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第43話 学園の日常⑤


親のいない生徒たちは、校舎に取り残された。


一方その頃、キャサリンたちは街で、料理に舌鼓を打っていた。


「これはね、お父さんからの贈り物よ。思いのほかポイントが手に入るわよ。きっとあなたたちの役に立つはず」


温かな食事の余韻が残る中、キャサリンは包みをほどき、魔獣の核をいくつか子どもたちの前に差し出した。


「ルーカス、あなたの分よ。ジュリア、これはあなたの。そして、これはジェレミーのよ。帰ったら渡してあげて」


キャサリンの子ではないが、ジェレミーもライアン家の一員。


ホルトが長い年月をかけて集めた貴重素材は、すべて子どもたちのためだった。


キャサリンは分け隔てなく、ジェレミーにも渡すつもりでいた。


「母さん、この前のテストで20ポイントもらったばかりで、ポイントはたくさんあるんだ」


ルーカスはにっこりと笑った。彼にはわかっていたーー杖や魔具に宿すことが可能な核は、魔導士であるキャサリンが使った方が、真価が発揮される。

「私も大丈夫~使い切れないくらいあるの」


ジュリアはお行儀よく首を横に振った。その仕草には品があり、優等生らしい落ち着きが漂っていた。


天才クラスのリーダーであるジュリアには湯水のごとく与えられる。

潤沢なポイントを抱える彼女にとって、それを使い切るすら一苦労だ――持ちすぎて困るとは、実に優等生らしい悩みだ。


「ふふっ、優しい子たちね。でもママには必要ないわ。使いたいときに使えばいいのよ」


キャサリンは微笑を浮かべ、そっと子どもたちに視線を送った。


あふれる思いが胸を満たしていく。その一方で、彼女は優しく、しかしはっきりと、渡されたものを返した。


「しばらくはダクトにいるから、何かあったら学園の先生にお願いしてミランダ家に伝えてね」


「それって……母さん、ミランダ家に帰れたの?」


ルーカスは瞳を輝かせながら問う。


母が父と結ばれることを選び、祖父との縁を断ち切ったこと。



そしてその裏で、長年ずっとミランダ家に帰りたがっていたことを、彼は誰よりも知っていた。


「ええ、あなたたちは学園で頑張るのよ。ママは近くにいるから」


キャサリンは笑ってみせたが、その心の奥底には孤独が残っていた。


いまだに客間しか許されないという現実が、彼女を“家族”ではなく“外の者”として突き放していたのだ。


「僕たちが母さんを守るから。意地悪する奴は、やっつけるから!」


ルーカスは声をひそめて言った。母の瞳の奥に浮かんだ、かすかな陰り――それに気づいたのは、彼だけだった。


キャサリンは、ミランダ家ではあまりいい思いをしていないようだ。


どんな理由があっても、キャサリンを傷つける者を許さない――たとえそれが高名なミランダ家であろうとも、母を侮辱するのであれば容赦しない。


だがルーカスは感情だけでは動かない。


困らせるような真似だけは、絶対にしない。


「ふふ、ありがとう、ルーカス。いつの間にか頼もしくなって、もうすっかりママを守ってくれる騎士様ね」


キャサリンは心から笑った。


その笑みには、幾日も心に張りついていた重苦しさが、息子の言葉で溶かされた安堵がにじんでいた。


「私も私も!私だってママを守るんだから!」


ジュリアはぴんと背筋を伸ばし、はっきりと声を放つ。


幼い体に宿る魔力と誇りが、母を守りたいという想いとともに溢れ出していた。


「ええ、ジュリアにも守ってもらえるなんて心強いわ。あなたたちの成長を見届けられるなんて、ママにとって何よりの幸せよ」


頼もしいふたりを見つめ、キャサリンは涙をこらえ、そっと微笑んだ。

不安は、もうどこにもなかった。


陽が傾き始めた午後、キャサリンはルーカスとジュリアを連れて、ダクトの街を歩いた。


舗装された石畳、大通りに立ち並ぶ店々、人々のにぎわい――ふたりの目に映るものすべてが、新鮮で刺激に満ちていた。


キャサリンは、目を輝かせるふたりの横顔を見つめながら、優しく微笑んだ。


ジュリアは道中ずっと目を輝かせていた。何もかもが新鮮で、大きな街の空気に胸を躍らせていた。


けれどルーカスにとって、人口三十万のダクトは、まだまだ“地方都市”の域を出ない。


そして――


オレンジ色に染まる街の片隅で、ルーカスとジュリアは名残惜しそうに母の手を握り、そのぬくもりを心に刻んだ。


幸いなことに、キャサリンは当分この街に留まる。


彼女はホルトの帰還を待ち、この街にしばらくとどまることにしていた。


結局、ルーカスとジュリアは母の手からそっと魔獣の核を受け取った。


ただの贈り物ではない。母の想いがこもった、大切な証だった。


断れば、その思いを傷つけてしまう気がして、ふたりは黙ってそれを受け取った。


♢♢♢♢


――魔法クラスの男子寮(三年生)


