死の予定日まで、残り99日。
私はその日を笑顔で迎えた。
睡眠はたっぷり取れている。お肌もいい感じにつるんとしている。
こんなに元気な余命わずかの女子高生なんてきっと私しかいない。
「行ってきまーす!」
「やけに上機嫌ね」
怪しむ母と妹に、「帰りはちょっと遅くなるかも……」と意味深なことを伝えて家を出た。
だって、今日はデートなんだもん。ぼっちくんに借りたシャツをそっとバッグに忍ばせて、私はウキウキで学校に向かった。
「おはよー!」
教室に着いても私の無双は終わらない。いや、むしろパワーアップしている。
「おはよ、朱里。めっちゃ元気じゃん。どした?」
「なんでもなーい」
「嘘だ。絶対なんかあったでしょ。親友の私には言えるよねえ?」
乃亜に脅迫されたけど、私は何でもない! って言い張った。たとえ親友であってもこの秘密だけは打ち明けられない。
……誰にも言うなよって、ぼっちくんに言われたし。
そのぼっちくんは、誰にも挨拶をせずにひっそりと教室に入ってきて、誰とも目を合わさず席についていた。
周りのクラスメイトは彼が入ってきたことにも気づいていない。気配殺し選手権があったら堂々の1位に君臨すると思う。
あの目立たないぼっちくんが本当はあんなにイケメンだったなんて、まだちょっと信じられない。しかも、それを知っているのは私だけ。
今すぐ声をかけてもう一度確かめてみたいけど、ここは我慢……。放課後までの辛抱だ。
でも、溢れるワクワクは抑えきれない。
「えへへ」
「なんだこいつ……。やば」
ドン引きの乃亜にもめげずヘラヘラしちゃう。ダメダメ、平常心だよ朱里。自分に言い聞かせて、やっと半日を過ごした。
「今日さ、やたらと男子の視線感じない?」
「あ、私もそれ思った」
騒がしい昼休みの廊下。
食事の前に手を洗おうとみんなでトイレに移動していた時、前を歩いていた恵麻と花音がそう言った。
そう言われてみれば、さっきもすれ違った男の子が私たちの方をチラ見して行ったような気がする。
「それ完全に朱里のせいだよね」
「え? なんで?」
私が首を傾げると、乃亜は呆れた顔をした。
「あんたが上機嫌でニコニコしてるから、男子がざわついてんの。どうせ可愛いって噂されてるんだよ」
「ええっ⁉︎」
私は思わず両手で顔を覆った。
ヤバい。
私ってそんなに上機嫌だった?
ぼっちくんへの気持ちがダダ漏れかも。
「で? そんなに可愛い顔して本当は何があったの? そろそろ白状しなさいよ」
乃亜が真面目な顔をして私に迫る。
「べ、別に白状することなんてないもん!」
「真っ赤なんだけど。怪しい」
また朝の押し問答が繰り返されそうになって焦ったときだった。
「七瀬朱里ちゃん」
後ろから男の子の声がして、私は一瞬ドキッとした。
もしかして、ぼっちくん⁉︎
と思って振り向いたけど、そこにいたのは見知らぬイケメンさんだった。
なーんだ、と言っちゃ悪いけど思わずガッカリ。すると、私の前にいた二人から同時に突っ込まれた。
「ちょっと朱里、何その反応のうっすい顔!」
「
「へっ?」
古河くん?
彼は私を見てにっこり微笑むけど、そんなに親しげにされる理由も分からない。
「どちら様ですか?」
「バカ、朱里! なんで知らないの? 古河くんのこと」
恵麻がまた小声で私を叱る。なんでと言われても、知らないものは知らない。
「芸能事務所からスカウトかかってるって噂の、うちの高校一のイケメン
知らない人、ここにいますが。
「どこまでその噂広がってるのかな」
古河くんがクスッと笑った。
なるほど。明るいベージュブラウンの髪をスタイル良く整えて、耳にはピアスが二個ついているところなんかは一般の高校生よりだいぶ華やかで格の違いを感じさせる。それがまた彼の顔面のポテンシャルに良く似合っている。モデルみたいにスラッとした高身長なのも目を惹くポイントだ。
廊下にいる女子たちが全員立ち止まってかっこいい彼を遠巻きに見ている。
だから何? って感じなんですけど……。
「あの……その有名人の古河さんが私に何か……?」
「ごめんごめん。本物に会えたからつい嬉しくなって」
「本物?」
「実は俺、君の……」
古河くんが何か言いかけたそのときだ。
「邪魔」
私たちの背後から、また声がかかった。この声は……。
振り返って、私はまた頭に花畑を咲かせてしまった。そこにはメガネとマスクでイケメンを封印したぼっちくんが立っていたのだ。今度こそ本物!
「廊下塞ぐな。うぜえ一軍どもが」
ぼっちくんの登場にうっかり笑いかけようとしたけど、乃亜が私の顔を不思議そうに見つめていたことに気づいて慌てて口元に力を入れた。
ダメダメ、平常心!
「何よ、ぼっち! うぜえは言い過ぎだっつの」
恵麻が文句を言う。
何しに来たのかな、ぼっちくん。
ドキドキしていると、ぼっちくんは嫌がらせのようにわざわざ私たちの間を分断するように歩いてきた。そして、私とすれ違う瞬間にそっと何かを私の手に握らせた。
ぼっちくんの手が、手が、私の手に触れたあああああ!!
って、感動している場合じゃなかった。
ぼっちくんが渡したのはノートの切れ端のようなものだった。
「ちょっと、何すんのよぼっち! 嫌味なやつ! わざわざ私たちの間を通らなくても良くない?」
みんながぼっちくんに注目している間にこっそり見ると、そこには『逃げろ』と書いてある。
これはぼっちくんからのメッセージだ!
「あっ、あたし、おしっこ我慢してたんだった! ごめん、先に行くね!」
「ちょっ、朱里っ、古河くんいるのに、何言ってんのバカ!」
確かにおしっこは失言だった。でも今は逃げ出すことが最優先だ。理由は分からないけど、これから何か危険なことが起きるに違いない。
ぼっちくんのことを信じよう。
──
「逃げられたか……」
古河は朱里が去るのを残念そうに見送りながら呟いた。
「ま、いっか。また今度ね。朱里ちゃん」
ざわめきを引き連れながら古河が自分の教室に戻るのを、昂輝は振り返って分厚いメガネの隙間から警戒するように見た。
(あいつ……何者だ?)
古河とは反対に、昂輝の存在は道端の石ころのように誰にも気にされることなく昼休みの雑踏に紛れていった。