四霊の協力も取り付け、夜抜け出せる日を選ぶ。
同房の果鈴は月に一度仕事場である
それまでの間、四霊には今出現している怪異の詳しい調査を頼み、春蘭は尚功局にて桜花祭の衣装製作に精を出していた。
宇貴妃の羽織も終わりが見えてきて、完成まであと二、三日といったところだ。
他の同僚たちは、数日前より鬼気迫る様子が増している。
(早めに終わせて、あちらを手伝った方がよさそうだな)
すでに遅くまで残って作業をしている者もいるのか、目の下に隈を作っている者も数人見かける。このままでは怪異とは関係なく、過労で倒れる者が出てきそうだ。
春蘭は休憩もそこそこに、羽織を完成させるために作業へと戻った。
そんな日々が続いたある日、早朝から仕事を始めていた尚功局の女官たちに尚功から知らせがあった。
「皆、忙しいところ申し訳ないのだけれど……。本日からこちらに軍部の方が訪れて、皆にいくつか質問をしたいと申し入れがありました」
そう話す尚功は眉間に深くしわを寄せ、不満を微塵たりとも隠していない。
だが、そうなる気持ちは分かる。
おそらく尚功局の女官全てが思っているだろう。
(このくそ忙しいときに来てもらっては困る!)
と。
「一人一人から話を聞きたいとのことで、武官の方が直接お声がけするためそれまでは自分たちの作業をしていても良いとのことでした。皆、要請に応えつつ作業の手はできうる限り止めないように」
尚功も尚功でなかなかの無茶を言う。
だが、実際手を止めている時間は少しでも少ない方が良いのは皆分かっていたため、文句が出ることはなかった。
怪異の影響で人手は減る一方だ。このままでは本当に桜花祭まで間に合わなくなる。
尚功局の女官たちは、いつにも増して結束し全ての衣装の完成のため一丸となって取り組んでいた。
尚功の話を聞いて、中堅の女官が一人手を上げる。
「ちなみにその武官は何を聞きたいのですか? 事前に分かっていれば、答える時悩まずに済むと思うのですが」
確かにその通りだ。質問内容が分かっていれば、いざ聞かれたときに考えるための時間を使わなくて済む。
皆が尚功の答えを待つ体勢でいると、彼女は少し困惑したような難しい顔をして口を開いた。
「……【花綵の鬼】という噂について、聞きたいらしいのです」
皇帝の妃や宮女、女官、宦官が住まう
本来は皇帝と宦官以外の男の出入りはできないのだが、太極宮と掖庭宮を繋ぐ通明門のすぐ側にある通称・
掖庭宮の一部でもある尚殿は、食事を作る
だから武官が尚殿に来ることはそれほど珍しいことではないのだが、服飾を管理する尚功局へ来るのは珍しい。
それにしても、なぜ今軍部が【花綵の鬼】のことを探っているのか。
確かに大きな戦のない最近は、怪異退治や怪異にもたらされた被害への対処に軍部が駆り出されている。
なので怪異ではないかと噂の【花綵の鬼】について調べるというのも分からなくはない。
だが、【花綵の鬼】の噂は主に怪異や大きな獣と共にいたというだけのものだ。もっと直接的な被害を出している怪異がいるだろうに。
まさか、怪異たちを操っている存在という噂までも信じているのだろうか?
怪異を恐れるだけの女官たちと違い、怪異退治もしている軍部の者が信じるとは思えないが……。
なんにせよ、この忙しい時期になぜわざわざ調査をしているのか。
怪異のせいで人手が足りず忙しい思いをしているのはどこの部署も同じだ。特に、桜花祭という期限が迫っている今は。
そんな中調査に入ってくるなど非常識だ。
それに、近日中に四霊と共に怪異退治を計画している春蘭としては、怪異退治中の自分のことである【花綵の鬼】のことを調べられるのは身動きが取りづらくなりそうで困る。
せめて今でなければ……今回の怪異退治が終わった後であれば、人手もそれなりに戻り尚功局としての危機が軽減される。そうなれば、春蘭は怪異退治を控えたというのに。
多少の怪異を見て見ぬ振りをして放置しても、軍部も宮中の怪異については対処をしている。自分が退治するより時間はかかるだろうが、元より怪異退治は軍部の仕事だ。本来の役割に戻るだけだ。
そんな思いから、春蘭は本日訪れるという武官を来る前から疎ましく思っていた。
他の同僚たちも、非常識な武官の訪れを邪魔な者として疎ましく思いながら作業をしている。
だがそれは、当の武官が訪れるまでのことだった。
「忙しい中失礼する。私は
現れた貴惺陽という武官は、軍部の者にしては線の細い体つきをしていた。とはいえ筋肉は付いているようで、体幹がしっかりしている。
赤みを帯びた真っ直ぐな黒髪は、今は緩く一つに纏められていて武官らしい堅苦しさがやわらいでいた。
顔立ちは精悍で凜々しいが、すっきりとした黒目は鋭さを垣間見せつつもどこか甘やかで、一部の女官たちはほぅ、とため息を吐いて見蕩れていた。
その外見は無骨な印象は少なく、さらに言うと美しい。
官位も軍部の頂点である大将軍の次となる太尉となれば、いずれは婚姻して後宮を出たいと思っている女官たちからすれば超優良物件だった。
結果、多くの女官が作業の手は止めずとも気もそぞろとなり、声を掛けられれば必要以上に話をするという状態となる。
尚功が無言の圧を放ってはいたが、話に花を咲かせる女官や惺陽には梨の礫で、まったく効果はない。
春蘭も女官たちの様子に思うところはあれど、【花綵の鬼】についてあまり聞かれたくないこともあり無言で刺繍の針を刺していた。
だが、惺陽は皆から話を聞くつもりなのか、そんな春蘭の元へもやってくる。
「繊細な美しさを持つお嬢さん、少し時間を頂けないだろうか?」
まるで女性を口説こうとでもしている様な声の掛け方に、春蘭は冷たく一瞥を向ける。
上級武官にこういう態度は良くないかも知れないが、本人が手を止めなくていいと言ったのだから問題はないだろう。
春蘭は手元の針と土台の布を見つめながら、短く「分かった」と口にした。