惺陽付きの文官を苦しめている怪異は外廷の東宮官庁付近に現れるらしい。
東宮官庁に勤めている者への被害が多いためそう予測したとのことだが、なぜ惺陽付きの文官も被害に遭っているのか。
東宮官庁は惺陽の邸宅から東に行ったところにあり、極端に遠いわけでは無いが近いというほどでもない。
問うと、その文官は東宮官庁近くの
そういうわけで、食後は惺陽の邸宅から出て実際にその辺りを探索してみることにしたのだ。
惺陽と共に、肩に小さな亀となったレイを乗せた春蘭が歩く。四霊の意見も聞きたいと惺陽が言うので、レイにもついてきてもらったのだ。
リンも当然のようについてきたがったが、リンの性格は調査には向かない。なにより、リンは鹿や人の子どもより小さい姿にはなれないらしく、皇城内ではどうしても目立つため断る以外に選択肢はなかった。
代わりに怪異退治の折には目一杯頑張ると言っていたが……。
(リンが張り切りすぎると後が大変なのだが……大丈夫だろうか?)
今から不安になってしまった春蘭だが、今は調査しなければと意識を切り替えた。……目を逸らしたとも言うが。
一通り今わかっていることを聞いた春蘭は、頭ひとつ分ほど上にある惺陽の顔を見上げながら問いかけた。
「現れる場所が分かっているということは、目撃証言があったということか?」
いくつもの怪異がある中、倒れた者がどの怪異を原因としているのかを判別する方法は限られてくる。
一つは目撃証言。その怪異が現れる場所や、怪異自体の見た目で判別する。
もう一つは襲われた人々の症状だ。ほとんどは昏睡状態になるか、怪異の恐ろしさに心が弱まり全てに怯えるようになってしまうかだが、時折身体が石のようになったり、片腕だけが激痛に襲われたりなど共通の症状が出ることがある。
今回は場所がある程度特定できているので、目撃証言の方かと思ったのだが――。
「いや、場所が特定できているのはあくまでその辺りで仕事をする者に被害が集中しているからだ。寧ろ目撃証言は全くない」
「全く?」
それも珍しいな、と春蘭は顎に指を当て視線を地面に下ろした。
基本的には怪異と遭遇することで人々は何らかの被害を受ける。正確には、龍脈の力で増幅された人の悪意に当てられるのだ。
目撃したり、襲われたりすることで悪意という毒が伝染するように人へ移り蝕んでいく。
それ以外となると、珍しくはあるが土地そのものであったり、何らかの物に怪異の悪意が移りそれを人が手にした場合だろうか。
(だが、それだともっと広範囲に被害が出るはずだ。場所が特定できている以上、その線は薄いか……)
「目撃証言はないが、被害を受けた者は皆胃の腑の辺りが痛いと苦しんでいるのだ。原因は分からないが、同じ怪異によるものだというのは判別できた」
考え予測していく春蘭に答えを提示するように、惺陽は続けて話した。
そうか、と納得しながら胃の腑の辺りが痛いのならば何が原因なのかを考えていると、惺陽はもう一つ情報を加える。
「噂では
「……仙?」
仙というと、
基本的に崑崙山に閉じこもっていたというかの一族は、総じて美しい姿をしていて仙術という特殊な術を使う得体の知れない者達だと恐れられていた。
約五百年前に、彼ら仙は龍脈を操り天変地異を起こし、この世を滅ぼそうとしたらしい。だが、当時の崑崙山を囲む周辺国家が総戦力で対処に当たり、仙人仙女の一族は滅ぼされた。
とはいえ根絶やしにされたわけではないため、生き残った仙の一族は散り散りになりながらもどこかで生きている。
時が経ち他の一族とも交わり、仙の血が薄れているため仙術を扱う者は少なくなっているという話だが、未だに軽んじられ疎まれる存在。
そのため、稀に強い仙術を扱う者が人々を恨み事件を起こすことがあった。
そういう理由から、仙の仕業なのではないかという声が上がったようだ。
「ああ、【花綵の鬼】が怪異を操るという噂があっただろう? そこから【花綵の鬼】はかつて龍脈を操り世を滅ぼそうと画策した仙の一族ではないかという話もあってな」
だから今回の怪異も大元の原因は仙によるものかもしれないと、【花綵の鬼】の調査から始めたのだそうだ。
桜花祭前の、どこの部署も忙しいこの時期にわざわざ話を通して尚服局へ来たのは、今回の怪異を退治するための一環だったのか。
尚服局の者達からすると迷惑なことでしかないが、そういう考えで聞き取り調査に入ったのだと知ると理解はできた。
