「んぐうっ⁉︎」
心臓が口から飛び出しそうなくらいドキッとして、危うくまた川の水を飲むところだった。
「大丈夫か、七瀬」
「はあ、はあい……」
「岸まで泳ぐぞ。ちゃんとつかまってろ」
彼がギュッと私の体を抱きかかえる。
これは夢……?
もしかして、私、死んだ?
分からないけど、とにかく幸せ!
ただ、ひとつ疑問が浮かぶ。
この人……今、私のこと七瀬って言った? なんで私の苗字を彼が知っているんだろう。
謎のまま、彼は私を抱いて無事に岸まで泳ぎきった。橋桁の下で私を横たわらせる。
「キャンキャン!」
仔犬が嬉しそうに吠える声がする。この子も助けてもらったんだ。良かった。ホッとした。
頬を撫でる風に夏草の匂いが混じる。どうやら現実みたい。
私、助かったんだ。
「ったく……泳げないくせに無茶すんなよ」
近くで彼の声がする。また胸がドキドキしてくる。
彼は命の恩人だ。ちゃんと起き上がってお礼を言わないと。私は力を振り絞って何とか上体を起こした。
「あの……また助けてくれて、ありがとうございました……」
彼は濡れた髪を滴らせたまま、私を睨むように見た。そして、カバンの中からバスタオルを出して私の頭にバサッと広げた。
「風邪引かないようにちゃんと乾かしとけよ」
「あっ、ありがとう! すごく用意がいいんですね。まるで川に落ちることを知っていたみたい」
「知ってたよ」
「えっ?」
私は頭を拭こうとした手を止めた。
「俺、人生二周目だから」
……そのフレーズは聞いたことがある。
それを前にも言ったことのある人は……。
「ぼっちくん……?」
彼は驚いたように目を丸くして、私を見つめ返した。
「え。今頃……? 気づくの遅くね?」
これはいったい、どういうことなんでしょうか? 神様。
「昨日のイケメンくんがぼっちくんで……人生二周目で……怪しい人に攫われて……? えっ? どういうこと? 全然意味が分かんない!」
「落ち着けよ、七瀬」
手の止まった私の代わりに、ぼっちくんがタオルで私の髪を拭いてくれた。顔が近くてまたドキッとしちゃう。
「先に言っておくが、俺は誰にも攫われてない」
「えっ? じゃあ、さっき教室で言ったことは……」
「あんなの、七瀬から逃げる口実に決まってるだろ」
信じてたのかよ、とぼっちくんは呆れ顔だ。でもどんな表情をしてても格好良い。
「何で逃げたの?」
「それは……」
ぼっちくんはそっと目を伏せてボソッとつぶやいた。
「……巻き込みたくなかったんだよ、七瀬を」
「えっ……?」
「七瀬が俺と一緒にいたら、こうなるって分かってたから」
ぼっちくんは照れを隠すように、ちょっと乱暴な手つきでゴシゴシと私の頭を拭いた。
「ったく……。せっかく早く帰れるようにしてやったのに、わざわざ居残りして予定通り川に飛び込むんじゃねえよバカ。タオルも着替えも俺の分しか用意してきてねえんだぞ?」
「ご、ごめん……」
私はドキドキしながらぼっちくんを見つめた。
彼が嘘をついているようには見えない。
彼にとっては予定通り……だったの? この展開。
「じゃあ、ぼっ……坪内くんは本当に……人生二周目なの?」
「ぼっちでいいよもうめんどくせえ」
「う、うん分かった。じゃあ私のことも朱里って呼んで」
するとぼっちくんはちょっぴり赤くなってプイッと目を逸らした。
「呼び方なんてどうでもいいだろ」
照れてるのかな?
可愛い。
「何見てんだよ」
「別に。何でもない」
「ニヤニヤしやがって……俺が今日、お前の運命を変えるためにどんだけ苦労したのか分かってねえだろっ」
「苦労……?」
そういえば、さっきぼっちくんは私を「早く帰れるようにしてやった」と言った。
「もしかして、数学の再テストのこと?」
あの数学の授業の時、ぼっちくんは目立つのを嫌がって一度は解答を断ったのに、私の顔を見て仕方なさそうに立ち上がった。そのあとぼっちくんが問題のミスを指摘してくれたおかげで、私はテストを受けずに帰ることができた。本当だったら今頃、駅前のかき氷屋さんか自宅に戻っている時間だ。
「そうだよ。こっちはお前が帰った後、この時間に流されるはずの仔犬を助けに一人でここへ来るつもりだったんだ。それなのに何で俺のこと追いかけてきた? 休み時間中もずっと無視してたし、俺と関わらせないように気をつけてたのに……」
「じゃあ、あの激しい無視っぷりは……私をここで溺れさせないために?」
「結局溺れさせたけどな」
ぼっちくんは切ないため息をついた。
「……やっぱ昨日、七瀬が百円見つけたの黙って見てれば良かったな。あんまりにも喉が渇いてそうだったからつい声かけて失敗した。素顔で話しかければ気づかれないと思ってたのに、甘かったな……」
ブツブツ自分に文句を言うぼっちくん。
昨日のあの姿は、私に気づかれないようにするためだった? っていうことは……。
「もしかして、昨日からもう今日のために準備して……?」
「昨日からじゃねえよ」
ぼっちくんは濡れた前髪を光らせた。
「お前の存在に気づいてから……ずっとだ」
「ずっと……?」
ぼっちくんと一瞬だけ目が合って、逸らされた。
昨日も、今日も、私と出会ってからずっと……彼は私が溺れる運命を回避するために、陰でいろいろ頑張ってくれていた……。
そのために正体を隠して、嘘をついてまで……?
待って、ヤバい……最上級にキュンなのですけれど!
「勘違いすんなよ。別にお前のためじゃないから」
目を逸らしたまま、ぼっちくんはボソッと呟いた。