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第60話 アランタ塔⑯


「……ようやく、全員出てきたな」


アランタの外で、教師たちの間にようやく安堵の空気が流れた。


武道クラスの第一陣は限界に達し、第四層へと辿り着くことは叶わなかった。


つまり、魔法クラスに“勝機”が残されている。


だが、希望を託せる者は――ジュリア、彼女くらいだろう。


それと、魔法クラスの生徒が数人でも第三層で異族の幻影を討伐できれば、面目は保たれる。


武道クラスよりも優れていると、かろうじて証明できる。


思えば、アランタの試練が始まる前には、誰もがそう信じて疑わなかった。


魔法クラスが当然のように武道クラスを圧倒する――それが当然の未来だと。


だが、今。


武者より優れているはずの魔法の申し子が、たった数人に限られることになろうとは……


誰が想像できただろうか。


やはり、ザレカが武道クラスを設けようとしたのは、間違いではなかった。


同じ階級であれば、戦場においては魔導士よりも武者のほうが一枚上手なのだ。


――もっとも、武者という存在は、そう簡単には昇級できない。


もしも、武者が魔導士と同じように容易く力を上げられる存在だったなら、

この世界の覇権は、とっくに魔法ではなく“武”に奪われていたに違いない。


「よくやったな。おめでとう」


アランタの監督教師が、めったに見せない笑みとともに祝福の言葉を贈る。


この世界では、どこであれ強者は敬意を受ける。


たとえまだ未熟でも、若き力が示したその“爪痕”は――確かに、周囲の目を変えさせるには十分だった。


この年齢で、あれほどの成果を叩き出した――それはまぎれもなく、未来を期待させるに足る輝きだった。


彼らの中に、いつの日か上位の武者となる者が現れるだろう。


いや、そう信じたくなるだけのものが、確かにあった。


「ありがとうございます、先生」


ルーカスは凛とした声で礼を述べ、仲間たちと共にアランタから出ていった。


待ち構えていたシグルドが、喜びに満ちた声で迎えに駆け寄ってくる。


「お前たち! 本当に……よくやった!」


彼は駆け寄り、大笑いながら全員を順番にぎゅっと抱きしめていった。


「う、うげっ、先生、それはさすがに……! く、苦しい……!」


思わず声を上げるカイ。必死に身をよじるが、シグルドは緩めない。


その腕に込められた力と感情は、何よりも雄弁だった。


他の生徒たちも同じように痛みを感じていた。だが、シグルドに文句を言える生徒など一人もいなかった。


それでも――カイだけは、口にしてしまったのだ。


シグルドはきょとんとした顔でカイを見下ろす。


その視線に気圧されて、カイは気まずそうに目を逸らし、すぐに謝ろうと口を開いた。


けれど、それより早く。


「ああ、悪かったな。やりすぎた。……嬉しすぎてな。次はもう少し加減する」


その言葉に、場がざわついた。


……あのシグルド先生が? あの、チョークを正確に眉間に命中させるあの人が?


空気が反転した。唖然とする生徒たち。言葉を失うほどの驚きが、全員の顔に広がっていく。


まさか、あのシグルド先生が――謝るなんて?


