仕事終わり、とあるレンタルオフィスにて俺はマリンと待ち合わせることにした。
初めて利用をしたのだが、狭い個室に椅子とパソコンとカウンターくらいしかなく、まるでネットカフェに来たような懐かしい気持ちになった。
「やーん、木梨社長ったら、こんな密室で二人きりになりたいなんて♡ 前もって言ってくれてたらスーツ持ってきたのにィ♡ もちろん下着はエッチッチィのを着ちゃってね♡」
んな訳ないだろう、このスットコドッコイ!
「こんなところでエッチをするくらいなら、ラブホに行くわ」
「えー、ラブホ行っちゃうのォ? それなら五本は貰わないとダメだね」
「んなら、お前の為に勉強会をする俺に、いくら支払ってくれるんだろうねー」
自分に都合の悪い展開になると黙り込む彼女は、ニンマリと笑みを浮かべて「よろしくお願い致します」と深々と頭を下げてきた。
うん、それでいいのだ。
っていうか、本当に……俺は一体何をしているのだろう?
地下アイドルに限界を感じ始めたマリンは、お堅い仕事に就く為に俺に相談をしてきたのだが、ぶっちゃけ相談する相手を間違っていないか?
ハローワークに行けよと言って、そのまま立ち去ってしまいたい。
「ところで、きちんと就職したいって言ってたけど、パソコンはどこまで操作できるんだ? 文字入力は? ワードエクセル、ブラインドタッチくらいは出来るんだろうな?」
「え、フリックなら任せてよ♡ 何なら社長の身体もフリックで焦らしてあげようか?」
どこをフリックするつもりだよ、この痴女め。
大体、コイツはスマホで仕事をするつもりじゃないよな? 今時の若者はそうなのか? 頭が痛くなってきた。
「えー、だって今はタブレットを持ってカフェとかで仕事したりするんでしょ? 私を推してくれてるオタさんはそう言ってたけど?」
「そんな働き方改革をしている会社なんて、ほんの一部だよ。大抵の会社はディスクに向かって仕事をしているもんなの」
コイツならパソコンに向かって音声入力とかしかねないな。
お堅い雰囲気の中で、一人だけお気楽にマイクに話しかけているマリンを想像して、俺は軽く目眩を覚えた。始める前からこんな調子で大丈夫なのだろうか?
「とりあえずキーボードに慣れろって。このパソコンは俺が前に使っていた奴だから、気にしないで練習しろ」
「へぇー。社長の性癖たっぷりのオカズな写真とかあったりするの?」
「ねぇよ、ちゃんと初期化してるって!」
つーか、早くパソコンを立ち上げろ!
一向に進まない勉強会に、流石に苛立ちが募り始めた。
今日は基本的な文字入力と初歩のエクセルに慣れてもらうつもりで来たのだが、案の定マリンは手間取って、モタモタと人差し指で入力をしていた。まさに初心者、これは先が思いやられると観念したように目を閉じた。
「ねぇ、社長ー……。私はこんな勉強会をして欲しいんじゃなくて、もっと手っ取り早く仕事を紹介して欲しいんだけどォ?」
コイツは……。
まだ数回しか会ったことがない人間だったが、今までどんな生き方をしてきたのかが垣間見える。きっと楽な生き方ばかり選んで、面倒になった途端に放り投げるタイプなのだろう。
「そんなら俺じゃなくて他の奴を頼れ。俺はこういう方法しか教えられない」
「ぶぅー……イケずぅー」
だが、何だかんだ言いながらもディスクを立たないマリンに感心はしていた。早々に根を上げて諦めてると思っていたのに、意外と根性はあるようだ。速度も思っていた以上に遅くはあったが……。
一時間ほどワードやエクセルに向かい合っただろうか。流石に集中力が切れてきたようで、眉を顰める機会が増えてきた。
「どうだ? こうしてパソコンに向かい合って得られる金額は、時間千円前後なんだぜ? パパ活してるお前からしたら、何て時間の無駄だろうって思うだろう?」
元来嘘がつけない性格なのだろう。
マリンは有り得ないと心底嫌そうに顔を顰め始めた。
「皆よくこんなことが出来るね……。頭おかしいんじゃない?」
「おかしくねぇよ。むしろ俺からしてみれば、身体売って端金を手にしてるお前らの方が異常だって」
「えぇー? 一回のセックスで数万円も貰えるのに、それが端金っていうの? 社長、算数分かる?」
マリンは俺を見下したような顔付きで足を組んで、真っ赤な唇に笑みを浮かべた。
「やっぱり私には無理みたい。せっかく社長が時間を作ってくれたのに、ゴメンネ? お詫びって訳じゃないけど、タダでデートしてあげるよ♡」
またしてもパパ活モードのつまらないマリンに戻ってしまった。
あーぁ、コイツは……せっかくマトモになれる分岐点に立てたと言うのに、自らそのチャンスを不意にするのか。
(面白い奴だと思ったけど、俺の思い違いか。期待した俺が馬鹿だった)
小さく、だがマリンには分かるように溜息を吐いて、ディスクの上のパソコンを片付け始めた。何の反論もしてこなかったことが想定外だったのか、慌てたマリンが俺の腕を掴んで止めてきた。
「待って、待ってよ! 何で片付けるの⁉︎」
「何でって、必要ないんだろう? お前は今までのようにお前の身体目当ての野郎相手に媚びを売ってろよ」
だが、マリンは俺の腕にしがみついたまま離れなかった。むしろ唇を噛み締めた表情が目に焼きついて消えてくれない。
おいおい、これじゃ俺が悪者みたいじゃねぇか。
「……何でそんな意地悪なことばかり言うの? 社長だけだよ? 私にこんなことを言うのは」
俯いて覆い被さった前髪の向こうには、大粒の涙を堪えた瞳が見えていた。
あー、もう。そんな顔をするなって。
今度は自分に対して、大きな溜息を吐き捨てた。
沼る、ズブズブズブズブと沼にハマっていく音が遠くに聞こえる。
俺の片足は、ゆっくりと沈んでいっている。多分。
————……★
「ヤバいヤバいヤバい。これが魅了する側の魔性なのか?」