マリンの過去を聞いた俺は、複雑な心境で仕事に臨んでいた。
好きなのは波留。それは揺らがないし、マリンとどうこうなりたいわけでもない——の、だが。
職場の天井を眺めながら、色んな試行錯誤を巡らせたが、一向にいい未来が思い描けない。どうしたものだろう?
「ちょっと、社長。そんな腑抜けた顔をしていないで決裁を見てください。捌いてくれないと仕事が溜まっていく一方なんですからね」
時代はペーパーレスになっているにも関わらず、俺のデスクは大量の資料で溢れていた。毎度のことだが、げんなりしてヤル気が削がれる。
嫌気がさして両手で頬杖をついたまま視線を向けると、ギラリとメガネを光らせたメロと目が合った。
(コイツ、あの糞男と絶賛不倫関係だったんだよな。本当に見る目がないというか……)
日当も男の風上にも置けないような糞野郎だったが、平気に不倫をするコイツもコイツだなと呆れたように溜息を吐いた。
「そういえば、佐久間弁護士から報告を受けたわ。私の元カレの件……大智が色々と頑張ってくれたって。その、私の為に……ありがとう」
口元を手で隠して、頬を赤く染めて恥じらうように御礼を述べて。
————いやいや、違……っ! 違わないけれど、最終的には波留の為であって!
(佐久間、アイツ! どう報告したんだ? 待て、メロの奴、勘違いしてないか? 違うんだよ、俺はお前の為っていうよりは、モヤモヤしていた鬱憤を晴らしたくて佐久間に依頼しただけで!)
「弁護士への相談料や興信所へのお金もバカにならなかったでしょ? まさか大智にそんな甲斐性があったなんて知らなかったわ」
「勘違いしてもらっちゃー困るんだけど……あのな、お前の元カレ、俺の奥さんにも手を出そうとしてたんだよ。なので成り行きで本格的に調査しただけで」
——って、これって言っても良かったのだろうか?
慌てて口元を押さえた時には既に手遅れで、目の前の彼女は酷い顔で「はぁ⁉︎」と半ギレ状態だった。
しまった、言わなければ良かった。
そりゃ、そうだよな。メロには『奥さんにバレて自殺未遂をしたから別れてくれ』と慰謝料まで求めたくせに、数ヶ月後には他の女に手を出しているとか。
俺なら憎すぎて、元カレの陰茎を切り落として、この世から抹消してやる為に鯉の餌にして放り投げてやるだろう。
「待ってよ。ってことは、アンタの奥さんも日当と不倫してたってこと?」
「はぁ? どこをどう聞き間違えたらそうなるんだ⁉︎」
波留は未遂だ、お前と一緒にするなよ‼︎
「だって、口説かれただけで
「してねぇって! 大体クロだったら日当が痛い目に遭うようなことはしないだろう? 波留は俺を信じて相談してくれたんだぞ? そんな彼女を疑うなんて、俺には無理だね」
そうだ、波留は不倫なんてしない。
だが、どうもメロは納得していない様子で、口を一文字にして唸っていた。
「そもそも、どうやって日当と接点を持ったのよ。大智の奥さんって専業主婦でしょ? 娘さんも小さいし」
「あぁ、それはだな」
俺はメロに全ての経緯を話した。そして第三者に話したとことで、自分自身も見て見ぬ振りをしていた問題点に気づいてしまった。
有耶無耶にしていたが、そもそも何故、波留はパートを始めたのか。
「……アンタの奥さん、黒よりのグレーなんじゃない? ろくにママ友も作れない子が息抜きに働きに出たかったって? それって本当なのかしら?」
疑いたくはないが、実は俺も引っかかっていた。
あんなにも心が大好きな波留が、保育園に預けてまでパートに出たなんて。大きくなってしまえば、自ずと幼稚園や小学生に預ける形になるのだ。てっきり幼稚園に入園するまでは傍にいるものだと思っていただけに、意外だなと感じてはいた。
「これは女である私の直感だけど、多分、あの奥さんには秘密があると思うわよ。きっとアンタが人間不信に陥るほどの、大きくて、えげつない……そんな秘密が」
そんな、メロじゃありまいし……と、笑い飛ばそうと思ったが、流石にそれは口に出すことが出来なかった。
「まぁ、その時はその時ね。もし、あの奥さんに他の男がいた時は……大智、アンタも浮気をしちゃえば?」
目を細めて、誘うような表情で顔を近づけて来たメロに「やめろ」と茶化すように突き放した。
波留に限ってそんなことはない。ないのだが、ないはずなのだが…………。
もし、波留が浮気をして俺もと思ったその時に、相手に選んでいた女性は——……メロではなく、マリンの顔が思い浮べてしまった。
そんな自分に焦り、自己嫌悪に陥った。
————……★
「はい、大智。アウトー!」