今日という日が、ただの一日ではないことを、悟った瞬間だった。


「先生、俺たち、第三層まで行きましたよ!」


胸を張ったカイが、誇らしげに三本の指を突き出した。


太陽の光を受けて、その指先がきらりと光る。


「ああ、知ってるさ。お前が真っ先に叩き出されたからな」


輝きは、次の瞬間あっけなく砕かれる。


シグルドはにやりと笑い、からかうように言った。


その一言で、カイの誇らしげな顔がしぼんでいく。


「ちょ、先生、それはナシでしょ!? あれは油断で……本気だったら三層の幻影くらい、倒してましたって!」


慌てて反論するカイをよそに、シグルドは腹の底から笑いながら、残りの生徒たちを次々に抱きしめていった。


その歓声と笑いが広がる一方で、ルーカスの目は静かだった。


彼の本体はすでにアランタを出ている。だが、塔の中にはまだ三体の“彼”が残っていた。


それぞれの階層に分かれ、彼の意志をなぞるように――沈黙の中で動き続けている。


「ここでしっかりポイント稼いでから、上へ向かいましょう」


転送の光が消えると同時に、エレオノーラは近くにいた仲間二人に声をかけた。


緊張はしている。でも、焦ってはいけない。


これは、シグルド先生が繰り返し言っていたこと――冷静に、確実に。事前に伝えていた作戦通り。


アランタ内で効率よく成果を上げるためには、焦らず、まずは手堅くポイントを稼ぐべきなのだ――このチャンスを逃すなんて、もったいない。


100ポイントあれば、それだけでエレオノーラの一年分の食費が賄える。


質素な生活とはいえ、彼女にとっては十分すぎる価値だった。


武者でよかった、と思う。魔導士のように高価な道具や資源を消費するのであったなら、学園が提供するポイントでは、日々の食事さえままならない者も出ただろう。


「了解!」


隣の仲間がにっこりと笑いながら返事をした。


ルーカスの見えざる支援のもと、第二陣の仲間たちは迷うことなく合流を果たした。


訓練で何度も繰り返した連携は見事に発揮され、彼らは次々と異族の幻影を叩き伏せ、討った幻影の数を正確に把握しながら前へと進んでいった。


やがて、第一層にいる幻影すべてを討ち果たしたとき――彼らは静かに第二層への階段を登っていった。


各層には100体の異族の幻影が配されている。一度倒された幻影は、新たな挑戦者が入ってこない限り再び現れることはない。


まるで計ったかのように――いや、実際に計算された配分だった。


ルーカスたちが進んだときと同じように、エレオノーラたちもまた無駄なく、無理なく、幻影たちを分け合って進軍していたのだ。


「……また全員、第二層にたどり着いたのか」


アランタの外でその様子を見守っていた魔法クラスの教師たちは、もはや目を見張ることすらなかった。


驚きよりも先に、乾いた諦念が胸に広がっていく――どうやら、武者という存在は、これまで言われていたような“脆弱”な存在ではないようだ。


今年、学園が武道クラスを新設した理由も、今なら理解できる。


――決して誤った判断ではなかった。


武道クラスにとって、学園生活の最大の壁――ポイント。そのプレッシャーがなくなった今、エレオノーラは仲間たちを率いて、迷いなく中央の階段へと歩を進めた。


慎重に、だが確実に。そして、全員が第三層へと到達する。


武道クラスの人数は20名。このあと参加する魔法クラスの生徒たちなら、もう少しスムーズに進んでくれて、なんとか稼働時間内に試練が終わるだろう――アランタの監督教師は、そう願った。


普段なら余裕のあるはずだが、武道クラスの進行を見ていると、今回は本当にぎりぎりになるかもしれない。


もし参加者が全員武道クラスだったなら、間違いなく時間切れになっていた。


そして、第三層。


その到達を目にした瞬間、ウォーレンの心に黒い感情がぶり返す。


またしても、武道クラスの連中が“あり得ない”結果を出してきた。


思わず歯噛みしそうになったが――ウォーレンは咄嗟にやめた。


先ほどの苛立ちで強く噛みすぎ、欠けた奥歯が今もズキズキと痛んでいるのだ。


悔しさを噛み殺す?痛みで噛むことすらできないのであった。


エレオノーラたちもまた、第三層へと無事にたどり着いていた。


それを悟った瞬間、シグルドの胸にこみ上げたのは、言葉にできないほどの喜びだった。


何を言えばいいのか分からない。ただ、胸の奥が熱くなるばかりだ。


彼はゆっくりと視線を巡らせる。魔法クラスの教師たちの顔を、一人ずつ見つめていった。


――ただし、リンドラを除いて。


シグルドは知っている。この場にいる教師たちはかつて一枚岩となり、ザレカに直談判したのだ。


「武道クラスのアランタ参加など、認めるべきではない」と。


だが、その否定の声は、静かなる力によって切り裂かれた――若き武者たちは己の実力で未来を奪い返したのだ。


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