり