そしてその日はやってきた。
綾瀬が乗った車椅子を押す僕。日本武道館の裏通りからステージのバックにそれを置いた。
僕は綾瀬に話しかける。
「そろそろ。綾瀬の最高の舞台が始まるね」
綾瀬はこくんと頷いた。
SWORDのメンバーたちが、楽屋から出てくる。
相川が、綾瀬の顔を見ると近づいてごめんと言って、それから二人は笑みを見せた。
「最高のステージにして見せるから。綾瀬はその目に焼き付けな」
そして相川が車椅子を押して、ステージへと目指す。SWORDも一緒だ。
―――――――――――――――――――――――――――――
舞台、約一万四千人の観客たちが綾瀬のアイドル時代のメンバーカラーだった赤いサイリウムを振っている。
そして、SWORDのメンバーは綾瀬を中心にして立った。
スピーカーから綾瀬の楽曲、『君を想って春夏秋冬』が流れ初める。
この曲が、一億回再生されたものだ。
綾瀬の口ずさみの声の動画が、武道館に響き渡る。
それにハモるように、SWORDのメンバーが唄う。
そして、たった一曲だけのセットリストは幕を閉じた。
相川がマイクを通して、MCを務める。
「皆さん、今日は来ていただきありがとうございます。綾瀬さんの姿を見せることは出来ませんが、それでも皆さんのサイリウムの想い、彼女に届きました」
おーーー、と歓声が響く。
「では、こちらを今度は流させてもらおうと想います」
ん? なんだ?
僕には聞かされていないことを相川が喋った。
スクリーンが光り、映像が映し出される。
それは綾瀬の、まだ声が出ていたときの映像だった。
「聞こえているかな。ファンのみんな。えっと、今日は六月の三日だね。『君を想って春夏秋冬』が二万回再生されたって聞いて、すっごく嬉しかったです」
微笑んだ綾瀬。それに対して僕はぼろぼろと涙が流れ初めていた。
「初めてアイドルになったとき、一本だけの赤いサイリウムを見て、すごく嬉しかった記憶があります。私のこと、たった一人でも応援してくれる人がいるんだって」
僕は膝をついた。涙の雫が床に落ちる。
「そして、おこがましいかもしれないけど、私の夢はメンバーを日本武道館に連れていくことでした。どうしてかって? あの掲げられている日本の国旗、あれを背負うことって刀の名を持つSWORDにとって、すごく名誉なことじゃないですか。まあ安直といえばそうなんだけど、でも、そうしたかったんです」
こほんこほんとビデオの綾瀬は咳をする。
「今度は紅白かな。でも、その時にはもう私はこの世にはいないね。けどね、全然寂しくないんだ」
赤いサイリウムは、波打っている。それは綾瀬の応えを求めるようだった。
「私には、恋人がいる。アイドルで禁忌を犯しちゃった駄目な私だけど、その人はまっすぐで、儚げで、いつまでも少年のような人。その人のおかげで夢が叶って、みんなに会えた」
そして綾瀬は涙声で最後の言葉を綴った。
「その人が生きている限りは、わたしはずっと安らかに眠れていられると思うから。ただそれだけなんだけどね」
ビデオメッセージはこれで終わった。
相川は頭を下げて、
「綾瀬の曲を聴いてくださってありがとうございました。この曲は、彼女への讃美歌だと思います。彼女はALSです。もう彼女のエンディングは決まっています。それをこの曲が彩ってくれるのではないのでしょうか」
讃美歌。彼女を天国へと送り届けるための、ハッピーソング。
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綾瀬はその後、病院に運ばれていた。
容態が急変したのだ。
SPO2がどんどん落ちていってる。
僕は彼女の手をずっと握っていた。
そしたら窓の外から陽光が差してきた。夕暮れの茜色だ。まるで綾瀬のメンバーカラーのような。
彼女は涙目で口を開け閉めした。
何も発せられない。
すると、天使の翼が見えた。
研子の姿だ。なぜか研子が見えている。
「ねえ、私は君のことが好きだよ」
どうしてか綾瀬の声だ。研子が喋っているのに、綾瀬の声に聞こえる。
「君はどうなの」
「もちろん、僕もだよ」
僕は泣きながら、
「君は、ずっとずっと僕のアイドルだ」
「ありがとう。私の最期を看取ってくれて」
そして、彼女は亡くなった。
研子は僕の頬を触った。
「ばいばい。お兄ちゃん」
そして研子は消えた。
そうして、全ての物語は幕が降りた。