嘘だ、信じたくない。
頭では否定しているのに、目の前の光景は長年自分自身がずっと求め描いていた光景……誰もが認める親子三人の姿だった。
呆然と立ち竦んでいる俺に、心配したマリンが声を掛け続けていたが、何の反応も示すことができなかった。
「波留……嘘だろう?」
「波留? え、もしかしてあの人、社長の奥さん?」
ハッとしたマリンは眉を顰めながら三人の姿を凝視した。波留の隣に立っている男と俺の顔を見比べて、大きくため息を吐いた。
「……え、社長よりもあの人の方が父親っぽいんだけど? 社長と娘ちゃん、似てないんだね」
「マリン、これ以上俺の心を砕くんじゃねぇ! 言うな、もう何も言うな‼︎」
心臓が痛い……!
嘘だろう?
そもそもあの男は誰なんだ?
いや、しかし今の段階では浮気とは断定できない!
そもそも波留に限って、浮気だなんてあり得ない! 有得ないんだよ、信じられないんだよ……!
「突撃する? 奥さんのことを信じているなら、直接話した方が良いんじゃない?」
マリンの言葉にビクっと肩を震わせた。
この状況で話しかけろと——?
妻が知らない男と歩いているところに声をかけろと?
「無理無理無理無理! 流石の俺でもそんな鋼のハートは持ち合わせてねぇよ! 胃が痛い! 信じたくない! いや、そうだ! きっとアレは波留じゃない! 波留のそっくりさん、もしくはドッペルゲンガーに違いない‼︎」
頭を抱えて願望を叫び出した。きっと
「それなら……とりあえず写真を撮っておくね。あとで奥さんに確認しておいてよ。あと念の為に尾行しておこうか? シロなら何事もないって」
コイツ……、随分と手慣れているな。何でそんなに冷静でいられるんだよ。俺なんて目の前がグルグルして、立っているのもやっとだというのに。
一先ず会社に連絡をして、戻るのが遅くなる旨を伝えた。昼休み内に済ませようと思っていたのに、とんだ想定外だ。
「絶対に違う、アレは波留じゃない。波留じゃない……!」
「社長ー……。こう言っちゃ何だけど、案外人間って簡単に裏切る生き物だよ? 私のお客さんもさ、奥さん裏切って女の子とご飯に行ったりエッチしてる人ばかりなんだから。まともな人間の方がレアだって」
うるさい、お前の顧客と同類にするな。
そもそも浮気とか不倫をする人間の方が少数派なんだよ。自分がそういう界隈に足を突っ込んでいるからって、回りの人間まで同類だと思い込むな。
「けど、あの感じって普通じゃないよねぇー。ねぇ社長。社長が奥さんのことを信じるのは勝手だけどさー、現実もちゃんと見た方がいいよ? あんなふうに肩組んじゃって、ただの知り合いとか友達は通用しないよねー」
うるさい、うるさい、うるさい……!
カシャカシャと証拠と撮り続けるマリンに、俺は悪態を吐く。そうでもしないと、とても正気を保てなかった。
「——ねぇ、社長。こんなタイミングで言うのってズルいかもしれないけど、もし奥さんが浮気をしているなら……社長もしちゃっていいんじゃない?」
「…………は?」
信じられない言葉に、思わず半ギレ状態で応えてしまった。これはほぼ、八つ当たりだ。口を開く度に嫌な自分が垣間見えて自己嫌悪に陥る。
「にしてもさー、不倫相手と会う時に娘同伴だなんて、あり得なくない? 保育園とかに預ければ良いのに。教育に悪いじゃん」
保育園だと……?
俺はハッとした。そうか、だから波留は無理にでもパートに出たがっていたのか。
基本的に働かないと保育園は利用ができない。ベビーシッターや多少の手差しを掛けて預けることは可能だが、そう何度も利用するのは怪しまれる可能性もある。
シロがどんどんグレーに染まっていく。
やめてくれ。これ以上、俺の波留を汚さないでくれ……!
「……あ、移動を始めたよ? 社長、私達もタクシーに乗る? どーする?」
これでラブホテルにでも入られたら、俺は心臓麻痺で死ぬぞ? しかし、ここまで来て見届けないわけにはいかない。
不本意ではあったが、俺はマリンと一緒にタクシーに乗車して尾行することを決意した。
街中から住宅街へと景色が変わる。
見慣れた光景……それもそのはずだ。車が走り続けるにつれ、俺のHPはゼロへと削られていく。
「あ、止まった。ここは……マンション? もしかして——?」
あぁ、そうだよ。お前が思っている通りだ、マリン。
俺は頭を垂らして、俯いたまま溜め息を吐いた。
弁解の余地もないくらい真っ黒だよ、波留さん……。
「——ここは俺の家だ。旦那が働いてる最中に男を連れ込むなんて、確実にヤってるな」
中での行われている戯れを想像しただけで頭が痛くなる。もう無理だ、俺は——いつから波留に裏切られていたのだろうか?
「しゃ、社長……。ど、どうする? もし部屋にトツするなら、私も一緒に」
「——ごめん、マリン。とりあえずはこの場を離れたい。考える時間が欲しいんだ」
「それなら私も——」
傍にいると言ってくれたマリンを、俺は突き放すように拒んだ。今の俺には優しさとか善意とかも全部煩わしくて、気遣うことすらできなかった。
「一人になりたいんだ。ゴメン、マリン。タクシー代は払うから帰ってくれないか?」
こうして俺はマリンの顔を見ることなく、一人でビジネスホテルへと向かい、何時間も何日も部屋に籠り続けた。
————……★
「果たして、この男は誰なのでしょうか?」