これまでの状況を説明し終えた惺陽は、真面目な顔を苦笑いに変え後頭部を掻く。
「だが、全くの見当違いだったというわけだ。【花綵の鬼】は仙ではなく方術士で、怪異を操るのではなく寧ろ退治していたのだからな」
「……」
多少自虐が混ざっていそうな惺陽の言葉に、春蘭はどう答えたものかと迷い無言になる。今回調査している怪異と【花綵の鬼】には直接の関係は全くなかったのだ。最初の調査は徒労に終わったということになる。
だが、惺陽自身は無駄骨とまでは思っていなかったようだ。
「とはいえ春蘭という優秀な方術士の力を借りられることになったからな。これからは滞っていた怪異退治もはかどるだろう」
と、ご機嫌な様子に安堵する。
だが、『滞っていた怪異退治』という言葉に引っかかりを覚えた。切羽詰まっている様子なのは理解していたが、今の惺陽の言い方だと何件も怪異に関する事件があるように聞こえる。
「……ちなみに、その滞っている怪異退治はどれくらいあるのだ?」
流石に一つで終わるとまでは思っていなかったが、一体どれだけの怪異退治を手伝えば良いのだろうか。
春蘭の問いに、惺陽は顎を撫でながら記憶を探るように視線を上へと向ける。「そうだなあ……」と呟いた後、腹が立つほどの笑顔で告げた。
「大小合わせるとざっと百は超えていたな」
「ひゃ、百っ!?」
想定外の数に思わず声が裏返る。
まさかそれを全部退治するまで尚服局には戻れないのだろうか?
「皇城内や陽泉だけでなく、近隣の街や村に現れる怪異も入っているからな。国中となれば千も軽く超えるのではないか?」
「……」
さらに想定外の数を出され、流石に言葉が出てこない。
怪異に悩まされている者達には悪いが、自分一人の手に負える数ではないと思った。
惺陽も国中の怪異まで春蘭に対処してもらおうなどとは思っていないようで、黙り込む春蘭を見て笑いを零す。
「言っておくが、流石に国中の怪異をどうにかして欲しいとまでは言わないからな? それに陽泉と近隣の街や村の怪異についても、俺たちだけが対処するわけじゃない。春蘭には軍部だけでは手に負えない厄介な怪異をなんとかして貰うだけで十分だ」
「そうか……よかった」
安堵の息を零すが、すぐさま面倒な怪異を回されているだけでは? と疑問が浮かぶ。
通常は人を相手にする武官にとって、怪異退治は困難な仕事だ。増して、四霊の力を借りて龍脈の力を元の場所へ戻すことができる春蘭と違い、武官たちは怪異を物理的に退治することで悪意と龍脈の力の繋がりを絶つことしかできない。
悪意を消せなければすぐに同じ怪異が復活してしまうし、悪意を何とかできたとしても龍脈の力はそのままなため、新たな悪意が生まれるとすぐに龍脈の力と結びつき別の怪異が現れる。まさにいたちごっこのような状態だ。
だから厄介な怪異を任されるのは当然なのだし理解はしているのだが……。
(面倒なものだけを押しつけられているとも言えるのでは?)
という疑惑は拭えない。
なんとも複雑な思いを覚えていると、頬をつんつんと突かれる感覚がした。肩に乗っているレイが鼻先で突いたようだ。
手のひらに載る程度の可愛らしい大きさとなったレイは、小さな口をぱくぱくさせて周囲には聞こえない程度の声量で話した。
「なにはともあれ調査せねば進まんじゃろう。話が聞ける状態ならば、被害に遭った者達に会うのもよいのではないか?」
「それもそうだな」
話ながら歩いてきたものの、昼間ということもあってか特に代わり映えのしない風景が続くのみだ。
整えられた道に官署の建物が並び、所々に井戸や戸のない門が置かれている。他に見えるものというと草木がある程度だろうか。
惺陽もこのまま探索をしていてもなんの収穫もないと判断したのだろう。レイの言葉を伝えると、彼も同意した。
「そろそろ目的地でもある左衛につくしな。特におかしいところもないのなら、次は被害に遭った者に会いに行ってみるか」
そうして話が纏まったところに、知らぬ声が掛けられた。
「おやおやぁ? 貴太尉ではないですか。このような下っ端がいる官署へなんのご用でしょうかねぇ?」
明らかに、人を舐め腐った物言い。
(太尉という高官に対してこのような物言いをするなど、どんな古狸だ?)
と、少々物珍しい気分で向けた視線の先には、古狸と言うにはまだ年若い大柄な男が立っていた。