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第36話

そしてその日はやってきた。

 綾瀬が乗った車椅子を押す僕。日本武道館の裏通りからステージのバックにそれを置いた。

 僕は綾瀬に話しかける。

「そろそろ。綾瀬の最高の舞台が始まるね」

 綾瀬はこくんと頷いた。

 SWORDのメンバーたちが、楽屋から出てくる。

 相川が、綾瀬の顔を見ると近づいてごめんと言って、それから二人は笑みを見せた。


「最高のステージにして見せるから。綾瀬はその目に焼き付けな」

 そして相川が車椅子を押して、ステージへと目指す。SWORDも一緒だ。


―――――――――――――――――――――――――――――


 舞台、約一万四千人の観客たちが綾瀬のアイドル時代のメンバーカラーだった赤いサイリウムを振っている。

 そして、SWORDのメンバーは綾瀬を中心にして立った。

 スピーカーから綾瀬の楽曲、『君を想って春夏秋冬』が流れ初める。

 この曲が、一億回再生されたものだ。

 綾瀬の口ずさみの声の動画が、武道館に響き渡る。

 それにハモるように、SWORDのメンバーが唄う。


 そして、たった一曲だけのセットリストは幕を閉じた。

 相川がマイクを通して、MCを務める。

「皆さん、今日は来ていただきありがとうございます。綾瀬さんの姿を見せることは出来ませんが、それでも皆さんのサイリウムの想い、彼女に届きました」

 おーーー、と歓声が響く。

「では、こちらを今度は流させてもらおうと想います」

 ん? なんだ?

 僕には聞かされていないことを相川が喋った。


 スクリーンが光り、映像が映し出される。

 それは綾瀬の、まだ声が出ていたときの映像だった。


「聞こえているかな。ファンのみんな。えっと、今日は六月の三日だね。『君を想って春夏秋冬』が二万回再生されたって聞いて、すっごく嬉しかったです」

 微笑んだ綾瀬。それに対して僕はぼろぼろと涙が流れ初めていた。


「初めてアイドルになったとき、一本だけの赤いサイリウムを見て、すごく嬉しかった記憶があります。私のこと、たった一人でも応援してくれる人がいるんだって」

 僕は膝をついた。涙の雫が床に落ちる。


「そして、おこがましいかもしれないけど、私の夢はメンバーを日本武道館に連れていくことでした。どうしてかって? あの掲げられている日本の国旗、あれを背負うことって刀の名を持つSWORDにとって、すごく名誉なことじゃないですか。まあ安直といえばそうなんだけど、でも、そうしたかったんです」


 こほんこほんとビデオの綾瀬は咳をする。

「今度は紅白かな。でも、その時にはもう私はこの世にはいないね。けどね、全然寂しくないんだ」

 赤いサイリウムは、波打っている。それは綾瀬の応えを求めるようだった。


「私には、恋人がいる。アイドルで禁忌を犯しちゃった駄目な私だけど、その人はまっすぐで、儚げで、いつまでも少年のような人。その人のおかげで夢が叶って、みんなに会えた」

 そして綾瀬は涙声で最後の言葉を綴った。

「その人が生きている限りは、わたしはずっと安らかに眠れていられると思うから。ただそれだけなんだけどね」


 ビデオメッセージはこれで終わった。

 相川は頭を下げて、

「綾瀬の曲を聴いてくださってありがとうございました。この曲は、彼女への讃美歌だと思います。彼女はALSです。もう彼女のエンディングは決まっています。それをこの曲が彩ってくれるのではないのでしょうか」

 讃美歌。彼女を天国へと送り届けるための、ハッピーソング。


――――――――――――――――――――――――――――――――


 綾瀬はその後、病院に運ばれていた。

 容態が急変したのだ。

 SPO2がどんどん落ちていってる。

 僕は彼女の手をずっと握っていた。

 そしたら窓の外から陽光が差してきた。夕暮れの茜色だ。まるで綾瀬のメンバーカラーのような。

 彼女は涙目で口を開け閉めした。

 何も発せられない。

 すると、天使の翼が見えた。

 研子の姿だ。なぜか研子が見えている。

「ねえ、私は君のことが好きだよ」

 どうしてか綾瀬の声だ。研子が喋っているのに、綾瀬の声に聞こえる。

「君はどうなの」

「もちろん、僕もだよ」

 僕は泣きながら、

「君は、ずっとずっと僕のアイドルだ」


「ありがとう。私の最期を看取ってくれて」

 そして、彼女は亡くなった。


 研子は僕の頬を触った。

「ばいばい。お兄ちゃん」


 そして研子は消えた。


 そうして、全ての物語は幕が降りた。






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