たとえ莫大な代償を払おうとも、魔導士たちは試練に挑む機会を切望していた。
異族との実戦経験を積む手段は、ただ二つ――戦場か、ここアランタか。
戦場で命を落とせば、それは帰らぬ旅となる。
だが、アランタでの死は試練の終幕にすぎず、傷一つ残らない。
命を尊ぶ賢い魔導士たちは、当然、選ぶべきを理解していた。
武道クラスの姿が会場の端に現れた時、魔法クラスの列にわずかな緊張が走った。
とりわけ、手懐けテストで80~100位に入るはずだった魔法クラス生徒たちは、敗北の記憶を無理やり噛みしめるように唇を噛んだ。
「……なんであいつらが来てんだよ」
魔法クラス5組の生徒が呟いた。
教師ははっきりとは言わなかったが、全ての魔法クラスが武道生徒の参加取り消しを望んでいて、その場の険悪な空気は明らかだった。
「様子を見に来たんだろ。……いや、まだ未練がましく夢見てるだけかもな」
魔法クラスの一人の生徒が鼻で笑うと、隣にいた生徒も苦笑いを浮かべた。
嘲りは、天才クラスを除くあちこちでささやかれていた。
全生徒がアランタの門をくぐることを許されたのは、天才クラスと武道クラスのみ。
もっとも、天才クラスの子たちは武道クラスがどうなろうと関心を持っていなかった。
当然のように、自分たちは中に入れると信じているのだ。
「静かに。そこで見ていなさい」
カイが口を開いた時、飛ぶようにシグルド視線が飛び、言葉を封じられる。
生徒20名を引き連れていたのだ。
唖然としながらも、カイは口を閉ざした。
シグルドに目をつけられてからというもの、常に「チョーク」警報がカイの中で予報されていた。
「そろそろ始まる。後で詳しく話から、目の前に集中しろ」
シグルドはアランタの“中”を知る数少ない存在だった。
彼の入場は、オスワルドの尽力あってこそ実現した特別枠。そのときの10人の参加者の中で、武者はシグルド一人。
アランタに入った武者は、これまでにほんのわずかしかいない。
今回のアランタは、武道にとって歴史的とも言える瞬間なのだ。
試練に挑むこと、それは武者にとってただの訓練以上の意味を持っていた。
アランタの門前では、百名の3年生がその時を待ち構えていた。
試練への参加は、ただの経験ではなく、将来への切り札。
アランタに入ったか否か――その一点が、戦場へ赴くかの命運を分ける。
中に入った者のみ、異族との戦いで武勲を立て、家名をも変える力を手にするのだ。
帝国の歴史を遡れば、平民の出でありながら戦功を重ね、貴族にまで上り詰めた魔導士の名は枚挙にいとまがない。
己の運命を切り拓き、さらには子々孫々にまで繁栄の道を残した。
強き魔導士が一人でも家にいれば、その家は滅びず、栄え続ける――ライアン家も、まさにその系譜に連なる。
ホルト自身に魔法の才はなかったが、彼の祖父はかつての名のある魔法師だった。その功績の積み重ねがなければ、ライアン家の名は、歴史の闇に消えていたかもしれない。
ホルトは、家に再び魔法の才を呼び戻すため、多くの子をもうけた。
その思惑は当たり、数人もいる武者である兄弟に混じって、ジェレミーとジュリアという魔導士が生まれた。
家の中でたった一人の男の魔導士――その事実が、ジェレミーに特別な立場と、ルーカスに対する優越をもたらした。
その背には、家名の未来を背負う重圧がのしかかっていた。
「ジェレミー、がんばれーっ!」
声に反応するように、三年生の列に座っていたジェレミーがぴくりと体を動かし、きょろきょろと振り返る。
生徒たちの中央にいる一番小柄な新入生、ジュリアが満面の笑みで手を振っていた。
ジェレミーのことをあまり好いていなかったジュリアだが、今日は違った。
アランタ開放の日――彼女は思い出したのだ。
どうであれ、兄は兄なのである。
周囲の目がある中でこそ、兄を支える妹としての役割を果たそうとジュリアは決めていたのだ。
「ジュリアだ」
「ジェレミー、自慢の妹が応援してくれてるぞ」
「ジェレミー、期待を裏切るなよ。絶対に最後まで持ちこたえろよ」
アランタの評価方式は、かつて行われた手懐けテストに似ている。
基準となるのは、倒した幻影の数、そして塔の滞在時間。
退出した瞬間に時間は止まり、討伐数が評価を決める。得点の上限は決まっているが、討伐の上限はない。
だからこそ、限界を超えて挑んだ者ほど、高い成績順位を手にするのだ。
アランタでの成績は、総合評価に含まれ、将来にも大きな影響を及ぼす。
アランタの中では肉体は関与しない。戦うのは精神の分身――幻影。
たとえ死を迎えても、それはただ戦いから脱落するだけにすぎない。
「見てろ、ジュリア。兄さんが一位を取ってみせる!」
そう言って、ジェレミーは誇らしげに手を振った。
ジェレミーの言葉に、周囲からはどっと笑いがこぼれた。
試練参加者の中で98位――そんな彼が「一位を取る」と豪語したのだ。
それはまるで、箒にまたがって空を飛ぶと宣言するようなもの。誰がどう見ても、冗談にしか聞こえなかった。
「お前たち十人、用意しろ」
教師の突然の指名に、ジェレミーたちは緊張を走らせた。彼らは試練に参加する成績最下位組、順番も一番手だった。
アランタの入場順は、実力の低い者が先だ。
つまり、すぐに戻ってくる者たちを先に送り込み、流れを途切れさせないためだ。
ジェレミーたちは黙って門へ向かう。
門は小さく、それでいて贅を凝らしていた――その向こうは、まるで夢の入口のように白い霧で満ちていた。
3年生の9割がすでにアランタを経験しており、中の勝手はよく知っていた。
だが、入場するこの10人の中で、ジェレミーともう一人は初参加だった。
事前に教師から細かい注意が伝えられていたため、特別な指導はもう不要だ。
「入ったらすぐに座れ。起動後に、俺たちで合流を試みる」
隣にいたクラスメイトが低く告げる。
彼は過去にアランタを二度経験しており、手順を熟知していた。
「大丈夫、覚えてるさ」
そう言ったものの、声の震えは隠せなかった。
ジェレミーの表情には初めての試練に挑む者特有のこわばりがあった。
隣の生徒はそれを察しながらも黙して歩き、十人は静かに門をくぐる。
狭い空間でに座布団が整然と二列に並んでいた。
ジェレミーたちが静かに膝をつき、霧の気配に包まれるように座したその瞬間――空間に低い声が響いた。
「杖を前に、魂を静寂に委ねよ。目を閉じ、内なる光に意識を向けよ」