掖庭宮の端にある女官の宿舎から出ると、回り込み宿舎の裏の方へと進む。そこでオウとリュウと合流することになっている。
今回の怪異は、女官たちの仕事場である尚殿と宿舎の間に現れることが多い。そのため女官たちへの被害が一番多く、桜花祭前の今特に悩みの種となっているのだ。
探ってくれた四霊の話によると、今回退治する予定の怪異は少々厄介らしい。
そのため大ぶりの花綵を持ってきたのだが、足りるだろうか?
怪異は、乱れた龍脈の力が地上に吹き出し、人の悪意と結合してしまうことでできてしまうものだ。
花綵に込めた術は、龍脈の力と人の悪意との結びつきを解くもの。そして、悪意を封じ浄化させるものだ。
吹き出した龍脈の力は変わらないため、悪意はびこる宮城ではすぐにまた怪異となってしまうのだが、四霊が協力するようになってからは怪異出現の頻度を少なくすることができている。
四霊は元より、【天命の子】と呼ばれる聖人の皇帝の霊力を介し、この令国全ての龍脈を整えることができる存在だ。
春蘭は【天命の子】ではないが、常人よりは多くの霊力を持つ。四霊はその霊力を介し、悪意との結びつきを解いた龍脈の力を、本来の場所へと一時的に戻してくれている。
あくまで一時的な処置しかできないため、しばらくすればまた吹き出してきてしまうらしいが。それでも龍脈の力を放置するしか方法がなかった以前よりは圧倒的にましになっている。
四霊の言う厄介な怪異というのは、龍脈の力と悪意の結びつきが強いか、元々の龍脈の力、もしくは悪意が強いかだ。全てが強い場合は今回持ってきた花綵が数個あっても足りるかどうかというところだが、流石にそこまで強い怪異はまず有り得ない。
とはいえ、三つの条件のうち一つか二つが当てはまることは時折あるため、せめて一つだけであって欲しいと願いながらオウとリュウが待つ場所へと向かった。
オウは、宿舎の裏にある梅の木に止まっていた。暗闇の中に浮かぶ真っ白で可憐な花々。それに囲まれた赤い鳥はどこか幻想的で、赤と白の対照的な色合いは不思議な魅力を醸し出している。
美しい光景につい見惚れていると、突然リュウの高い声が聞こえてきた。
「あら、春蘭。少し遅かったわね?」
いきなり聞こえてきた声に驚いたが、梅の木を良く見るとオウが止まっているのとは別の枝にリュウが絡みついていた。リュウの鱗は白なので、こちらは逆に保護色になってしまっていたらしい。
これはこれで美しいが、リュウには紅梅の方が映えそうだ。
「すまない。仕事の方が長引いてしまってな」
苦笑気味に謝罪すると、オウが切れ長な目をすっと春蘭に向けた。
「それでは疲れているのではないか? 少し休んでからにするか?」
低い声は淡々としているが、言葉の端々に春蘭を心配している様子が表れている。その労りだけで少し元気が出てきたが、せっかくなので欲を出してみる。
「そうだな……オウが癒やしてくれるというなら、是非時間を取りたいものだが」
「……どうやら思ったより元気なようだ。怪異について話そう」
暗に抱かせてくれるのか? と問いかけたが、誘うような物言いが良くなかったのだろうか。問答すらすっ飛ばして疲労はないと判断されてしまったようだ。
内心少し本気で残念に思いながらも、怪異退治が遅くなってしまっても困ると思い春蘭は黙した。
春蘭の内心を知ってか知らずか、オウは梅の木の枝に止まったまま怪異のことを話し出す。
「今回の怪異は龍脈の力と悪意の結びつきが強い。元の悪意が宦官の嫉妬のようで、その執着にも似た悪意が龍脈の力を離すまいとしている」
元の悪意がどの宦官が発したものなのかは分からない。もしかすると、数人分が集まった状態なのかも知れない。悪意は悪意を呼び、性質が似たものは龍脈の力を起点として集まってしまうのだから。
オウは悪意が元々強いとは言わなかったので、せいぜい多くとも三人分程度だろうが……それでも強い執着となっているのはそういう性質の悪意が集まってしまったということだろう。
とはいえ、厄介な怪異の条件は一つだけのため、花綵は持ってきたものだけで事足りそうだと春蘭は安堵した。
すると今度はリュウが枝からするすると下りてきて話し出す。
「怪異が襲う対象は女官ばかり。ということは、もしかすると男色の宦官が思い人を誑かす女官に嫉妬したのかも知れないわね」
「男色の? ……ああ、そういうこともあるのか」
少し面白そうに語るリュウに、春蘭は僅かに驚く。
男の大事なものを取ってしまった宦官とはいえ、恋愛感情を抱くのは異性の方が多い。だが、閉ざされた後宮ということもあり、性別問わず恋愛感情を持つ事例も多いようだった。
春蘭自身は恋愛そのものへの興味が薄く、宦官の恋愛事情などそれこそ噂程度にしか知らない。
そういうこともあり、元の悪意の原因に関しては正直どうでも良かった。
適当な相づちを打っていると、地面に降りたリュウの体が突然膨れ上がる。暗闇の中、軽く発光した白い鱗が色づき始め、春蘭より大きくなった身体が人の形を取った。
発光が落ち着くと、春蘭の目の前には艶やかな黒髪を結い上げた妙齢の女性が立っていた。
すっきりとした面差しは冷たい印象も受けるが、微笑みを浮かべる口元は紅が映え、薄衣を纏っている体つきはすらりとしている。
妖しさのある美しい女性となったリュウを見て、春蘭は何度か目を瞬かせた。
四霊は普段動物の姿をしていることもあり、姿を変えられるのは知っていた。なので人の形にも成れるのだろうと思っていたが、いざ目にすると驚きは強い。
じっと見つめる春蘭に「ふふっ」と笑いを零したリュウは語る。
「女官を狙って襲ってくるのだから、囮になるにはこの姿の方がいいわよね」
「囮? 囮なら私で十分ではないか? 事実女官なのだし。それに、その衣装では……」
囮が必要だとは聞いていなかったためそのことにも驚くが、人型になったリュウが囮になると聞いてさらに困惑する。
なぜなら、リュウの衣装は薄くてひらひらしていて……女官というよりは妃嬪の出で立ちなのだ。
リュウの姿を見てやはり自分が、と口を開きかけたが、今度はオウが強めの口調で告げた。
「いいからリュウにやらせておけ。春蘭は龍脈の力と悪意の結びつきを解いて浄化しなければならないだろう? 囮となって万が一怪我でもしてはその後の仕事に差し障りがあるかもしれぬ」
軽く怒気を含んだような言い方に驚くが、困惑が表面に出てくる前に目の前のリュウがクスリと笑い春蘭へ耳打ちする。
「大人しく言うことを聞いておきなさい。オウはあなたが心配なのよ」
「心配?」
(そんな、過保護な性格だったろうか?)
疑問に思い視線をもう一度オウに向けると、どこか気まずそうにスッと視線を逸らされた。
(これは……照れているということだろうか?)
オウの反応になにやらむず痒い心地がしたが、どこか温かくもあった。