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Slit 1 Ⅲ



 受付に引っ込むなり、ウチはキリア先輩に絡みにいく。先輩はいつも飄々としてるけど、絶対人と話すの好きっすよね。放っておいたら何時間でも一人でやり過ごしそうな雰囲気だけど、実際は違う。ウチの勘は当たる。きっと、そう。


「ちぇっ、ウチ、先生の思ってることを代弁してあげただけなのにさあ」


「歯に衣着せないと、ただのトゲだらけの槍になるゆ、フォンちゃん」


 先輩のその一言に、ウチは思わず言葉を詰まらせた。ほんと、先輩ってズバっとくるんすよ。


「うわぁ!先輩までそんなこと言う?」


「逆に聞くけどゆ。あの裂けた口のお姉さんが、ものすごく怒りっぽい性格だったら、どうするゆ?」


「そりゃあ……まあ……確かに、こっちも無事じゃ済まないかもだけど」


「そうゆことゆ。大事なのは空気を読むこと、相手を刺激しないことゆ。なんでも力で解決しようとすると、いつか自分が折れちゃうゆ」


「う、耳が痛いっす」


 ウチはうなだれた。まるで反省させられる子どもみたいに。でも、先輩の言葉には不思議と納得させられる力があるんだよな。そこでふと疑問に湧いたことを先輩に聞いてみた。


「そういえば、先輩ってなんでそんなすごいのに、この歯医者で働いてるんすか?もっと稼げるとことか、向いてる仕事ありそうなのに」


 先輩は、ほんの少し考える素振りを見せてから、ふわりと微笑んだ。


「逃げてきたみたいだゆ」


「……逃げた?何から?それにみたいって、何その曖昧さ!」


「お母さんに連れられてきたゆ。私は覚えてないけど」


「え、お母様?なんかしたんすか?」


「きっと、未来予知の能力を狙われたんだゆ」


「は、未来予知って! 先輩、そんなチート持ってたんすか!?」


「チートってほどじゃないゆ。私のはまだ発展登場ゆ。お母さんの家系の遺伝ゆ」


「へえ。じゃあ、お母様はすごいんすね」


 そう言った途端、キリア先輩の顔が少し暗くなった。あ、やばい。ウチは変なこと聞いちゃったか?


「……お母さんは、そんなにすごくないゆ。それにお母さんは、上に……」


 その言葉の意味を飲み込むまで、数秒かかった。ウチは慌てて両手をぶんぶん振る。


「あっ、え、いや、ごめん! 先輩、辛いこと思い出させちゃった! ほんとごめん!」


「いいんゆ。フォンちゃんが悪いんじゃないゆ」


 先輩は笑った。けど、その笑顔がほんの少しだけ無理してるように見えた。そう感じた自分が、ちょっと嫌になった。


 先輩は視線を診療室の方に向けて、ぽつりと言う。


「それより、アマギ先生のアシストに行くゆ。あの裂けた口のお姉さん、やっぱり何かあるかもしれないゆ。放っておけないゆ」


 その言葉に、ウチは胸がぎゅっと締め付けられる思いだった。なんでだろう。ウチ、先輩に甘えてばっかりじゃないか。


 衝動的に、ウチは先輩をぎゅっと抱きしめた。何も言わずに、ただ、ぎゅっと。


「フォンちゃん、急にどうしたゆ?」


「……なんでもないっす。行ってくるっす」


 先輩を送り出してもらって、ウチは気持ちを切り替える。先輩の事情も、患者さんのことも、色々気になることが多いっす。






「そうですねえ。ただ、口裂け女のさんの避けてるお口って縫ってもくっつくかないからなあ。こまりましたね」


 僕は、四苦八苦していた。麻痺魔法を施した上で、治癒魔法や、アラクネという蜘蛛の糸を模した糸で縫ったみたりしてみたんだけど……どれもダメ。裂けた口は意地でも閉じてくれない。


 そんなとき、受付で少し落ち着きを取り戻したフォンファが戻ってきた。

 彼女は散らかったサイドテーブルを見て、「はぁ」とため息をつきながら、針や糸、瞬間接着剤なんかを片付け始める。


 でも途中で、片付ける手が止まった。


「先生、これどうっすか!?」

 急に僕の肩をむんずと掴み、彼女は自分の顎を指さしながら、何かを差し出した、

 そこには──でっかいホッチキス。


「この前のこれっす! 結構いいっすよ。基本、取れないっす。」


 ……いやいや、待ってくれ。さすがに医療用でもないホッチキスを顎に使うのはどうなの。倫理的にどうなの。

 でも、フォンファが言ってることも一理ある。何なら、僕自身も半分諦めかけてたし。

「え、してください」


 女性が、フォンファと僕を交互に見つめていった。


「ええ、大丈夫なのかなぁ。まぁたしかにあれ以来とれてるところをみたこたない」


 ちょっと迷ったけど、まぁ、どうせこれで一気に解決するならやってみるしかないか、いいのか?



「いやいやいや、ほんとに?」


「ほんとです!」


 マジか。そんなに押されると、やらざるを得ないじゃないか。


「じゃあ……いくよ。一応、麻痺魔法をもう一回だけかけとくからね」


 僕はホッチキスを裂けた口に近づけ、慎重に「カチリ」と閉じた。


 ……で、なんかもう、あっさりと裂けた口がくっついてしまった。


「……あ、意外といけた」


 針は、年頃のフォンファが使うくらいだから全く目立たない。魔法でもかかっているのか女性の顔の色に合わせてすぐ馴染んでいった。これは、優れものだ。普通にアリだな。

 ……フォンファ、これどこで買ったの?後で聞いておこう。


「先生! これで私、綺麗になりましたか!? あなた本当にありがとう!」


 彼女は満面の笑みを浮かべて、いきなりフォンファに抱きついた。


「あっ、えっと……ウチ、何もしてないっすけど……!」


 完全に予想外の展開に戸惑いながらも、フォンファはとりあえず抱き返していた。

 横で、口裂け女が手鏡を覗き込んで、じっと自分の顔を見ている。歯並びはまだ治ってないけどね。まあ、それはこれからってことで。


「フォンファ、ありがとうね」


「いえいえ、て、照れるっすね……」


 鏡を置いた彼女は、いきなり拳を握りしめた。


「待ってろよ、あの男! 今夜は祭りじゃぁぁ!」


 そう叫ぶや否や、猛ダッシュで受付に向かった。受付では、キリアが淡々と会計を告げている。

 その温度差があまりにもひどくて、僕は思わず吹き出しそうになった。






 診療室の片付けをしていると、フォンファがポツリとため息をついた。


「どうしたの、フォンファ。ファインプレーだったよ。あれがなきゃ、今頃僕らが詰んでたよ」


「いや、別件っす」


「別件?」


「先輩って、何でうちで働いてるんだろうなって思って……つい、質問しちゃったんす」


「キリアのことね」


 僕は手を止めて、遠い記憶を思い出す。


「あの日は大変だったな」


「詳しく教えてくださいっす。先輩のお母さんの話とかも」


「そうだね。いずれ話すことになるだろうし……」


 僕は目を閉じ、語り始めた。


「あれは、雨の日。いつものように、開店休業状態の診療室を抜け出して、晩飯の買い出しに行ってたんだ」


「出だしから軽快にサボってんじゃないっすよ! しかも常習犯すか!」



「ワンオペはね、休めるときに休まないと。しんどいからね。まあ、聞いてよ。僕が、ここの鍵を開けて中に入ろうとしたそのとき──」


 それは、四年前の出来事だった。




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