──
「すみません」
派出所の入り口で声がした。
きちんと冷房が効いているとは言えない派出所で、ハンディーの扇風機を片手に日誌を書こうとしていた若い巡査がそれに気づいて顔を上げる。
そこには近所の高校の制服を着た男子がいた。
「はい。どうしました?」
「百円玉を拾ったので届けに来ました」
「おお、今どきそんなことで来る高校生なんて珍しいなあ」
巡査は素直に驚いて、彼に対し、提出を受けたことを証する書面を交付としようしたが、たまたまその用紙をコピーし忘れていたことを思い出す。
「ああヤべ。用紙切らしてたか……。まあ、いいや。百円だし。本当は良くないんだけど、その心がけに免じて手続きなしで貰っていっていいよ」
「知ってます。ありがとうございます」
「ん?」
「あ、いえ。何でもありません。前にも同じことがあったので」
「そうか。俺みたいなルーズな巡査が前にもいたか」
「いえ……
巡査は変なことを言う男子高校生をチラリと見た。彼はポケットに百円玉をしまいながら言う。
「……俺、人生二周目なんで」
彼は歩き出す。ひと気のないところまで。誰も見ていないところまで。
そして、そっとマスクとメガネを外す。
そこには誰もが驚く超絶イケメンの素顔が隠されていた──。
──
なんて、ね。
まさか。まさかだよね。
思わず妄想して、勝手にドキドキしちゃう。
だけど、この妄想が満更でもないと思えてしまうのは、今まで気にも留めていなかった彼の外見のせい。
髪色は漆黒で、昨日の彼と色も髪の長さも酷似している。きちんとセットしていれば雰囲気はさらに似てくると思う。マスクをかけている耳のあたりの肌の白さも似ている。身長はよく分からないけど、体型は似ている。細身だけど、ヒョロいというほどでもない。
何より、ボソッとしたしゃべり方と声が似ている気がする。
いや、でも本当にまさかね。
昨日のイケメンくんの正体がぼっちくん……?
「七瀬!」
「は?」
突然呼ばれて顔を上げれば、嫌味な数学教師、
「答案、早く取りに来い」
いつの間にか数学の授業になっていた。周りのみんなの机の上には昨日行われた実力テストの答案が置かれている。取りに行っていないのは私だけのようで、慌てて用紙をもらいに行った。
「50点未満の者は今日の放課後に再テストを行うと予告しておいたから、みんななかなかの点数だったな。遊んでいた奴も中にはいたようだが」
村本の視線が私の眉間に刺さる。
……ヤバい。
私は恐る恐る帰ってきた答案を見た。そこには無情の49点という数字が書かれていた。
「あ”ぅっ!!」
思わず変な声が出た。
50点未満は放課後に再テスト?
待ってよ、あと一点だったんじゃん!
この結果を知っていれば昨日はもっと本気出したのに……。めちゃくちゃ悔しい。
「ちなみに今回、満点は一人だけだった。坪内。よくやったな」
驚いてぼっちくんを見ると、ぼっちくんは私の視線を避けるようにサッと下を向いた。
「すげえ、ぼっち」
教室がざわめく。
やっぱりぼっちくんが人生二周目っていう話は本当なのかもしれない。数学で100点なんて、人生何周しても私には無理!
「先生」
その時、クラスの秀才、浜崎くんが手を挙げた。
「どうした浜崎」
「設問5の問い(3)について解説してください。納得できません」
みんなが答案に注目する気配がした。
私はちんぷんかんぷんで完全に放り出した問題だ。
「x² −2x +y +1=0であることはx=1,y=0であるための必要十分条件か否かという問いですが、必要十分条件ではない、が僕の答えですけど何故これが間違ってるんですか?」
「ええと、それはだな」
先生は黒板に数式を書いて解説しようとしたけれど、なぜか「あれ?」と言いながら手が止まる。
「おい、坪内。お前、正解したよな? 解説してやれ」
「嫌です」
ぼっちくんはなんと断った。
かっこいい見せ場きたー! と思ったのになんで⁉︎
「解説しろよ、ぼっち」
「頼む、ぼっち! このままじゃ気になって夜しか眠れねえよ!」
浜崎くんは手を合わせて拝んでいる。
可哀想な浜崎くん。夜しか眠れないなんて……ん? ええと……まあ、それはいい。
ぼっちくん、どうするのかな。
すると、チラッとぼっちくんがこっちを見た。私の顔を見て、彼は面倒くさそうにゆっくり立ち上がった。そして、黒板の前に立ってチョークを持つと、先生の前提条件の数式x² −2x +y +1=0のyの右肩に黙って2を書き入れた。
「あっ!」
村本が真っ赤な顔をして目を剥いた。珍しい狼狽っぷりに注目しているうちに、ぼっちくんはさっさと自分の席に戻ってしまう。
「どうしたんですか、先生」
「すまん……この問題は『必要十分条件である』が正解なんだが、それはこのyも二乗だった場合であって……。つまりこれ、俺の出題ミスだな」
「えーっ!!」
クラスのみんなが同時にブーイングした。
「ごめん、みんな! この問題、全員2点分上げるから間違った人は答案持ってきて」
するとぼっちくん以外の全員が起立した。
「わかったわかった、全員2点な!」
「よっしゃ! これで俺も100点だ!」
浜崎くんが嬉しそうにガッツポーズした。
全員2点アップということは、私も51点になって再テスト回避だ!
「やったあ!」
私は椅子の上で飛び跳ねた。
「ありがとな、ぼっち!」
「お前は英雄だ!」
陽キャな男子たちがぼっちくんにハイタッチしようと彼のもとに押し寄せているけど、ぼっちくんはあくまで迷惑そうにしている。
「やめろ、バカどもが」
いいなあ。私も男子だったらハイタッチに行きたいところなんだけど……。
ちょっぴり羨ましく見ていると、ガタガタ揺れているぼっちくんの机の角から数学の答案用紙が落ちて偶然私の足元にきた。
これは……ぼっちくんに声をかけるチャンス!
「ぼっ……坪内くん、落ちたよ」
用紙を拾って、彼に渡そうとしたときだった。
答案に書かれていた彼の名前に、私の目は釘付けになった。
そこには綺麗な文字で
「こうき……?」
あれ……? どこかで聞いたよ、その名前!