昼下がりの陽光が差し込む中、アランタにまだ挑んでいない三年生は、残すところ2組だけとなっていた。
最後から二番目のグループが静かに立ち上がり、試練の刻を迎えるべく、その身を整えていた。
三年生たちの記録は、今のところ第四層が限界。
アランタの階層が上がるにつれ、現れる上位の異族の強さは、常識を超えていた。
三年生のほとんどが第四層で力尽きていた。
そこに至るだけでも並々ならぬ修練と覚悟が必要だった。
第五層――誰もが夢見るその地に手が届くかもしれない存在、残る二組こそ、退けられし者たちの無念を継ぎ、夢の続きを刻む者たちである。
「さあ、君たちの番だ」
教師の声には、これまでにない柔らかさが宿っていた。
その場に立つのは、この学年の精鋭たち――20名の選ばれし者たち。
帝国の未来を背負う若者たちは、無言のうちに気配を引き締める。
「はい、先生」
十人の声がぴたりと重なり、清冽な響きが広場に満ちた。
迷いなく歩を進め、塔の内部へと足を踏み入れ膝をつき、座したその瞬間、空間に変化が生じた。
彼らの姿は淡く揺れ、アランタの内部に虚影として現れる。
これまでどの組よりも洗練された動きで迷いなく二層へ、そして三層へと進み、突破していく。
歴然とした実力差だった。先の挑戦者たちが苦戦した階層も、彼らにとっては通過点に過ぎなかった。
まさに電光石火とも言える進撃。前の組がかけた時間の半分も経たず、三層にたどり着いていた。
だが、舞台はこれで終わりではない。
すべての視線が集まる――最後にして最強の10人。
「ミーナ先輩、頑張って!」
その声に振り向いたミーナが静かに微笑み、軽く手を挙げて応えた。
三年生の主席で最強の魔法使い――ミーナ。
彼女の目指すはただ一つ――第六層。
三年生未踏の高嶺、その頂こそ、彼女が求める唯一の勝利。
「ミーナさん。さぁ、君たちの番ですよ」
先生の声には、敬意すら滲んでいた。
静かに頷くとミーナは背筋を伸ばして踏み出す。
彼女は、この試練中、唯一名前で教師に呼ばれた存在。
三年生にして生徒会副会長。その実力も人格も、他の誰にも並ぶ者はいない。
「ミーナ先輩、頑張ってください!」
不意に響いたジュリアの声に、ミーナは足を止め、振り返って柔らかく微笑んだ。
前列中央――アランタ門に最も近い特等席に座るジュリアが、声を張った。
最後の十傑、いざ出陣――三年生の覇を冠する者たちが、ついにアランタへと歩を進めた。
彼らの実力を疑う者はいない。その場の視線が、アランタの扉へと注がれていた。
ミーナの開幕は順調だった――光が収まると、仲間が隣にいた。
彼らにとって、第一層はただの通過儀礼。ここでつまずくようなら、むしろアランタの歴史に名を刻むほどの珍事だろう。
仲間がいようが関係ない――第二層までは、当然のように辿り着く。それが彼らの“当たり前”だ。
「
ミーナが杖を掲げ、澄んだ声で呪文を紡ぐと、透明な防護衣が纏いつく。まるで薄氷のように儚く、美しかった。
これがアランタの中でなければ、光の加減で七色の輝きを放っていたことだろう。
「
迫る異族、そのすべてが水華を纏う斬撃にて両断され、地を濡らした。
同級生たちはそれぞれ異族の幻影と交戦していたが、ミーナの周囲は常に静かだった。近づく敵以外は相手にしなかった。
開始からわずか2分――三年の精鋭たちは驚異的な速度で第二層に集結した。
第二層においても、ミーナの動きには一片の無駄もなかった。余裕すら感じさせながら、仲間と共に三層へ突入する。
そして、息をぴったり合わせた10人は四層へと進む。連携はさらに磨かれ、まるで一つの身体のようだった。
されど、四層の空間に満ちていた空気は違った。戦の重みが、仲間たちの表情に陰を落とし始める。
