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二話 ふざけた武官②

 切りのいいところまで針を刺し進めてから、手を止めて惺陽の顔を見上げる。

 真っ直ぐに見上げた黒曜石の瞳に、ちらりと光が見えた気がした。


「それで? 話とはなんだろうか?」

「え? あ、ああ……愛らしい外見のわりに、堅苦しい話し方をするんだな?」

「……」


 話を聞きたいと申し出てきたというのに、まったく別のことを口にする惺陽に春蘭は思わず胡乱な目を向けた。


(【花綵の鬼】のことを聞きたいのではなかったのか?)


 ただでさえ仕事の手を止めさせられているのだ。本来の目的以外の問いかけに答えようとは思わない。

 問いかけに無言で返した春蘭に、惺陽は表情に戸惑いを乗せる。


「……ああ、すまない。初対面なのに突っ込んだことを聞きすぎたか」


 謝罪と共に仕切り直したのか、惺陽は精悍な笑みを浮かべまた口を開いた。

 だが……。


「その外見にその口調というのは面白いな。なあ、お嬢さんの名は? もう少しあんたのことを知りたい」

「……」


 今度は胡乱な目ではなく、明らかに引いた顔になる。

 こちらは仕事の手を止めてまで要望に応えようとしているというのに、惺陽が先程からしていることはただ口説いているだけのようにしか見えない。

 早々にこれ以上話したくないと思った春蘭は、話を終わらせるために自分から本来の話題を口にする。


「そんなことより、【花綵の鬼】のことが聞きたいのではないのか?」

「まあ、それはそうだが……あんたせっかちなんだな? 他の女官たちはもう少し交流を持とうとしてくれたぞ?」

「……必要ないからな」


 促したというのに、すぐに本題に入らない惺陽にだんだん苛々が増してきた。

 彼がこの房へ入ってきたときから、大尉という地位のある者にしては軽そうな印象を受けていたが、話してみると予想以上に軽いようだ。

 基本的に真面目な性格の春蘭としては、かなり苦手な部類に属する。

 そしてその苦手意識は、次の惺陽の言葉で決定的なものとなった。


「つれないなぁ……他の女官や宮女たちはもっと俺と話したいと言ってくれるのだが」


 ぷち、と。なにかが切れたような気がした。

 確かに惺陽は男前だ。事実女性に人気があるだろう。

 だが、全ての女性が彼を好ましいと思っているのだとしたら自意識過剰と言わざるを得ない。

 そして、春蘭は軽くて自意識過剰な男というのが一番嫌いであった。


「そうか、だが私は貴殿と長々と話したいとは思わないな」


 早々に惺陽を嫌いな男として認定した春蘭は、これ以上一瞬たりとも長く話をせずに済むよう早口で話す。


「【花綵の鬼】とやらのことも私は何も知らない。そんな噂があること自体つい最近知ったばかりだからな。そういうわけで、私から話すことはもうない」


 軍部からの要請に応えるための言葉を告げると、春蘭は視線を手元にもどし刺繍を再開させた。


「は……」


 早々に会話を断ち切った春蘭に、惺陽は呆気に取られた声を出す。

 そのまま春蘭との会話は諦めて別の女官のところへ行けばいいものを、彼は数拍間を開けてからまた春蘭に話しかけてきた。


「いやいやいや、まだ話すことはあるだろう? 大体、気にはならないのか? 【花綵の鬼】について調べるために、なぜ尚功局へ来たのかとか」

「……」


 惺陽の言うとおり、なぜ尚功局へ話を聞きに来たのかという部分は疑問だった。

 だが、その興味よりも惺陽と話をする苦痛から逃れる方が大事だ。

 春蘭はもう話すことはないと口にした言葉通り、無言を貫く。だが、惺陽はそれでも話しかけてきた。


「まったく……では勝手に話すからな?」


 呆れたように前置きをした惺陽は、言葉通り彼を無視する春蘭を気にせず話し始めた。


「【花綵の鬼】を目撃したという者の話を聞いたところ、【花綵の鬼】が身に付けている花飾りが毎回違うということが分かった」


 やっと、まともに本題である仕事の話を始めたらしい。

 視線は刺繍にあるため顔は見えないが、声は先程までの軽い調子が薄れたように思えた。


(初めからこのように話してくれればこちらもちゃんと対応したというのに)


 と思いながらも、春蘭は刺繍の手を止めない。だが、耳だけは傾けることにした。


「【花綵の鬼】が本当に幽鬼の類いであれば、身につけている花飾りが変わるということはないだろう。だから、俺たちは【花綵の鬼】は幽鬼ではなく生身の人間だと思っている」


 そこまで話を聞いて、春蘭は一瞬手を止めた。

 確かに怪異退治に行くときは毎回違う花飾りを身につけている。だが、まさかそこから幽鬼の類いではないと知られるとは……。

 それに、惺陽は他の女官たちにはもっと簡単な説明といくつかの質問しかしていなかった。なぜ自分にだけこのように詳しい話をするのか……。

 少々嫌な予感がして、春蘭は僅かに動揺する。

 その動揺を気取られぬよう、ゆっくりと深く息を吐き刺繍の手を進めた。

 気付かれたのかどうかは分からないが、惺陽の声はさらに軽さが取れた口調になる。


「それで俺は、【花綵の鬼】当人よりもその花飾りの方から探ることにした。毎回違うのであれば当然作っている者がいるということだ。……花飾りを作ったのが当人なのか、別の者なのかは分からない。だが、そこから繋がることはできると思った」


 口調からは完全に軽さが取れ、今度は真剣さが増してくる。

 なんだかんだ言っても高位の武官ということだろうか。軽そうに見えても、その心の中心には芯となるものがあるようだ。


「だからまずは手近な尚功局に来たということだ。ここになら、美しい花綵を作ることができる者もいると思ったからな」

「……」


 刺繍の手は止めず、話だけを聞いていたのだが……なにやら、惺陽の視線が自分を刺してきているように感じる。

 嫌な予感は増していき、背筋を冷や汗が流れた気がした。


「だからここの女官に聞いたのだ。『この尚功局で花綵を作るのが上手い者はいるか』とな」


 真剣な口調の中に、どこか試すような色を感じ取った春蘭は、ついに刺繍の手を止めてしまう。

 貴惺陽という武官の真意を確かめずにはいられなくなってしまったのだ。

 ゆっくりと、視界の端に彼の顔を捉えられるように顔を上げる。

 僅かに見えたその顔には、挑戦的な笑みが浮かべられていた。

 真っ直ぐ春蘭を見るその目に、また小さく光るものを見た気がした。


「何人かに聞いたところ、ほとんどの者があんたの名を上げたんだ。楊春蘭どの?」

「っ!」


 初めの軽さを思わせる笑みを浮かべながらも、その目は春蘭を捉えて逃がさない。


「というわけで、改めて聞く。春蘭どの、【花綵の鬼】について何か知っていることはないだろうか?」


 彼の問いに答えるまでは逃げられそうにないと察した。

 だが、だからといって本当のことなど言うわけにはいかない。


(私が怪異退治をしていることは、絶対に知られるわけにはいかないのだ。私は、普通の女官としてできる限り平穏に暮らしたい)


 動揺を悟られないよう、表情に気をつけて春蘭は桜色の唇を開いた。


「……先程と同じだ。私はその噂を最近知ったばかりなのだ。詳しいことなど分からぬよ」


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