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五話 怪異退治③

 人型となったリュウが先を行く。

 白い布が多い彼女の衣服は、暗闇の中でも僅かな月明かりを吸収しぼんやりと浮き上がって見えた。

 春蘭は、そんなリュウの姿がかろうじて見えるほどの距離を保って付いて行く。

 オウは空を飛びながら付いてきていたようだが、目的の場所付近に来ると春蘭の元へ降りて来る。

 右腕を差し出すと、オウは広げた翼をバサリと羽ばたかせ腕に止まってくれた。

 普通の鳥とは違うからだろうか。それなりの大きさの鳥だというのに、それほど重くはない。

 おかげで春蘭の細腕でもオウを止めていられるのだが、これはこれで試練だった。


(もふもふが近くに……)


 先程癒しの羽毛を堪能するのを断られ残念に思っていたこともあり、その羽毛が近くにあるという誘惑に心が揺れる。

 だが、今は怪異退治をしようというときだ。流石に場違いだということくらい分かっている。

 なんとか精神力を奮い立たせ羽毛の誘惑を振り切っていると、オウが頭を下げ春蘭に耳打ちするように囁いた。


「今回の怪異は女官ばかりを狙うが、それはこの辺りを通る女が女官だけだからだろう。今回の怪異は基本女を疎ましく思っているようだった。おそらく女なら誰でもいいのだろう」


 だから、女官には到底見えぬ今のリュウの姿でも怪異は反応するだろうとのことだった。

 それなら問題はないか、と見守っていると、早速怪異の気配がした。

 月明かりすら届かない建物の陰の辺りで、闇がうごめく。

 陰から出てきた闇は、幞頭ぼくとう円領袍えんりょうほうという宦官の出で立ちをしていた。ただ、手足の長さが違うなど歪な人の形をしている。

 顔は黒塗りのようになっていて表情はまったく分からない。だというのに、目だけがその悪意を主張するように赤く光っていた。


『ぐうぅうぁあ……』


 人というよりは、動物の唸り声のような音が響く。

 その恐ろしいほどの悪意の赤がリュウを捉えると、まるで感情が爆発したかのように唸り声が大きくなった。それと共に動きも速くなる。

 まるで肉食獣が獲物を狙い、襲いかかる瞬間を見ているかのようだった。

 このようなもの、常人が相対しては恐怖で固まるか即座に逃げ出すに違いない。

 逃げることが叶わずに襲われてしまえば、良くて意識不明。最悪はその場で亡くなってしまうだろう。


 だが、例え逃げ出せたとしても怪異と遭遇した影響は残る。龍脈の力で増幅された悪意が、遭遇した者の心に巣くってしまうのだ。それは心身に支障を来たし、幻聴や幻覚という不調を起こさせ、まともな生活を送れなくさせる。

 幸か不幸か、襲われた女官たちのほとんどが後者だった。

 元凶となるこの怪異を滅してしまえば、幻聴や幻覚は落ち着くだろう。あとは、これまでの幻聴や幻覚によって心が壊れていないことを願うばかりだ。


 怪異に襲いかかられたリュウは、逃げることなくその場に立ち尽くす。

 何も知らない者が見れば、恐怖で動けなくなっているのだろうと思うかも知れない。

 だが、リュウはこの国を守護する四霊の一体・応龍だ。

 建国記に四霊と対比して描かれている、国を滅ぼすほどと言われる怪異・四凶しきょうとは比べものにならないほど弱い怪異に恐れなど覚えるわけがなかった。

 歪な腕に肩を掴まれたリュウは、逆にその腕を掴み懐に入る。そのまま足を払い背負うように投げ、怪異を地面に叩き付けた。


『ぐぅおぉおっ!』


 怪異に痛みというものはないようだが、倒されたことによる怒りの咆吼を上げる。

 そのまま暴れ出す怪異をリュウは押さえつけようとしているのだが、今の人の姿では難しいようだ。


「オウ! 少し急いでちょうだい!」


 僅かに苦しげな声でオウを呼ぶ。

 それに応えるように、春蘭の腕に止まっていたオウは頭を下げ自身の額と春蘭の額を合わせた。


「では春蘭、少し霊力を頂く」

「ああ」


 どうやら四霊はこうして額を付き合わせることで春蘭の霊力を受け取れるらしい。春蘭は自分の中の霊力が吸い取られるような感覚に身を預けた。

 額が離れると、オウはすぐに春蘭の腕から飛び立ってしまう。

 そして、宙を飛びながらその姿を変化させた。

 燐光のように羽をほのかに光らせ、その身が一回り二回りと大きくなる。基本は赤のままだが、橙や黄といった色の羽が増えた。冠羽と尾羽は長く立派で、宙で広がる尾羽は特に優美だ。

 そんな、成人男性と同じくらいの大きさとなった美麗な鳳凰は、リュウに代わり暴れる怪異をその鋭い爪で押さえつけた。


「春蘭、来い!」


 怪異が自由に動けなくなったことを確認したオウが春蘭を呼ぶ。

 春蘭は鳳凰となったオウと怪異の元へ少し近付いてから、髪に挿した簪を引き抜いた。

 そのまま術を組み込んだ花綵ごと簪を怪異に投げつけると、簪は抵抗もなく怪異に刺さり術が発動する。

 その証拠に、花綵の花びらが術式に沿って光の線を描いた。


『ぉ、ごぉおお!』


 術式が龍脈の力と悪意を引き剥がそうとしているのを感じるのだろう。

 怪異は今までにないほど暴れ始める。

 だがオウにしっかりと地面に縫い付けられている状態のため歪んだ手足をじたばたと動かすことしかできていなかった。

 それでも事前の情報通り龍脈の力と悪意の結びつきが強いのだろう。弱い怪異であればすぐにその結びつきを解くことができるのだが、今回は時間がかかっている。

 いくら四霊の一体が押さえつけてくれているとはいえ、しっかりと結びつきが解け、悪意が花綵に封じられるまでは油断するわけにはいかない。

 花綵の術が滞りなく発動していることを見守っていると、比較的近い位置から低い男の声が聞こえた。


「……春蘭?」


 問うように名を呼ばれ、思わず声の方を見てから春蘭は後悔する。

 なぜ声に振り向いてしまったのだろうか。名前に反応しなければ、知らぬ存ぜぬで通せたのかも知れないというのに。

 声の主は、軽い驚きをその黒の目に映しながら、春蘭を真っ直ぐに見ている。

 その彼の名を、春蘭も呟くように零した。


「……惺陽様」

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