仲間の刃が鈍れば、ミーナの刃がその分多くを斬る。戦いの均衡は、静かに彼女へと傾いていた。
運よく前の組で四層に到達していた生徒が一人、ミーナたちと合流する機会を得た――が、それはほんの束の間の栄光だった。
魔力を使い果たしていたその生徒は、すぐに限界を迎え、アランタから退場した。
それでも彼は三年生の11位という成績を収めた。
半刻の激戦を越え、ミーナたちの前に第五層への階段が現れた。
見上げれば、空間の裂け目のような虚無がゆっくりと回転していた。
ミーナはその異様な光景に、静かに微笑を浮かべた。
傍らに残るは、わずか三名――されどここに至れたのは、ミーナという不動の柱がそこにあったからだ。
生徒会で策を弄するだけの器にあらず。
知と戦を持つ真の才女――それこそが、ミーナという存在。
「五層に、辿り着いたわね」
外で見守っていたシグルドが、静かに呟いた。
「今年の3年生は、4名が第五層に到達したか……昨年よりずっと優秀だな」
「3年のミーナが、二年生で副会長に抜擢されたのも納得できる。それだけの実力があって、信頼されてるってことだ」
「五層……俺たちがそこに辿り着くのは、いつになるんだろうな」
カイがぽつりとこぼし、ため息をついた。
新入生が三層に到達すれば、それだけで英雄扱いされる――それが通例だった。
だが、今年の新星たちは群を抜いている。その中心に立つのが、ジュリアだ。
教師たちの間では、彼女は四層の高みに到達できるだろうと噂されている。
アランタという塔は、登るほどに牙を剥く。最初の三層はまだ“登れる者”の世界だ。
だが、四層から先は、才能と覚悟、両方がなければ一歩も進めない。
さらに上を行くとなると、六年生ですら、七層の壁は厚い。
ましてや八層となれば、伝説の領域だ。そこに到達した者は、学園の歴史においてたった二人だけ。
シグルド――彼こそ、その八層に最初に辿り着いた武者であり、学園の外部者である魔導士とともにその記録を打ち立てた男だ。
シグルドの功績は煌びやかだった。
もし彼がこのまま階段を上り続ければ、いずれ貴族の座に就くことも夢ではない。
武者が貴族に列せられることは稀だ。だが、彼の背にはそれを成すだけの重みがある。
「恐れることはない。五層の異族も、恐れるべき存在ではない」
落ち着いた声でシグルドが言葉を紡ぐ。
「要は、慣れだ。戦い方を知れば、越えられる壁だ」
その言葉に嘘はなかった。シグルドは知っている。アランタの“内側”を――彼の目には、過去の戦場と異族たちの影が、今なお焼き付いている。
だが、五層となれば話は別になる。
シグルドの教え子たちがそこに届くには、少なくとも五年生になった頃だろう。
一歩一歩、己の限界を踏み越えることでしか、真の強さには辿り着けない――境地の壁を超えずに得られる力など、幻に過ぎない。
果たして、その高みに手が届く教え子が現れるのか。シグルドの胸中には、微かな不安が渦巻いていた。
「先生、安心してください。私たち、全力を尽くします!」
一番に答えたのはエレオノーラだった。
その澄みきった声に、迷いはなかった。
三年生の最後の一陣は次々と階層を進めていたため、シグルドの解説はもっぱら第一層と第二層に限られていた。
第三層――この領域を語るにはまだ早い。今の武道クラスには遠すぎる場所だった。
――塔内では、いよいよ残されたのがミーナただ一人になった。その隣に仲間の姿はいなかった。
<水刃>を手放したミーナは、代わりに水の柱を操り、幻影を次々と引き裂いた。
ミーナは息を切らしながら戦っていたが、幻影の戦いで助かった。
実戦だったら、きっと今ごろ涼やかな水魔法より、汗を纏っていたことだろう。