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第14話 マイ、来襲

 どうしよう。どこかで吐き出したい。だけど、親には絶対に無理だ。こんな話ができるのは明日斗しかいない。会って、聞いてもらおう。LINEをしようとしたその時、玄関の方から母さんの声が聞こえた。


 「雅史〜、マイちゃんが来たわよ〜」


 なっ


 僕は1組で、マイは3組。組が違うにもかかわらず、学校からのプリントを日々、持ってきてくれていた。顔を合わせるのが気まずくて、ずっと母さんには「会いたくない。プリントだけ受け取っといて」と言っていた。「けんかでもしたの?」と笑っていたが、無理に会わせようとはしなかった。


 だけど、この日は違った。いつものように無視して黙っていたら「雅史〜、マイちゃんが話がしたいって〜」と声が飛んできた。


 話は、したかった。


 毎朝、家の前で僕が出てくるのを待ってくれていることは知っていた。母さんが出ていって「きょうも学校、行かないって言ってるわ」と伝えると、心配そうな顔をして僕の部屋の窓を見上げていた。


 それも知っている。見ていたから。


 きちんと会って、本当に黒沢とセックスしたのか、確かめたかった。嘘だって言ってほしかった。一方でそんなことをしてどうなるという気持ちが、なかったわけではない。仮に本当だったとして、本人の口から「セックスしたよ」と聞かされれば、僕はどうすればいいのだろう。怖かった。


 ずっといじめられっ子だった僕にとって、マイは明日斗と並んで、誰よりも大切な友達だった。僕の味方で、ずっと寄り添って一緒にいてくれた。高校に行けたのも、マイのおかげだ。


 明日斗とマイが決定的に違うのは、マイが異性だということだ。こうなるまで気がつかなかったというか、気がつかないふりをしていたけど、大好きだった。友人としてではなく、異性として。だから、黒沢にマイを奪われたことを認めたくなかった。ずっと一緒にいてマイの彼氏になれるチャンスが何度もあったにもかかわらず、自分の臆病さのせいでそれを放棄してきた。その結果がこれだ。悲しくて、みっともなくて、消えてなくなってしまいたかった。


 これから、どうなるんだろう。


 小学生の頃、「黄崎は城山の嫁」と冷やかされるのが、実はうれしかった。こんなクズみたいな自分でも、大人になれば結婚して、家庭を築けるかもしれないと夢見ることができたから。だけど、現状を思えば、そんな未来は限りなく、ない。マイから直接、ことの真偽を聞いて、仮に本当だったとすれば、その未来は決定的に消滅してしまうように思えた。


 怖いんだ。


 現実と向き合いたくない。


 だから、僕は聞かない。


 でも、マイをこれ以上、心配させたくない。


 僕は上下スウェットのまま、のろのろと階段を降りて玄関へと向かった。


 夕方だった。


 階段はもう薄暗い。廊下は明かりがついていて、オレンジ色の照明の下で母さんとマイが待っていた。


 マイは制服姿のままだった。学校から直接、来たみたいだ。いつも下校後は黒沢たちと遊びに行っているのに、どうしたのか。授業が終わって直行しないと、こんな時間に僕の家には現れない。


 「じゃあ、マイちゃん、またね」


 母さんはマイと僕の顔をチラッと見ると、台所の方へ引っ込んでいった。一度、振り返ってこちらを見る。気を遣ってくれたのだろう。


 マイは僕を見て、斜め下の玄関タイルに視線を落とし、そしてまた目線を上げて僕を見た。太い眉を吊り上げて唇に力を入れて、怒ったような顔をしている。


 怖い。


 久しぶりに会えて本当にうれしかったのに、顔を見ることができない。怖くて不安で、ドキドキする。手のひらにじわっと汗が浮かんできて、気がつけばスウェットの裾で手を拭いていた。


 マイは目力が強い。瞳がくるっと大きくて眉毛も太いので、見つめられるといい意味でも悪い意味でもドキドキする。


 僕が何か言うのを待っているのか、しばらく沈黙があった。通学鞄の持ち手を握り直す。玄関の外を車が通り過ぎる音がした。マイは小さく息をついた。


 「なんで学校、来ないの」


 先に口火を切ったのは、マイだった。少し怒った、強い調子だ。


 そんなの、言えるわけないじゃん。


 幼馴染が、自分をいじめている男とセックスして、それがショックで行けなくなったなんて、言えるわけないじゃんか。


 僕はスウェットの上着の裾をつまんで、ひねった。何か言い訳を考えておけばよかった。丸腰でマイの前に出て来てしまったことを、激しく後悔した。


 「黙ってないで、なんか言うてよ」


 相変わらず少し怒ったような口調だ。でも、知っている。マイはこんな感じでしゃべっている時は、本当は怒ってない。辛くて泣きそうなのを我慢しているから、こんな口調になるんだ。


 「…え〜っと…」


 やっと絞り出せたのは、情けなくも、そんな言葉だった。何も伝わらない。


 「空手の試合のこと? 漏らしたことを言いふらされたことを、気にしてんの?」


 違う。違うよ。そんなの中学時代のオナニー疑惑に比べれば、なんてことはない。だけど、そういうことにしておいた方が、いいかもしれない。それでマイが納得するならば、それが原因だということにしてしまっても、いい。だけど…。


 ああ。モヤモヤする。


 嘘をついたら切り抜けられると思う。だけど、そうすることにはすごく抵抗があった。


 僕は本当のことが知りたい。マイが黒沢とセックスしたのかどうかを、知りたい。だけど、もし本当にしていたのであれば、全てが終わってしまいそうな恐怖も感じていた。


 意志に反して、僕は小さくうなずいた。真実を知ることから、逃げようとした。


 そういうことにしといてください。モラシくんなんていう、小学校レベルのいじめみたいなあだ名をつけられたことが、僕は高校生にもなって、耐えられなかったんだ。


 また少し、沈黙があった。


 マイが、すう〜と息を吸う音が聞こえる。


 「まあくん、ちょっと外、出よか」


 そういうと、鞄をうちの玄関に置いて、ドアを開けた。左右を見回して誰もいないことを確認してから、外に出た。

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