ジェレミーはいつものように大げさな話をして、周囲を笑わせていた。


そんなとき、寮付き教員が現れ、無造作に声をかける。


「ジェレミー、妹が来てるぞ」


「えっ、ジュリアが!?」


驚いたのもつかの間、ジェレミーはすぐに得意げな笑顔を浮かべ、胸を張った。


「ほら、言っただろ? 妹は絶対に俺のことを覚えてるんだって。ついに会いに来たんだ!」


入試の時点で、ジュリアがジェレミーの妹だという噂は広まっていた。


だが始業から一週間、ジュリアはジェレミーに一度も会いに来なかった。そのせいで、ジェレミーは周囲に疑われていた。


晴らしたい気持ちはあったが、それでも足がすくんだ――ルーカスをいじってきた兄をジュリアは呆れた目で見ていた。ジュリアには敵わないことをよく知るジェレミーは、学園で下手に近づいて恥をかくことだけは避けたかった。


「本当にジュリアなのか?」


誰かが疑いを口にした。


毎年、新入生のなかでも天才クラスに選ばれる者は、まるでスターのように注目を集める存在だった。


その中でもジュリアは、首席ということもあり、学園で話題の的になっていた。


「外に行けばわかるだろ!」


ジェレミーは胸を張って堂々と言った――やっと証明できる。話題の天才は自分の妹なのだ。これで誰にもバカにされずに済む。


一番華やかな服に着替えたジェレミーは、まるで舞台へと向かう俳優のように高揚していた。


扉の向こうに待っていたのは、噂の主――ジュリア本人。


その姿を見つけた瞬間、「勝った!」と宣言するかのように、ジェレミーは誇らしげに振り返り拳を掲げた。


だがジュリアは一言。


「これ。お父さんから。ポイントに換えてだって」


ジュリアはジェレミーが好きではなかった。理由はルーカスへの意地悪だ。


3人の力関係は火を見るより明らかだった。


ジェレミーはジュリアに歯が立たず、ジュリアもまたルーカスには敵わない。


好まない上に、実力差がはっきりしすぎて、ジュリアの中ではジェレミーの“兄”属性は削除済みのようである――無邪気という名の無慈悲であった。


「父さん、来てるのか?どこにいるんだ?」


ジェレミーは目を丸くしてジュリアの手元を見た。

魔獣の核があるということは、きっと――そう思って慌てて訊ねる。


だがジュリアは首を横に振った。


「昨日来たけど、すぐに帰っちゃった。私も会ってない。お母さんに言われて、これを渡しに来ただけなの」


「じゃあ、ママは?来てないのか?」


声が少し震えていた。会いたかったのだ。ほんの少しでいい、笑ってくれる顔を見たかった。


だが、ジュリアは静かに首を振った。


「ジェシカおばさんは来てないよ」


ジェレミーの顔から力が抜け、笑顔は影も形もなくなった。

喜びの余韻は一瞬で失われ、心に冷たい風が吹く。


「これ、大事に使ってね。お父さんが頑張って手に入れたんだから」


ジュリアはそう言い、核をそっと渡すと、それ以上何も言わずに立ち去っていった。


ジェレミーは黙ったまま、そのジュリアの背中を見送りながら、重くなった足取りで寮へと戻っていった。


「本当にお前の妹だったんだな!」


「なあ、教えてくれよ。どうやって修行してるんだ?あんなに強いなんて!」


「いいよな…天才の妹がいるから、怖いものなしだな!」


寮からぞろぞろとついてきた生徒たちは、口を揃えてジェレミーを羨む声を上げていた。


興奮する同級生たちの声は、ふたりの耳にもはっきりと届いていた。


もはや疑う余地はない――ジュリアは、紛れもなくジェレミーの実の妹だった。


ただ、母親が同じかどうかなど、誰も興味を示さなかった。貴族の世界では、取るに足らないことだった。


「……あいつは、本当に強いんだ」


ジェレミーの声は静かだった。誇らしげだったはずの表情は、どこか影を潜めていた。


それを、ルーカスは遠巻きに見ていた。


母が自分ではなくジュリアを遣わせたのは、理由があった。


ジェレミーが自分を認めていないことを、母は誰よりよく知っていたから。

けれど――


今、目に映るジェレミーは、強がる兄ではなく、家を懐かしむ少年だった。


ルーカスはただ、黙ってその背中を見送った。

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